Wednesday, April 02, 2008

なぜ旅に出るか

旅立つ前にしなければいけないことは本当にたくさんあって、こんなところで時間を無駄にしている暇はない、それは百も承知の上で、どうして今またパソコンに向かっているかと言えば、「旅」というひとつの決断をきっかけとして、わたしの中でいろいろな思いが巡るようになって、それをそのままslip awayさせてしまうことは、わたしにとっての旅の旅たる所以を失くしてしまうことになると思うから。

なぜ旅に出るか?

端的に言えば、「現場」を見て「実感」を得るため。

わたしはとてもお馬鹿だから、本で読んだだけのことには切実な――わたしの人生を賭けようと思えるほどの――問題意識を抱きにくい。わたしが今持ってる問題意識って、結局自分の体験から生まれたもの。本からの知識は、それを深めたりbrush upしたり広げたりするために絶対に必要なものではあるけれど、そもそものところでわたしの心を捕らえるのは、やっぱり言葉ではなくて体験だったりする。

別に旅に出たからといって、たった1年という短い期間で、世界のすべてがわかるようになるなんてはなから思ってない。そんな傲慢な考え方は絶対にしたくない。
だけどやっぱり、今よりもちょっとはクリアになるかな、っていう期待はあって。世界の在りようを――そもそもそれが「物自体」的なものとして存在するかどうかも含めて――捉えられるようになるかについては甚だ疑問ではあるけれど。でも、自分の中にある靄の濃度を、少し薄めることぐらいはできるかもしれない。

異なる環境やバックグラウンドの中で、人々は何に笑い、何に怒り、何に涙するのか。彼らにとって、幸せってなんなのか。人間にとって、幸せってなんなのか。そして、「しあわせ」のためにわたしがすべきことはなんなのか。

粘土人形に例えるとしたら、上の問いに対する答えが完成した人形。旅に出て手に入れたいのは完成された人形ではなくて、粘土人形の材料となる土、だと思う。いろんなところからいろんな種類の土を集めて、それを自分でこねこねして、ひとつの作品を作る。そんなかんじだと思う。

前にある人に旅に出るんだって言ったら、「自分探し、がんばってね」って言われたけど、上に書いたことからもわかるように自分探しなんて考えはまったくと言っていいほどない。どこか遠い異国の地で待っていてくれる外部者的な自分なんてあるわけがない。どちらかといえばわたしがしっくりくるのは、養老孟司が言うような「自分作り」のような気がする。

なんかあんまり段落間の関係がうまくつなげられた文章じゃないけど。とりあえず。

言葉を大切にできることはとても素敵だけど、言葉に支配されてしまったらなんだか悔しいと思う。「酒は飲んでも呑まれるな」的な、ね。

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