Monday, December 29, 2008

終わってみれば早いもので、

トーゴ滞在も残り1週間を切りました。

極度の人間不信に陥って、「わたしここで5か月も生きていけるのかなあ・・・」とか思ったり、
トーゴ人にどうしようもなく腹が立ってそんなことに腹を立てる自分にまた立腹みたいなこともしょっちゅうあったけど、
奇跡としか思えないようないろんな素晴らしい出会いもたっくさんあったし、
高校時代のアメリカ留学とはレベルを異にした究極の異文化体験もできたし、
結論から言うとやっぱり終わりよければ全てよしで、おもしろかったし来てよかったなーってかんじです。

去るのはやっぱりさみしいな。

今度ここに来るのはいつなんだろうとか思うと特に、ね。
もう自分の街みたいになってるロメも、一旦日本に帰っちゃうとまた「遠いアフリカ」になっちゃうのかなー。

というわけでこれがトーゴからは最後になると思うので、記念投稿。

4日にトーゴを去って、数日ガーナにいて、8日にアクラからロンドン経由でインドに飛びます。
久しぶりのアジアだー。楽しみー。

Saturday, December 13, 2008

邂逅

ガーナから帰ってきて、あれよあれよという間に12月も半ば近くなってしまいました。わたしのアフリカ生活も残すところ1か月弱。

終わりの方になってまたいろいろ新しいこともあって毎日が面白くって、もっと長くいたいなーというのが最近思うところ。その一方で日本に帰る楽しみはそれはそれで日々募るばかりで、このジレンマこれで何回目だろうと思いながら過ごしている今日この頃です。

さて、ガーナ後の二大ニュースは、

1.YDP Togoの人に会った

YDP Togoがあるのはもとから知ってて驚きでも何でもないんだけど、会おう会おうって言っててようやく実現したのがこの間でした。帰る前に会えてとりあえず一安心。

でもそれより何より衝撃的すぎたのは、

2.トーゴに住んでる日本人がいた!!!!!!!

トーゴにいかに日本人がいないかっていうのと、ようやく見つけた時のこの驚きと感激は、もう筆舌に尽くしがたいものがあります。

どうやって出会ったかというと、これもほんとに巡り合わせの妙で、日頃から大変お世話になっている先輩のN田さんが、たまたま日本のイベント(?)で知り合った方がトーゴの子供たちを援助するNGOをやっているらしいということで、連絡してくれたのです。

その方が現地スタッフのHさんにわたしからのメールを転送してくれて、ある朝突然わたしの携帯にHさんから「転送されてきたメール見て電話しました」みたいな連絡が来て、その日の午後にはHさんのオフィスに飛んで行ったというわけでした。

Hさんはトーゴにいらして2年ということなんだけど、旅行者は時々いても住んでる日本人は初めてとのこと。4か月トーゴにいて初めてということでわたしも仰天したぐらいだから、2年いて初めてというHさんの驚きはもっと大きかったんだろうと思われます。

それからだいたい5日に1回ぐらいの頻度で(もっとかな?)足しげくHさんを訪ねている日々です。
日本語の本を貸してもらった日には貪るように読みました。それからHさんも学生時代はたくさん旅行をなさっていてその頃のお話を聞いたり、帰国後は就活ですよ~というところからHさんやお友達の就職のことを聞いてすごく勉強になったり、トーゴってやっぱりさ~みたいなことで盛り上がったり、やっぱりッバックグラウンドを共有して会話ができるってすごく楽しいなーと思います。

それからHさんのオフィスに届いた日本からの援助物資をわたしの研修先CILSIDAにも分けていただけることになって、その仕分けをしたり打ち合わせをしたり。CILSIDAの役にも立ててよかったなーと思ったり。「ものをタダであげる」ってほんとに彼らのためになるのかな?とか考え出すとすごく難しいことではあるんだけど、ね。

そんなかんじで今日このブログもHさんのPCを使わせていただいて書いています。

ああ、このトーゴで日本人、しかも旅行者じゃなく在住者に出会うというこの感動、ちゃんと伝わってるかなあ。もともと日本大使館もあって英語圏で日本人がそれなりにいるガーナとかで会うのとはまた全然違う感動なのよね。出会いって素敵だー。

あ、素麺が出来たらしいのでいただいてきます。ではまた。

Tuesday, November 18, 2008

さよなら またね

というわけで、明日ガーナを去りトーゴに帰ります。

さよなら英語圏。

さよなら水洗トイレ。

さよならコンクリート道路。

さよなら水道。

さよなら日本人。

(;_;)



なんかねー、今回以上に

「予想だにしなかった」

って言葉があてはまるシチュエーションって、あるでしょうか。


お寺のご住職さんとの出会い、

Tさんとの出会い、

Tさんからつながるたくさんの日本人との出会い。


今回の出会いはすべて、偶然に偶然が重なってできたもの。

運命でもタイミングでも巡り合わせでもどんな言葉だっていいけど、

すごいよ、こうやってここガーナで彼らに巡り合えたのって。

「見えない糸」とかいう言葉を、ふと信じたくなってしまいます。


いろんな話を聞きました。

今までの人生の話。

現代の日本社会を憂う話。

国際協力の話。

ビジネスの世界の話。

裏社会の話。

家族の話。

これからの希望と野心と情熱に満ちた話。


時にはお説教もされました。

わたしは甘ったれてるって、

トーゴにいるのもお遊びだろうって、

そういう風にも言われました。

自分でもわかってる、って、そういう部分もあったし、

それは違うって思う部分もあった。

いずれにせよ、

こうして耳に痛いことを言ってくれる人と出会えたのも、

なんだかすごく嬉しかった。



「だから頑張れ。頑張ろうな」


って、最後にはそう言われました。



たぶん、何年か何十年か後になって今回のことを振り返ったら、

「あの時彼らと巡り合ってなかったら、わたしはこんな人間になってなかった」

って言うんじゃないかと思う。たぶん、だけど。


それぐらい、今回の出会いはわたしの中に大きななにかを残し、

わたしの中のなにかを変えてしまった。

それぐらい、今回の出会いは感動的で衝撃的だった。


ほんとに来てよかった、ガーナ。


「人生って何があるかわからないよね」

っていうTさんの言葉、それを本当に実感した。



というわけで、明日ガーナを去りトーゴに帰ります。

フランス語忘れちゃったよーん。(;ω;)

Sunday, November 16, 2008

インドビザに翻弄されるの巻

こんにちは。ここぞとばかりにせっせと日本語でブログを書いています。でも日本語が使えるとどうしてもネットにかける時間が長くなりがちだから、普段のトーゴの生活では日本語環境がなくて逆にいいのかも。浦島太郎感は否めないけど。。でもここガーナではTさんはじめ日本人のみなさんのおかげで航空幕僚長のことだとか筑紫哲也のことだとか小室哲也が逮捕されたとか東大元総長が亡くなったとか今年は就職難だとかいろいろキャッチアップしてます。

ところでほんとは今日(土曜日)トーゴに帰るはずだったのですが。

ですが。

昨日インドのhigh comissionに行って約束通りビザを受け取ろうとしたら、

「あなたのビザはreadyじゃないから月曜日に来て下さい」

・・・! 

申請した時は金曜日にできますって言ってたじゃん! 日曜日の朝にトーゴでアクティビティあるから土曜日にはトーゴに帰らなきゃいけないのに!!

と受付のガーナ人のおばちゃんに訴えても知らん顔。埒があかないので奥の部屋にいるお偉いさん的雰囲気のインド人に直談判に行く。

話を聞くと、どうやらインド本国だか日本のインド大使館だか(忘れた)に連絡して3日間は返事を待たなければいけないとのこと。

でも申請時に話した時はあなた即日発行がいいか金曜日になっても大丈夫かって聞いてきたじゃん! あれはどういうことよ?!

「あの時は人がいっぱい来てて疲れて混乱してたからさぁ、、」

・・・。

どんな言い訳だい。でも土曜日にトーゴに帰らなきゃいけないんですけど。

「じゃあ一旦パスポート返してあげるから、土曜日に帰って月曜日にまた来なさい」

・・・。

・・・・・・・・。

馬鹿にしてる? トーゴとガーナ、隣同士って言ったって片道4時間かかるよ? お金もかかるよ? いくらyovoだからってそんなばかばかしい無駄遣いできないよ?? おぬしそこまで無茶苦茶なことを言うかー。

しかしこれ以上押しても結局埒があかず、失意の中帰宅。

一応パスポートは返してもらったけど、でもやっぱりトーゴに一旦帰ってまた来るとなると、改めて研修先と話してお休みもらわなきゃいけないし、それはスケジュール的にも空気的にも財政的にも無理があると思ったので、結局そのままガーナに月曜日までいて火曜日にトーゴに帰ることにしました。

っていうかそんな明確なルールがあるなら申請した時点で言えし!!! あの時はいかにも「君トーゴに住んでるのにわざわざビザのために来たのか~じゃあ早い方がいいよね、金曜日でも間に合うかい?」みたいな親切そうなこと言っといてさあ。なんだいなんだい。ここまで来たタクシー代返せー。悔しいので帰りは45分ぐらいかけて歩いて帰った。暑かったーちきしょう

これで月曜日も変な言い訳されてビザもらえなかったらわたし本気で激怒してやるんだから。
水曜日は日曜日のすっぽかさざるを得なくなってしまったアクティビティよりもっと大事な「世界子ども虐待防止デー」のイベントがあるから今度こそ絶対絶対火曜日にはトーゴに帰らなきゃいけないのにっ。

それにしても、もしわたしがトーゴの後にインドに行くって決めてなくて、決めてたとしてもトーゴにインド大使館があったとしたら、今回ガーナで得たさまざまな素晴らしい出会いやチャンスが全くなかったんだなあと思うと、偶然というか運命というか巡り合わせって、本当に不思議なものですねー。

Friday, November 14, 2008

折り返し地点

前の前のポストでトーゴでの近況を詳細に語ったのだけど、英語だしあんまり読まれていないような気が(勝手に)するので、Tさん家で日本語のパソコンを思う存分使わせていただける間に、改めてこれまでのトーゴでの生活について簡単に書いておこうと思います。

それにしてもここガーナに来て日本語や日本人が周囲にいっぱいある/いる環境に来て、今までトーゴでいかに自分が日本から遠ざかっていたかを実感する。。日本の情報といったら本当に、麻生さんのことと、詳細はなんかよくわかんないけど経済がやばいらしいことがニュースで流れていたのしか知らなかったもん。

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さて。

10月半ばにインターン先の団体を変えました。最初の団体JADIとは結論から言って全然うまく行かなかった。今はCILSIDAっていう団体で研修続けています。期間としては、トーゴ滞在全168日のうち、前半82日間をJADIで過ごし、残りの86日をCILSIDAで過ごすことになります。だからちょうど半々ぐらい。

今までの活動拠点は基本的に4地点3団体。

JADI時代
ロメのJADI:トーゴの首都ロメにあるJADIオフィス
ドゥバのJADI:ロメから北に車で3時間ぐらい。JADIディレクター・ステファンの故郷の村ドゥバにあるJADIのもうひとつのオフィス
ザンゲラのLe Responsable:ロメ中心部から北に車で20分ぐらい。ステファンがプレジデントを務めるNGOネットワークRAJESのメンバー団体。ステファンの気まぐれにより左遷された団体

CILSIDA時代
アダマボのCILSIDA:ロメ中心部から東に車で15分ぐらい。今インターンしているところ

JADI時代は基本的に、①②③をひたすらたらい回しにされる日々でした。全然楽しくなかったけど、ものすごく勉強になったという意味で本当に貴重な体験をしました。

何が勉強になったのかといえばいろいろあるけど、、
・「トーゴの人々のために」みたいな純粋な気持ちは、踏みにじられいいように利用され貪り取られて終わるだけだということ
・トーゴの発展を阻むトーゴ人の性質がわかったこと
・ここでは人を信用するのにものすごくものすごくものすごく慎重にならなければいけないということ
・「アフリカは貧しい」という先入観(オリエンタリズム?)に、援助する側もされる側も(特にされる側のアフリカ人自身が)とらわれすぎているのかもしれないということ
が主なものかなー。そんなにしっかり整理されてるわけじゃないけど。
驚いたことに、折しも今日上のふたつと全く同じことをTさんもガーナについておっしゃっていて、たった3ヶ月半いただけのわたしだけど、Tさんのおっしゃることに実感を持って同意することができた。

で、こういうことを学んだ結果わたしがどう変わったかというと、悪く言えば根性汚くなった、よく言えば反抗する強さを持った、ってかんじだと思う。相手の言うことを簡単には信じなくなったし、相手の要求に対して面と向かってNO!と言うようになったし、変な言いがかりをつけられたら(←よくある)絶対黙ってないし、とにかく何に対しても厳然と立ち向かうようになったというか。

トーゴには理不尽なことが体質的にいっぱい存在していて、いっぱいあるせいかトーゴ人は自分に理不尽なことが降りかかって来てもそれを受け入れることが多い。誰がどう見てもおかしいことに対しても、あんまり立ち向かおうとしない。権威至上主義的な傾向のある社会で、立場上立ち向かいたくても立ち向かえないこともままある。だから理不尽がまかり通るし消えることなくどんどん増えていく。
でもわたしはそんなの、自分自身もものすごく悔しいし、何よりもトーゴのために絶対よくないと思う。誰かが行動を起こして立ち向かっていかないとトーゴはいつまでもこのままだもん。そして弱い立場にいる人ばっかりが禍を被ってそれに耐えていかなきゃいけなくなる。そんなの絶対よくない。だからわたしは理不尽なこととか権威を笠に着て勝手放題言ってくる人に対しては「そんなのが通用するなんてゆめゆめ思うなっ」というメッセージを込めて絶対うんと言わないし泣き寝入りしないようにしてる。それはたぶんYovo(現地語エウェ語で白人という意味)だからこそできることでもある。

・・とまあ、わたしのトーゴ前半戦をおおまとめに一言でいうと、本当に誰一人信じられる人がいなくて極度の人間不信に陥ったのと、そこでのstruggleってかんじだった気がします。
たまたまトーゴのネガティブな側面ばっかりに出合ってしまったからこういう風になったけど、だからって上にわたしが書いたことがトーゴのすべてだと思ったらそれは絶対間違いです。第一2ヶ月半なんかですべてなんてわかるはずないもの。トーゴにもいい人やいいNGOは(たぶん、いっぱい)あって、そういう環境の中で終始インターンをして自国に帰っていく研修生もいると思う。だけどわたしはそうじゃなくて、でも途中で団体を変えて、だからこそトーゴの組織や人のいいところも悪いところも体験できて、トーゴの構造的・体質的問題が見えてきた(気がする)のは本当に本当によかったと思う。

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さて。

トーゴ前半戦の話はこれまでにして、後半について。

っていうのを前々回長く語ったのだけど、もう疲れちゃったから詳細はやっぱり英語で読んでもらうとして(ごめんよみんな)、とりあえず今は前半と180度変わってほんとに心から毎日楽しいってことと、今やってる仕事についてだけ簡単に書いておきます。

今やってる仕事は大きく分けて2つあって、
1. ザンゲラのLe Responsableの人たちとの仕事
2. アダマボのCILSIDAでの仕事

ザンゲラのは、(わたしがYDPやってましたと口を滑らせたばっかりにこんなことになってしまった残念な)「ユースと開発」についての会議。彼らは「平和」までテーマに入れたがったんだけど、YDPの団体名をそのままテーマにする意味もわからず、数時間の会議でそんなにテーマを広げても絶対失敗するだけだと思い、なんとか阻止。それ以上の制御ができなかったのはわたしのフラ語力不足による。無念。
企画し始めたのはザンゲラにいた時で、企画書書いたりだとか基本的な枠決めは全部ザンゲラ時代にやったんだけど、会議当日が12月のいつか(日程を決めようとさんざん言ってるのに決まらない。憤慨)ということでまだだらだらと尾をひいて残ってる仕事。

で、メインは今インターンしてるCILSIDAでの仕事。
この団体は本当に活発で予算もUNICEFとフランスのFondation de Franceというところからそれなりにもらっているので、アクティビティも仕事もいっぱいあって、「君○○担当ね」というかんじの役割はなくても毎日やることがいっぱいあります。

アクティビティとしては、
・コミュニティ内の若年結婚についての調査、調査後のターゲットのケア
・11月19日の世界児童虐待予防デー(で日本語訳合ってるのかな?)でのイベント
・おそらく12月1日の世界エイズデーでのイベント
・HIVポジティブのケア
など。

外に出かけるアクティビティのない日は、終わったイベントのレポート書いたり会計報告作ったり来るイベントの準備(手紙書いたりとか)したり。エクセル作業が結構多いのでエクセル上達したと思われる。あとはパソコンのいろんなテクを他のメンバーに教えることが多い。ここではPCのトレーニングはお金払って受けなきゃいけないから、わたしが彼らに教えるのはそれなりに価値があると思われる。わたしが去った後も活きるものだし。

今は基本的にディレクターのアントワンに言われたことをやることが多いし、それがいっぱいあるから毎日それなりに忙しく過ごしているのだけど、もっと積極的&自発的にできることを探そうと模索中。でももう、そんなに息せき切って「成果! 成果!」とかやらなくてもいいのかな、って気もしている。それが妥協から生まれた気持ちなら問題だけど。

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最後に、ちょっと話が変わって、「国民性」なるものについて。

今日のポストの前半でさんざん「トーゴ人は」とか「トーゴは」とかって言ってたけど、ほんとは「○○人は」っていう語り方、あんまりいいとは思ってない。だって文化なんて絶対完全にはわかりえないのにそんな語り方をするのはとても傲慢だし、一般化したところで必ず例外の存在があって、ちゃんと厳密に言える語り方ではないから。

それでもやっぱり、「国民性」ってあると思う。それは、「●●人は□□な性格で」っていうものよりも、ある文化の中で暗黙の了解的に存在しているコミュニケーションのあり方、という意味で。
なんていうか、、こう来たらこう返す、みたいなものが言語によっても文化によってもある程度決まってるというのをすごい感じる。返すものは絶対これじゃなきゃいけないってものはないんだけど、反応選択の負荷のかかり方が文化や言語によってそれぞれ違うというか。
例えば日本人がアメリカ人の会話に乗り切れないのは、リスニング力やスピーキング力不足以外にもコミュニケーションの論理が違うせいもあるのではないかしら。

あー、また今回もうまく伝えられてないなーと後味の悪い思いを残しながら、でももう夜中の1時を過ぎたので諦めて寝ることにします。
絶対日本にいる時より言葉のアウトプットがへたくそになった。残念。いつもいつもわけのわからない文章を読んでくれてみんなほんとにありがとう。

ちなみにトーゴには土曜日に帰ります。日本語に囲まれた生活も残りわずかです。

Tuesday, November 11, 2008

ガーナ便り

「インドビザを取る」という名目と、「ガーナにあるという日蓮正宗のお寺を見てみたい!」、そして「そのお寺の日本人のご住職さんと話がしたい!!(トーゴには日本人全然いないし)」という目的で、土曜日からトーゴの隣国ガーナの首都アクラに来ています。アクラはトーゴ入りの経由地だったから前にも一晩だけいたことがあるけど、その時は全然何も見ずにトーゴに抜けたから実質今回が初めてのアクラ。
なんだか予想以上に素晴らしいステイになっていて涙が出るくらい感動してます。

感動の目次。
①アクラの都会ぶり
②日蓮正宗の発展ぶり
③ご住職さんとの出会い
④Tさんとの出会い

①アクラの都会ぶり

トーゴ人はよくわたしに「イギリス領だったガーナとかナイジェリアは発展してるけどフランスの統治は最悪でさ~ここトーゴもこのありさまだよ」的なことを語ってくるので、ガーナは発展しているという期待をはなから持って訪れたのですが、アクラはその期待をさえ遥かに凌駕するような発展ぶりをわたしに見せつけてきました。

・ショッピングモールがある! 
・道路がきれい! 中央線もある! 車線が複数ある! 標識もある! 
・走ってる車が新しい! 
・橋が壊れかけてない! 
・家々の屋根がトタン板じゃない! (←これにいちばん驚いた) 

わたしが住むトーゴの首都ロメとたった3時間ぐらいしか離れてないのに、こんなにも違うのかと本当にびっくり。そしてトーゴのなにもなさぶりを改めて痛感。トーゴってほんとにお金ないんだな~と、不憫になるほどの格差だった。ガーナのことは全然わからないから何とも言えませんが、実際の貧困層の生活状況とかはガーナもトーゴもそれほど変わらないのかもしれないけど、でも同じ首都としての街の発展レベルのあまりの違いは本当に衝撃的だった。

でももっと衝撃的だったのは、聞く話によればほんの3-4年前はアクラよりロメの方が全然都会だったってこと。今のアクラとロメだけを見てたら絶対に絶対にそんなこと信じられない。アクラの変化のスピードには目覚ましいものがあるみたい。わお。ショッピングモール周辺(アクラの中でもいちばん新しくて都会的な地区らしい)ではアメリカの田舎のちょっと大きな街をドライブしてるかのような錯覚に陥るほどで、ひたすら "This is NOT Africa." という思いがよぎる。でもこういう本質主義的なイメージで語るのはあんまりよくありませんね。こうして欧米化され「開発」されていく姿も今のアフリカの素顔のひとつには違いないもんね。

②日蓮正宗の発展ぶり

そもそも日蓮正宗のお寺を知ったのは、トーゴで本当に偶然というか運命というか的な一信者さん(もちろんトーゴ人)との出会いから。私が日本人というところから始まって、「日本人か~じゃNichirenshuって知ってる?」という突飛な質問をされ、「アクラにお寺があるんだよ~あ、そういえば今度そこのお寺のご住職さんがトーゴに来るよ、もしよかったら君も見に来る?」という話になって、9月の半ばごろ見に行ったのがご住職さんとの最初の出会い。その時の「よかったらアクラのお寺に来てくださいね」というお言葉に甘えて今回ほんとにお寺を訪ねちゃったのでした。

最初にトーゴに仏教があるって聞いたときは、正直なところ、どんな変なマニアック少数派集団がこんなところで仏教なんて信じてるんだろう、と思いましたが、実は歴史はわりと古くてガーナに初めて日本人のお坊さんが訪れたのが1974年らしい。そして信者数も今、西アフリカだけで(たしか)2500人とかいるみたい。アクラのお寺はアフリカで唯一のお寺で、信者さんたちの力だけで(日本の総本山とかからの資金援助は全くなく)建てて運営しているお寺らしいのだけど、ものすごく立派!!! アフリカで見た宗教施設の中でいちばん立派なのは間違いない(※エジプトの遺跡を除く)。信者さんたちも社会の上層部に位置する人たちが多いみたいで、とにかく豪華で立派でした。この、宗教にはお金が集まるっていうの、不思議だよね。なんというか、精神世界の功徳のためにモノを積み上げていくかんじ、ちょっとねじれがあるようなないような。でもそういう批判こそお金というものに目を眩まされている証拠のようなそうじゃないような。

あと、ここの信者さんたちは普通のトーゴ人・ガーナ人とは違う。ここには純粋な善意というものが存在する気がする。それから礼儀正しさが日本ぽい。お辞儀したりとか。

③ご住職さんとの出会い

先にも書いた通りご住職さんとお会いするのは彼がトーゴにいらした時に引き続き今回で2回目なのですが、ちゃんとお話しするのは今回が初めてに等しいかんじでした。さらに彼はわたしはアフリカに来て出会った初めての日本人でもあります。トーゴに日本人がいないっていうのは結構イタイ。。海外での同郷者ネットワークってかなり重要な気がします。

今回のアクラ行きは前々からトーゴの信者さんに伝えてあったのでわたしはてっきり彼がご住職さんに知らせてくれていたと思っていたのですが、そこはさすがトーゴ人、そんな事前段取りなんてものはなく、不本意ながら全く突然の押しかけ訪問になってしまったにも関わらず、ご住職さんは泊まるところや食事などなど何から何まで本当にご親切にお世話してくれました。恐縮しまくりのわたしに「お寺は困っている人のためにあるものだから」とのお言葉が印象的でした。

それからお寺の敷地内にあるご住職さんご一家のお宅にもお邪魔させていただいたのだけど、これは本当の意味で "This is not Africa." でした。家の造りも、家に置いてあるものも、まるで日本。奥様手作りのハヤシライスをごちそうになり(5月のパリで食べたなんちゃってお寿司以来の日本食!!!涙)、『座頭市』と黒澤明監督の『影武者』(すごくいい映画です、これ)を鑑賞。『ウォーターボーイズ』とかをお勧めされる中この2本を選んだのに特に深い意味はなかったのですが、「やっぱり東大生はチョイスがちょっと変だね~」みたいな評価になってしまった。。わたしの普段の日本での環境って、東大だからというだけではすごくもなんともなくて、その人自身で評価されるみたいな雰囲気がそれなりにあってそれが当たり前だったから、こういう東大信仰がまだ健在なのを見るのはちょっと新鮮でおもしろかった。

ご住職さんのお宅にお邪魔していちばん思ったのは、単純に「アフリカにいてもアフリカらしくない生活ってできるもんなんだな~」ということ。わたしが海外に行くときって大抵いつも異文化体験が主目的のひとつだから、いかに現地の人に近い生活をするかっていうのが重要なテーマなんだけど、別にそうじゃない海外滞在の仕方だってあるんだよね、という、当たり前なんだけどすっかり忘れかけていたことを思い出した。

閑話休題。他にも本当にもうご住職さんには筆舌に尽くしがたいほどよくしていただいて、こういう下心(性的な意味だけじゃなく)のない善意に触れるのがかなり久しぶりだったこともあって、ものすごく心にぐっと来る滞在でした(後ほど詳述)。

④Tさんとの出会い

そんなわけで土曜・日曜とお寺の近くに滞在して、今日からはご住職さんの紹介でTさんという方のところにお邪魔しています。Tさんは60代の男性で、紆余曲折を経て18年前からガーナに住み、今はここで旅行会社とNGOをなさっている方。すごくフレンドリーで親切で、60代とは思えないほど心がとっても若々しい。

お家には信じられないほどの日本食があって「何でも食え食え」と言ってくださったので、食物貯蔵庫を物色した結果、やっぱり白いあつあつのごはん(日本米。←超重要)とあつあつのお味噌汁という結論にたどり着きました。それから、じゃこ、たくあん、ふりかけ、自家製キャベツの酢漬けもいただいて、本当に涙が出るほどおいしかった。

夕方からひたすらTさんの人生のお話を聞いたりわたしの話もしたりして、最終的に「今日は君に会えて本当によかった。今日から君はガーナに親戚がいるから。いつでも来い、俺はここにいるから。頑張ろうな」と言ってくださって、その発言の文脈的に2人とも感極まって、握手しながら2人して泣いてしまった。そんな自分に驚きつつ、でもとにかく心が激しく震えていて、すごく不思議な時間だった。

今回のお二方との出会いを通して改めて思ったのは、やっぱりわたしを前進させていく原動力って「恩返し」なのかな、ということ。
今までの人生で本当にいろんな人が、いろんなタイミングで、いろんな形でわたしに「投資」をしてくれて、そのおかげでわたしはたくさんの素晴らしい機会――それは時に誰にでも与えられるようなものではなくて――を得ることができて、ここまでの道を歩んでくることができた。わたしはたぶんとても多くのものを与えられている人間で、その与えられたものの大きさに見合った価値を発揮していく義務がある。だから、彼らの投資(≒恩)に報いていくために、与えられたひとつひとつの機会を最大限にappreciateして、そこから最大限に学んで、少しでもいい人間になれるように日々努力して、そうやって得られたものをわたしという人間が出せる価値として社会に還元していくことが、わたしという人間の存在意義なのではないかと思う。そういう形でしか、これまでの数えきれないほどの恩に対して本当の意味で感謝する方法はないと思う。あるいは、わたしという人間はわたしひとりの命ではなくて、わたしが今まで関わった人々がわたしという人間を作り上げていて、だから、自分ひとりのためにというよりはむしろわたしの中に生きる彼らのために、わたしは生きていく義務がある。

Wednesday, November 05, 2008

brand new life

After the previous post telling that I had got malaria I have received so many phone calls and messages from Japan asking how I was doing I almost regretted having written that and having made people worried so much. Thank you very much for caring, people! But as I wrote I have completely recovered and am now having a really great time.

Malaria may sound really horrible and scary when you are in Japan but here it’s everywhere and almost everybody gets it once in a while and because of that they know what to do with it when you get it so it’s not really as terrible as it may sound. But of course it is so only if you are not too young or too old to fight the disease and if you have enough money to pay for the medicines. The problem here doesn’t seem to be malaria itself but the poverty that disables the proper treatments. No wonder it’s called the “disease of poverty.”

And that’s not the only reason that I wrote “really great time.” That is to say, I finally, finally got to switch organizations I work for. I cancelled the contract with JADI and started to work for another NGO called CILSIDA (Club Initié pour la Lutte contre le SIDA) from October 15th. There are many stories about how I came to think I had to end my internship at JADI, most of which are so complicated that it would be pages if I started to try to explain. So for now, let me say simply that it was because of tons of miscommunication. I had been working for this cancellation of the contract for more than a month but everything goes incredibly slow with them here and you have to be happy if the person replies to your messages after telling them the same thing for 4 times and before you are finally fed up with it and forced to pretend to be very, very angry with them. So it was a little frustrating moment there but now it’s all over and like I said in the beginning I am so happy being here. My life changed completely. For the first time in my stay in Togo I felt that I actually am enjoying my life here and that I am starting to like Togo. But of course that doesn’t mean that I wasted the first half of my internship. You always learn a lot from difficulties and hardships and it certainly was a good learning experience for me. What I think was really good above all is that I’ve come to get a notion of structural obstacles for development in Togo.

Now let me write a little about my life here.

Where I live and also where my new organization CILSIDA is located is called Adamavo. It’s about 15-20 minutes by car (I don’t know for sure but I think it’s about the same distance as Shibuya – Yoyogi) to the east of Lomé (just in case you don’t know Lomé is the capital of Togo) and just about 5-10 minutes walk to the beach. The sunset here is amazing.

I live with the family of a member of CILSIDA, Nadia. They are as amazing as the sunset of Adamavo. They are cheerful, warm and welcoming and it’s so comfortable and a lot of fun living with them. I am so happy to have finally got someone that I can actually call family here. There are Papa, Maman and Nadia in the family and also other 2 girls from outside the family live in the house and help the housework. 4-year-old Gloria, the daughter of the older brother of Nadia, comes visit pretty often, too. She’s such an adorable little girl.

On weekdays I usually wake up around 6:30, take a shower (but there is no “shower,” of course, it’s just the cool fresh water from the well in a bucket so it feels more right to say “me laver” in the French expression) and have breakfast. As Nadia goes to university, another member Ornella comes at around 7:45 and we walk to the office together. We open the office at 8, clean the floor, turn on the computer and TV and start working. The director Antoine lives beside the office but he usually teaches in “collège” (middle school) in the morning so it’s not all the time that he’s around. He and other members come in and out throughout the day to work, chat or sometimes just to sit and watch TV. When there is no special activity out Ornella and I stay in the office all day. We close the office around 6 or 7 pm depending on the progress of our work and then together walk back home. At home Maman usually is waiting for me and they serve me a good amount of very good food. She’s such a good cook and I’m sure I’ve gained weight since I came to this family. The problem is that almost all food here has so much sugar and/or so much oil in it, and what’s worse, I love the food here. An intern from the Netherlands said people use lots of sugar and oil because they are easy sources of energy here where food is not abundant, and it may be true, but I’ve also seen so many people overweight and that means having way more than enough calories. So after this a little scary (imagine I continue eating like this until the end of my stay here… ahhh) but really delicious dinner, I go to bed around 10 or 11 pm.

Weekend activities are more random. I sometimes wash my clothes, sometimes go to Lomé to buy something or send mail, sometimes go see a friend and other times just sleep in and rest at home. Last 2 Sundays we went swimming in the swimming pool nearby and I loved it – except that a “yovo” (it means “white” in the local language, Ewe) guy talked to me and kept annoying me the whole time. Most of the time being a yovo woman here brings me lots of privileges (often more than wanted or needed) but sometimes it’s also tiring and a little troublesome like this. It’s again the story inevitable for an outsider, someone different who is from outside not only the physical borders, but also the ones that are invisible and often unconscious.

CILSIDA is an organization that was created in 2003 by 10 founding members and that has now 30 members in total, around 10 of which are active. The name of the organization means “club initiated for the fight against AIDS”, but the areas they work in are more than just HIV/AIDS and what they do is rather like improvement of the living environment and situation of people in the community.
Right now we are doing a very interesting project with the financial aid from “Frondation de France”. In the week that I arrived here they had 5 days of training to the group of young women on communication techniques and health issues mainly that of HIV/AIDS. The training itself was pretty interesting also, but what I was really excited to do was what followed in the next week. We took off with these women to visit from home to home to do the “sondage” (poll, in English, according to my little dictionary) on young marriage. We visited every single house in the area and asked if there was any young girl under the age of 19 who was married, pregnant and/or with children, and if there was any, we continued to ask about their lives and needs. We did it in total of 4 days. It was extremely tiring and not easy at all walking hours and hours in the very hot African sun, and I have found some things that could be improved to have better results, but having all that it was still exceptionally interesting and lot of fun visiting people in the community and seeing their houses and their ways of living. And it was such a pity that I didn’t understand Ewe (the local language in the southern Togo), because the interviews were done in Ewe and also I have found plenty of people who don’t understand French at all (which means they don’t or didn’t go to school). If you just stay in the office and work with the members of the organization French is enough to do, but if you want to reach out to the population outside the office you need to understand their own language. And CILSIDA has strong connections with the community and that’s what I really like about this organization, so it’s all the more regrettable that I don’t understand Ewe. Of course I’ve been trying to learn it and now I can say greetings and some simple things, but to actually have a conversation my Ewe is nothing at all. I think there exists a special difficulty in learning their local language. In general if you want to learn a language you need to know the system (c’est à dire the grammar, more or less) of the language, and if it was French or Arabic or any other language it would be so easy to get this information. You can just go to a bookstore to buy some textbooks or go to Nova or something. But in the case of Ewe (and I think also for almost all other indigenous languages) it’s very difficult, if not possible, to find someone or something that would explain you systematically about the language. On the other hand it’s also interesting to find it out on your own because it’s a little like a puzzle, but it takes so much more time than the normal process of language learning because I think it’s similar to how infants learn their native tongue.
Ok, back to the sondage. I think this kind of activity is of a great significance, because it collects facts, and especially because I’ve found that thinking and talking of people here are rarely based on the facts. Now we’ve finished counting the numbers of young girls according to their status. In total we’ve found 320 girls who are either married, pregnant or with children. What we’re going do next is to come up with another project to help some of those girls who are really in need (that is to say, not all of them are in need and there are also young girls who are married, pregnant or with children and are well taken care of by their parents or husband), and also find the financial means for the project. We had a meeting on that on Sunday evening and being there watching the way things went I almost cried because again I could feel for sure that I finally found an organization where dictatorship and politics don’t exist and where the members share the information, exchange their opinions, have their own roles and responsibilities and work together to help people (and not to make money for themselves by pretending that they are serving the population).

There are also other things going on. For example for the World Day Prevention Child Abuse (Jounée Mondiale prévention des abus envers les enfants) on November 19th we are making short plays with young girls (probably at the ages of around 12-13) with the massage that children also have their rights. When we first started it it was unbelievably chaotic and I was kind of shocked at their understanding and learning capacities but after a few practices it’s getting better little by little and I think it’ll be all right by the 19th.

Even when there are no specific activities or meetings, Antoine leaves some tasks to Ornella and me. So the good thing is that I keep myself busy all the time. This is the biggest change from when I was at JADI and the organizations that I was sent to by the director of JADI, and it’s really great. But the other side of this is that I haven’t really had time yet to come up with something on my own. That might not be of great necessity or expectation, but what I’m doing now is to do what I was told to do and although there are lots of things I learn from it (for example doing paper works has helped me a lot to know what was and is going on here and how things work in this domain, and my skills of using Excel definitely improved) and things that I contribute to the organization (for example I taught techniques of Microsoft Office to Ornella that can make her work faster), I also have a feeling that I could do more than that and that’s probably what I’m here for. But I already have talked about it with the members so we’ll see how it goes.

Whew, I don’t know how many of you read this to the end, but to those who did, thanks for spending your time for that! A bientôt

Friday, October 10, 2008

こんにちはマラリア

今日も うんよく にほんごパソコンが つかえるので にほんごで。しかし、なぜか "きょう" だけ へんかんできたのに ほかは できません。ひきつづき しょうがくせい にっき、ごようしゃください。ちなみに いまさらって かんじですが、にほんご へんかん には けんとさんに おしえてもらった このサイトを つかっています。
http://demo.web2driver.com/ajaxime/

さて ほんだい。
だいめいどおり、マラリアになりました。
けつろんから いうと、いい けいけんに なった ってかんじです。

くわしい けいいを ぜひとも せつめいしたいのですが、ぜんぶ ひらがなか、と おもうと ちょっと やるきを そがれるので、ようてんを かいつまんで おつたえします。

1、はげしい ずつう

さいしょに きたのがこれ。1にちじゅう フランスごの しょるいを よんでいたひの よるに なったので、さいしょは ちえねつ てきなノリの something かとおもった。それにしても いたい。よくじつには めまいと ねつっぽさも あいまって、あるけなくなるほどに。。トイレと へやの おうふくで せいいっぱい。

2、しゅうきてきな こうねつ

ずつうの つぎのひ (day 2とよぶことにしましょう) の ごご から なんか ねつっぽいな、とかんじだす。とりあえず ベッドで ごろごろして このひは しゅうりょう。Day 3のあさ、ねつがひいている。このすきに、とばかりに みずあび。しかし ごごから また ねつが でだす。あるける じょうたいでは ないので、いえまで かんごふさんを よんでもらう。ねつを はかったところ、いがいにも39.4ど。そりゃ ずつうも めまいも するわ、となっとく。

3、はじめての てんてき

たいおん、けつあつ、そのたの しょうじょう (さむけとか) から、マラリアと かくてい。さっそく てんてきを することに。おどろくべきことに、かいしご10ぷんで ねつが さがりはじめる。かわりに ぜんしんから たきのように あせが ふんしゅつ。これは きっと たいないの すいぶんりょう ちょうせつだ、という かせつをたてる。Day3, day4, day5と3かいにわたり てんたき。ふくさようで はきけ、しょくよくがない。

そのご、なにもせず ひたすら "ふかいかわ" をよむという ひびをへて、きょうのday 8にいたる、ってかんじです。

ok now the internet connection is so slow i can't use the nihongo henkan service anymore :-(

anyways.. after doing all i could do for prevention like wearing long sleeves, using the anti-mosquito spray, and sleeping under the mosquito net, it's more to do with luck so i have nothing to regret, even if i ended up paying around 2500 yen for the treatment. after all, it's another thing you could never experience in japan.. of course i can say this because i got recovered though ;P

and while i was sick there was progress on the conference. when i first handed in the proposal they didn't seem totally happy about it. but now, for some reason, it seems that it's going to be just as written in my proposal. hmm.. it's always so hard to understand how they think and move things forward. but anyway, if this is how it is here, i guess i need to accept it to some extent. :)

aahh i miss japanese food.... that's almost all i thought about while i was sick. lol
i miss it soooooooo much i've already made a request to my mom of what i want to eat on the day of my return.

ok gotta go... how is everybody doing???

Wednesday, October 01, 2008

みつけた

とうとう にほんごの よめる パソコンを みつけました。しかし なぜか かんじに へんかんする ことが できません。。それでも ひじょうに うれしいので かまわず かきます。なんか しょうがくせいの にっき みたいな ふんいき だけど ごめんなさい。

Togoにきて 2かげつが すぎて、しょうじきな ところ ようやく たのしいと おもえる ように なって きました。これまでの じかんは、どちらかといえば たのしいと いうより くるしかった。りゆうは めいはくで、けんしゅうさきの ボスと うまく いかなくて、しごとが ぜんぜん できなかった ことと、せいしんてきにも ゆううつ だったこと。なぜ うまく いかなかったか といえば りゆうは いろいろ あるのだけれど、、それは もっと あとに なって きが むいたら かきます。
でも とにかく いまは いろんな ことが いい ほうこうに むかうように なって きました。

いまは、まえにも かいた ように JADI じたいで はたらいている のでは なくて、ボスの もっている networkの かんけいで べつの だんたいで はたらいて います (これも じじつじょう させんに ひとしい のだけど。。)。でも ここでは ちゃんと しごとも できて、それなりに じゅうじつ しています。

どんな しごとを しているか というと、さいだいの ものは かいぎの きかく。11がつに youth participation in the development of the country みたいな トピックで かいぎを やる ことに なって、その きかくしょを きょう ちょうど かきあげた ところです。
ほかには、かれらの ウェブサイト せつりつ を てつだったり。がいこくじん を まねいた workcamp が かつどうの ちゅうしん である かれら にとって、さんかしゃ ぼしゅう は おおきな ネック で、そういう いみで ウェブサイト が あって それを とおして camp の こうほう を できる ように なる ことは かなりの advantage だ と おもいます。フランスご だけど、よかったら みて みて ください。そして もし よかったら camp に さんか して みて ください :-)
responsable.weebly.com


つねに わすれちゃ いけないと おもって いる のは、ここの ひと たち の ために じぶんは なにが のこせるか という とい を とい つづける こと。たった 5かげつ で、しろうと の み で、わたしに できる ことは かぎられて いる かも しれない けれど、だからといって これを たんじゅんな じこじつげん の しゅだん と とらえて じぶんの やりたい ことだけ を すきな ように やって かえって いく と いうことは、したくないなあ と おもう のです。もちろん じぶんの けいけん だとか せいちょう だって もくてき の ひとつ では あるけれど、この けんしゅう って それだけじゃ ないんじゃない かなあ とおもって。このへんは AFSでも よくいう give and take とも ちょっと つながる かなあと ぼんやり おもいつつ。。

さて、そとから foufou (キャッサバの おもち みたいなの。おいしい) の いい においが ただよってきて おなかも すいてきたので、きょうは このへんで。また かきます。

ちなみに、こんごも れんらくは えいご もしくは ロマじ で おねがいします。にほんごの つかえる パソコンに あたる かくりつは あまり たかくないので。。

にほんは そろそろ だいがくも しんがっき ですね。10がつといえば あき というかんじだけど、こっちは とこなつ だから ときの ながれの かんかくを うしなって しまいます。

それにしても あたまの なかに ある こんとんを ことば という ちつじょ に へんかん するのって むずかしい。。

Wednesday, September 03, 2008

distance between me and my country

shibacchi arrived here a couple of days ago with other 4 members of AIESEC Japan. i wasn't really expecting that he or anyone from japan would actually come visit, and it was such a wonderful surprise when i first heard that they were coming. and yesterday when i saw them i was really really happy.

but it was such a weird feeling to talk to them and spend some time with them because it made me realize how far from my country i have come.

one example is the language. now my brain has completely shifted to english (and french), and when i tried to talk in japanese words just didn't come out. i had to translate english and french into japanese in my head before saying anything. it was really really wierd and a little bit frustrating. but on the other hand, i can really feel now that my french is actually getting better. although it will take some more time before my french gets really ok, compared to how it was when i first got here, it has really improved a lot. that's one good thing.

another thing, in terms of how i think and how i act: what was totally normal to them seemed so strange and unfamiliar to me. they are just all those small things that you don't even care about in everyday life, but sometimes i saw them as if i saw someone from a totally different world. of couse in other times i felt a little bit of fragments of "home" from them also and that was such a nice, "ho tto suru" feeling. but the former feeling was so strong and i had to admit that those 5 months i have been away from japan for is actually making some changes in me.

on thursday we are going on a short trip together to Kpalimé (the most "touristic" town in Togo). i am very excited about it now.

although it was kinda a shame about the prime minister, i hope everything is going well with you all in japan (or wherever you may be), my ppl! à bientot

Saturday, August 23, 2008

je suis arrivée !!

although it's kinda way too late to say.. yes i arrived in Togo!

i wanted to write a new post earlier but also wanted to wait until i find a japanese-reading computer. turned out there seems to be none in this little african country... so excuse me ppl, i also wish i could write this in japanese. but i guess it's better than nothing, huh?

so. my life in togo has been going pretty well. the funny thing is; i expected it to be the most different, most unimaginable place on this earth, but it feels closer to what i have already known than those middle east countries i have visited. it's pretty hard to explain but something like "logic of the society" seems to have accepted a lot of that of the developed countries like Europe and the U.S., that is to say, those who bring money to this country and lead them to the direction that they want. it's pretty interesting to see how many ONGs (in french, NGO is spelled in this order) exist and how most of them have acquired some kind of "certificate of training" from UN orgs or western NGOs. on the other hand, how things work here proves that those techniques are such superficial qualifications. somewhere in between those "western" and "african traditional" rules of society, i sometimes feel completely lost, not knowing what is good or bad for people here, or what i can or should do for them. but hey, it's only been a month and i think it's too early to find a conclusion. in another 4 months of fun and struggle and excitement and hesitation and all that, i hope the world becomes a little bit clearer for me.

anyways, the organization i work for here is called JADI, Jeunesse en Action pour Developpement Integré. the director stéphane is also the coordinator of RAJES, a network of VIH/SIDA(again, it's like this in french)-related orgs in togo, and because of this i have rather been travelling a lot to visit different orgs in RAJES than sit inside the office of JADI in Lomé. it is pretty interesting to compare different orgs and find similarities and differences.

another very interesting thing: there is such a great variation of religions here in togo. and what's more, i have found 2 religions here of japanese origin. one is nichiren-shu, and the other is something called "mahikari." i am ambitious to find out how these religions came and are spreading in such a country like togo.

ok, now it's time for me to go! i don't have a very frequent access to the internet, but will update when i can! ciao

Tuesday, July 15, 2008

カイロあれこれ

日曜日のフライトで、ここカイロにやってきました。

ヨルダンやシリアで会ったエジプト経験者の言葉は一様に、
 ①エジプト人最悪(嫌な人ばっかり、たまに嫌じゃない人もいる、いい人はいない)
 ②エジプト暑すぎ
と要約されるかなりひどい話ばっかりで、ヨルダン・シリアの居心地のよさに3週間ぬくぬくとしていたわたしはかなりびくびくして入国したのでした。

で、ここ2日間の印象。

①に関しては、確かにヨルダン・シリアより観光客をカモにしようとしてる人たちが多い気がする。何回も「この人、わたしをだまそうとしてるな」っていう人に会ったし。ヨルダン・シリアのような気の許し方はできなさそうな気はします。でも、聞けば親切に道を教えてくれる人もいるし、教えてくれてもチップとか要求されないし、話に聞いていたほどひどくもないかな、ってかんじです。今のところ。
でも別にこれって、すごくありきたりな言い方をすれば、いい/悪いとかの問題ではなく、文化の違いなんだろうけどね。なんていうか、人間行動の論理の違いというか。エジプト人は自分たちが悪いと思ってそういうことをしてるんじゃないだろうし。それが自分にとって居心地が悪いからといって、彼らの社会の中にいるのに彼らを責めるのはちょっと違う気がするよね、そういう旅行者結構いるけど。

②に関しては、まさにそのとおり。。。中東の暑さなんてもう慣れてるさ!とちょっとたかをくくっていた部分があったのですが、なんか暑さの種類が違う。蒸し暑いのかな、たぶん。わたしが最も嫌いとする日本の暑さともちょっと似ている気がします。蒸し暑さの何が嫌いって、存在してるだけでだるくて疲れること。。。これにはちょっと参っちゃいます。暑くても乾燥してれば日陰は涼しいからいいんだけど。
でもこんなんで参ってたらトーゴでやっていけないのかもなあー。トーゴはあまりにも未知なのでなんとも言えませんが。

***

さて、ここエジプトでの第一ミッションは、ガーナビザを取得すること。
昨日カイロにあるガーナ大使館に行って、申請用紙をもらい必要書類を聞いて帰ってきました。
一応メモ。エジプトでガーナビザを取るという私と同じ境遇にいる人なんてあんまりいないと思いますが、もしそんな人がいたら参考までに。

■在カイロ・ガーナ大使館
住所:1, 26th July St. Lebanon Square, Mohandessin - Cairo (←昔はDokki地区にあったが移転した。ネットにはこの2つの住所が出てて混乱するけどこっちが正しい)
電話:(00202) 3260125 / 3035498
営業時間:9-12時、ビザは火曜日と木曜日のみ
※ウェブサイトはない。

■必要書類
・申請用紙4枚
・写真4枚
・フライト予約
・ホテル予約(トランジットの場合は不要)

■料金
・トランジット:$20
・観光(シングル、1ヶ月間有効):$50
・観光(マルチ、6ヶ月間有効):$100
※支払いはUSドルかエジプシャンポンドのキャッシュのみ(ユーロはだめ)

■必要日数
火曜日に申請→木曜日に発給

というわけで今日また申請しに行きます。ただ、今ガーナでのreference addressを入手すべく、トーゴのAIESEC担当者のIsmaelからの連絡待ちなんだけど(昨日初めて彼と電話で話しました♪ >アフリカプロジェクトのみなさん)。これさえ時間内にゲットできればたぶん問題なくビザ取れそう。

これが片付いたら他に心配することもなく暢気に暮らせるはず。あ、違った、イギリスで蚊帳を買わなきゃいけないんだった。

***

ところで昨日はエジプト考古学博物館に行ってきたのですが、空調がなくて死ぬほどけだるい空気だったことは別にして、さすが本場というかんじでとりあえず展示品の数がものすごかったです。
ミイラは今までもトリノのエジプト博物館とか(ルーブルにもあったっけ?)で見たことあったのですが、改めて、この人5000年前とかに生きてたんだよね、本物なんだよね、、と思うとただただ驚嘆せざるを得ません。ガラス一枚隔てただけで、時間を超えた交流をしているというか、、、なんとも言えない興奮を覚えてしまいますね。

Saturday, July 12, 2008

ぺトラとベドウィン

ああーものすごく濃い体験をしました。

前回の投稿@シリアの後、ヨルダンに戻ってぺトラに行ってきました。
当初の予定はぺトラとワディ・ラムで3日ぐらい過ごし、その後イェルサレムに行く予定だったのですが、結局イスラエル行きを犠牲にしてぺトラに1週間強滞在し、さっきアンマンに戻ってきました。

その間、ずっとぺトラで仲良くなったベドウィンの人の家に泊めてもらってました。
その昔ベドウィンたちはぺトラの中に住んでたそうなのですが、政府の方針によりぺトラからロバで20-30分ぐらいのところに村が建設されて、今はそこに定住している人がほとんど(いまだにぺトラの洞窟の中に住んでるベドウィンもいるにはいるみたいだけど)。
で、今回その村にある彼の家にずっと滞在していたわけです。

最初は「またしつこく誘ってくるよー」みたいな感じでかなり警戒&めんどくさいと思っていたのですが、たまたま会った他の観光客にも勧められたので行ってみることに。それでもその時は一晩だけのつもりだったんだけど、気づいたらこんなに長居をしてしまいました。
でも実はこれあんまり珍しいことでもないらしく、何度も戻ってくる人や、ここのベドウィンと結婚する女性観光客も結構いるらしい。

結論としては、アラブ社会の内部を垣間見た感じがして複雑な思いもあり、楽しいことも難しいと思ったこともいろいろあって、とにかくすごく大きなインパクトを私の心の中に残した1週間でした。

夢から醒めた直後のような気分のいま、思うこと。

なんでここの人たちは赤の他人にこんなにも親切にできるんだろう、、とはシリア・ヨルダンを旅していていつも思うことなんだけど、ここのベドウィンの人たちは特にそれが顕著だった気がする。
家に泊めてくれて、ご飯をごちそうしてくれて、いろいろ近くの見所に連れて行ってくれて、それでもお金は一切いらないという。彼らがなんで、どういう思いでそういうことをしてくれているのかが本当に謎で仕方ありません。
実際9割がた下心っていうのが正解なんじゃないかと思うような節もあるけど、それだけであんなにできるかって改めて考えたらそうじゃない気がする。

でもやっぱりそれは自分が「アウトサイダー」×「女」であるからというのは明白で。
実際に村には女性観光客は何人もいたけど男性観光客はひとりもいない。

それに、わたしを泊めてくれていたベドウィンはよく「Woman the first」(←Lady firstの間違いだよと何度も指摘したのに直らず・・)と言ってくれていたのだけど、あるとき「君は観光客だからね、ベドウィンの間ではman the firstだよ」と冗談のように言っていた。
それから、彼らの「ガールフレンド」(もちろんみんな観光客)の話をしていたときに、「スペイン人の女は男をコントロールしようとするからごめんだね。だから俺は言ってやったのさ、『俺はスペイン人じゃない、ベドウィンだ』ってね」的な発言(←海外小説の翻訳口調なのはご勘弁)。
あと村での結婚式も覗かせてもらったのだけど、男女の居場所はきっちり分かれていて、もちろん女性席は奥の方に隠れていて狭い。
他にも彼らの些細な言動から、ここは男性が動かしてる世界なんだなってことがよく伝わってくる(だからこそ外部者は女性なら入れるけど男性は入れないのかも)。

・・・と、こういうことはイスラム社会では当たり前のことなんだろうけど、ここアラブ世界での居心地のよさにぼーっとなっていた私にとって、そういう「当たり前」を教科書の文章とかじゃなく目の前で見ることは、ぴしゃりと水をかけられたような経験でもありました。

中東大好きとは言っているけど、そして今もその思いは変わっていなけど、ここで「インサイダー」として生きる、という決断は(少なくとも今は)できないな、と強く強く思った。そういう意味でここの人と結婚するという観光客の決断力というか勇気というかはほんとすごいと思う一方で、理解しがたい。

でも逆に言えば、「アウトサイダー」×「女」ゆえの居心地のよさなんだ、ってことを納得してしまえば、それはそれはとても楽しくて。だから長居する観光客の気持ちはよくわかる。

ピックアップトラックの荷台に乗って砂漠に行って、キャンプファイヤーでご飯を作って、満天の星空の下で眠って、朝は川で水浴びをして。野宿とか、枯れ枝で焚き火とか、そういうことが彼らにとっては当たりまえ。
こういうのを「豊か」って言うのかもしれないなあ、とありきたりだけど思ったり。

「Enjoy this moment, enjoy the life」と彼らが口癖のように言う言葉が印象的でした。

でもこれは逆説的だけど、わたしにとってはこれが期間限定だからこそ楽しめたのかな、とも思う。こうやって日々が過ぎていく人生にわたしは本当に満足できるだろうかと言ったらもしかしたらそうかもしれないしそうじゃないかもしれない。

でもやっぱり、ぺトラを知り尽くし砂漠を知り尽くした「野性的」な彼らの姿は、city girlであるわたしにとっては新鮮でかっこよく映ったのは確かです。
(もちろん逆に彼らが知らなくてわたしが知っていることももちろんあって。たとえば性病の話をしたら相当おびえていた。)

この1週間、「異文化」というものを本当にいろんな側面から見られた気がします。今までは面白さばっかりに惹かれていたけど、それに目が眩んでしまうのは時にはものすごく危険なことなんだということもよくわかった(ここには書けない経験も含めて)。

あ、そうそう、ぺトラ自体もね、本当にすごかったです。あれは高い入場料(3000円ぐらい!)払って行く価値あります!!! ベドウィンたちとの交流を抜いても、ぺトラが今までの旅のベストになったことは間違いありません。みなさんも機会があったらぜひどころじゃなく、機会を作って行って下さい。

Tuesday, July 01, 2008

暇を持て余す

っていうのはほんとにこういうことですねー。
今日の夜行でシリアを出てアンマンに戻るつもりなのですが、今とにかく暇で暇で仕方ありません。
ネットカフェで余った時間とシリアンポンドを使い果たすという廃人的目論見。

だってー、ハマはもう全部見尽くしたし、ちょっと遠出できるほどはお金ないし、ホテルにある本全部読んじゃったし、持ってたフラ語の本もおとといぐらいに終わっちゃったし、チェックアウトしちゃったから寝るベッドもないし、とにかく暇なんだもーん。外でぼーっとするのには暑すぎるし。。

しかもなぜかここのネットカフェ、ブログ本体が見られないんだよね。編集画面は大丈夫なんだけど。だからたまりにたまったコメントを返すこともできず、、、。

ちなみに「ヨルダン」っていう記事に礼奈の前にコメントくれたのはどなたですか? わたしが知ってるヨルダン経験者は2人しかいなくて、たぶんHさんかなーと思ってるんですが果たしてそうでしょうか?


ところでホテルにあった『路上の夢 新宿ホームレス物語』っていう本を読んだんですが、なんかすごく新宿が懐かしくなってしまいました。やっぱり日本のかけらを感じると日本が恋しくなります。

でも、日本に帰りたいと本気で思ったことは、まだ、ない。

そんな思いが一瞬だけ頭の中をかすめたのは今までで2回だけあります。盗難にあった時と、病気になった時。でもその時もすぐ「ここで負けてどうするんだ! なんのために一人旅に出てきたの?」って思い直したけど。そう思うとそれまでの500倍ぐらい勇気と元気が湧いてきます。

自分でもすごく不思議なのだけど、去年3週間のイスラエル滞在の後に10日間だけトルコを一人でまわってた時は帰りたくて帰りたくて仕方なかった。トルコにいる間中、すごく孤独で寂しかった。
今回はその何倍もの時間をずっと一人で過ごしているのに、孤独に押しつぶされそうになるとかそういったことはまったくない。
理由をずっと考え続けているんだけど、自分でもよくわかりません。

でも、ひとつには今回の方がいろんなひととの出会いを大切にしてるっていうのがあるかもしれない。
現地の人々、宿の部屋で一緒になった人々、、いろんな人といろんな会話を交わします。だから、ひとりだけど、ひとりじゃない。
友達がいないなら、友達を作ればいい。それは今回ひとつ学んだことでもある気がします。

とはいえ、なんで去年あんなにホームシックになったのかの理由にはこれだけでは不十分そうだけど。それは今後も考えていくということで。



最近ずっと思ってるのは、自分で何とかしようと思えばどんなことだって何とかなるんだ、ってこと。
あらゆる意味で「枠」を超える、というか。世の中って、普段なんとなく見えているほどいろんなことが「決まって」いるわけじゃないんだなー。って。むしろもっともっと混沌としていて、隙間だらけで、いろんなものが交錯していて、「このボタンを押せばこれが出てきます」みたいな、そんな世界じゃないな、って。もちろんそのボタンを押しても目的のものは出てくるかもしれないけど、そのボタンを見つけられないことは目的のものを手に入れられないことと同義ではない。

って書くとなんか不正ルートで何かをするみたいに聞こえるかもしれないけど全然そういう意味ではなくて。
決まりごと(法律だったりルールだったり秩序だったり、文化や暗黙の了解的なものだったり常識だったり「普通」だったり)なんて、結局は人間が作り出したもの。そして人間が作り出したもので絶対なものなんてない。

そして世界はそんな決まりごとで区切られて整理されているように見えるけど全然そんなことなくて。もっと世界はつながっていて、自分で思うように、好きなように、どうにでも、そのつながりをたどって新しいなにかを作り出していくことができる。


相変わらず漠然としてわかりにくい文章でごめんなさい。
では外がちょっとは涼しくなっていることを期待しつつネットカフェを出ることにします。

Monday, June 30, 2008

不本意ながら沈没

こんにちは。みなさんお元気ですか? 
わたしはいまだにシリアはハマにおります。本来なら半日もあればすべてを見尽くせちゃうぐらいの小さな街にこんなにも長く滞在してしまっている(今日で5泊目)のはですね(といってもほんとの沈没はもっともっと長いんだろうけど)、、旅に出ること2ヵ月半、初めて本格的に体調を崩したためです。

ある夜、突然襲ってきた激しい腹痛、それに続く下痢、さらに追い討ちをかけるように嘔吐、、、、
一晩中トイレとベッドの間で身悶えました。

いやーそれにしても苦しかった。日本にいる時は病気になっても必ず誰か看病してくれる人がいるんだけどね(だいたい母と妹)、こっちはひとりだし異国だったし、そういう時って最悪の事態を想像してしまいがち。
腸チフスは予防接種打ったから大丈夫なはずだけど、赤痢とかだったらどうしよう。ヨルダンの市場で買った桃みたいなやつろくに洗わずに食べたのがいけなかったのかなー。この近くに薬屋さんあるかな、、ってかもしかして入院かなーでも歩き方にシリアは近代的な医療施設少ないって書いてあったからなー、、民間療法のお医者さんに変な薬飲まされて死んじゃったらどうしよう。。。。。ってかもし赤痢とかだったら強制帰国かなーああートーゴまで辿り着けないなんて、、、せめてトーゴに着いてマラリアにかかって帰国がよかったよ。。。。
みたいなことを考えたりもしましたが、なんとか乗り越えました。がんばったぞ自分。

まあ、これ、今まで日本でも2,3回やったことあるんだけどね。食あたりかノロウイルスかなんなのか原因はいつも不明なのですが、たまになんの前触れもなく襲ってくるんです。そしてそのたびに「いっそ死んだほうが楽だ・・・」と本気で思ったり上のようなたくましい想像力が働いちゃうのですが、一方でまあ3,4回目となれば対処の仕方に惑うことはなく。

とりあえず体の中が空っぽになるまで出し切る。ちょっと波がおさまった隙に正露丸を飲む(←実際の効能よりはプラシーボ効果を期待)。脱水症状で死ぬと思ったら即座に粉末ポカリを動員。そしてしばらく苦しみ続ける(←地獄フェーズ)。そして苦しみ疲れて眠る。起きるとだいたいは腹痛が治まってだいぶ楽になっている。

ということで2日間ホテルで寝つぶして、ホテルの人にビスケットとゆでポテト(←シリアでは下痢に効くと言われているらしい?)を恵んでもらったりして、ほぼ全快して今に至る、ってかんじです。

それにしてもポカリは偉大です。ポカリがなかったら脱水症状でひからびてミイラになって5000年後に土から掘り返されて博物館の展示物になるところでした。ありがとうポカリ。

それから体の中がからっぽになって、ようやく痩せたなーという実感がわきました。薄っぺらいです、自分。旅に出るといつも密かに期待している「食あたり→痩せる」という流れが、フィリピン以来初めて実現しました。ありがとう病気。
・・・とは元気になった今だから言えることですが。いやーやっぱりほんとに苦しかったよ。健康第一という言葉が改めて身にしみました、ほんと。

さて、今日は元気になったので写真屋さんに写真を撮りに行き、ホテルの人にランチをごちそうになり、ようやくハマ観光を実現させて、明日にはここを出てダマスカスかアンマンに向かおうと思っています。

みなさんも体調には気をつけて元気にお過ごしください。

Friday, June 27, 2008

暑い。。。。。

今、シリアのハマというところにいます。ビザンツ帝国時代からあって今でも現役で動いている水車で有名なところらしいです。

シリア、本当におもしろい。ヨーロッパで感じていた“たかが知れてる感”みたいなものを、まだ一度も感じていません。毎日毎日感動と驚きの連続です。ちょーえきさいてぃんぐ。
エキサイティングすぎて何から書いていいのか全然整理できていないのだけど、とりあえず思いつくままに書いてみます。いつもネットカフェから書いているので、あんまりじっくり書く暇がなくて例によって殴り書きですがごめんなさい。

◆カオス
わたしがこよなく愛する、“アラブ的カオス”。ダマスカスの旧市街は、まさにそれ!!!!ってかんじで、スーク(市場)をただひたすら彷徨い歩いているだけで本当にわくわくするの。なんていうか、きれいに整理されていないところがいいんだよね。なにかが隠れているかんじと、人間の温度が直に感じられる気がして。ダマスカス、素敵すぎます。サウロが失明(?)したところでもあるし、小さい頃から習ってきた世界が現実としてここにあるんだと思うとほんとそれだけで感動するよね。ああすばらしい。

◆砂漠
日本にもヨーロッパにもない、なーーーーーーんにもない砂漠。大好きです。
あのなにもなさ。去年のイスラエルで初めてこの「なにもなさ」に出会って、いまだかつてないほどの衝撃を受けた。もちろんものすごく主観的ではあるんだけど、あそこほど神の存在を感じた場所は他にありません。正確には、神の存在を必要としている場所というか。神聖だとか霊的だとかそういうのでは全然なくって、むしろそういうのを感じさせるものが本当になんにもなくて、そのなにもなさがあまりにも壮絶すぎて、ああ、これは神が必要なんだな、って、なんかすごく納得してしまった。神がいる/いないとかいう次元ではない、というか。。全然うまく言えてないですね、ごめんなさい。
ところでわたしが神を感じる場所っていうのにはある傾向があって。教会だとかそういうところではまったく神聖さとかを感じなくて、むしろ人間の欲みたいなものを感じてしまう。バチカンのサン・ピエトロ大聖堂とかはまさにそんなかんじでした。あの床と高い天井との間にこもる音のかんじは好きだけど、それはまた別の話。で、どんなところで神を感じるかというと、やっぱり自然なんだよね。この中東の砂漠に限らず、ヨーロッパでも、日本でもそうだった。人間が造り得ないもの、人間を超越したものという意味で、神っていうのはやっぱり人間と自然との関係の中で生まれるものなんじゃないかなーという思いを最近強くしています。
ちなみにパルミラでは周りに誰もいなかったから、遺跡を舞台に、砂漠とオアシスを観客に、ジャイアンさながらの一人リサイタルをしました。気持ちよかった♪

◆ユーフラテス河
のほとりのデリゾールっていう町にも行きました。ユーフラテス河は、ものすごく大きくて、ゆったりと流れていて、本当に包み込むような河でした。夕暮れ時に見に行ったのだけど、すごくきれいだった。そしてなぜか東南アジアを思い出した。

◆異文化
・・・と、こんな風に毎日毎日感動しっぱなしでいられるのも、やっぱりここが異文化で新鮮だからなんだろうなーと思うわけです。で、異文化にいればどきどきわくわくもいっぱいだけど戸惑うことも結構あるわけで。。
観光客という短期かつ表面的な経験しかないままに文化とか語るのは非常に危険であることは十分わかった上で、でもやっぱりこの今しか感じられない新鮮な驚きや戸惑いとそれをめぐる思考を残しておきたい気もするのであえて書きます。

人間関係のあり方がよくわからない。なんていうか、、女性が男性と同じように働いていたり対等に話しているようにも見えるけど、ヨルダンやシリアでは「家の恥」のために家族によって殺される女の人がいっぱいいるっていう話も聞くし(というか前に『生きながら火に焼かれて』って本読んだりした)。。別に旅行者としてここにいて男性より下に見られてるとかそういうことは感じないのだけど、ここで生きていくのはまったく次元の違う話で大変なんだろうなあ、とか漠然と思います。女性に関して、自分たちとそれ以外の人へのダブル・スタンダードが存在することは間違いなさそうな気がする。ここの居心地のよさはアウトサイダーだからこそなんだよね、たぶん。

ここでは西洋の論理(と、それに染まった日本の常識)は通用しないところなんだな、ということだけは毎日身をもって感じる。そういう意味で、初めて究極の異文化体験をしている気がします。
たとえば、人々の親切さ。イスラームの徳とかそういう側面もあるのかもしれないけど、ここの人たちは本当に本当に本当に親切。道を聞けば目的地まで一緒に歩いてきてくれるし、しょっちゅうお茶とかご飯とかごちそうしてくれるし(下心のある場合も多々あるけどない場合もある)、時にはバス代払ってくれちゃったりするし、バルセロナでの盗難のこと話したら自分のお店の売り物をただでくれた人もいたし。。数え上げたらきりがないほど、本当に親切なんです、ここの人たちは。で、これって、交換原理に支配されきってないからなのかなーとか思う。わたし(たち)って、普段なにごとも等価交換が当たり前のことのように生活してるけど、別に等価交換をしなきゃいけない根拠って実はあんまりないのかも、とか思いつつ。

◆トルコはEUに入れないであろう
と確信するに至りました。だって、今回訪れているヨルダン・シリアと、去年の夏言ったトルコ、本当にそっくりだもん。歴史を共有してることももちろんあると思うし、何より人が似てる。ありえないくらい親切なところとか、だけどセクハラが半端ないところとか。トイレも同じだしw トルコはヨーロッパじゃない!というのがわたしの結論です。

◆クネイトラ
ってご存知ですか? ゴラン高原にあって、1974年(たぶん)にイスラエルが爆撃したシリア人の町です。シリアはあえてその町を爆撃されたままに残していて、今は国連とシリアが共同管理してるみたいです。先日そこに行ったのだけど、、言葉を失いました。建物の天井はコンクリとは思えないほどにぐにゃりとまがって地面に押しつぶされているし、かろうじてつぶれいていない建物の壁という壁には銃かなにかで無数の穴が開いている。病院も、教会も、モスクも、なにもかも破壊しつくされている。本当になにも言葉が出なかった。
さらに驚いたのは、爆撃後大半の住民が近隣の町に移住した中で、こんな廃墟のなかにまだ3組の家族が暮らしているということ。学校もお店も病院もなにもなくなってしまったこんなところに・・・。残ると決めた彼らの思いには、わたしなんかには想像もつかない重みがあるんだろうと思いました。
そんな真っ白になってしまった頭にかろうじて浮かんできたのは、「戦争は憎しみしか生まない」という言葉と、今まで何度も写真や映像で見てきたヒロシマの風景。でも、そんな言葉もかつての住民だった人々にはキレイゴトとしてしか響かないのかもしれない。「許す」ということがなければ決して前には進めない、そしてそれができないことは自分にとってもとても苦しい、けど、「許す」ってそれほど簡単なことでは決してない。戦争なんかに比べたら些細なことではあるけれど、私個人の経験を振り返りながらぼんやりとそう思います。

+++

さて、そんなかんじで今はガーナのビザをどこでとれるのか模索中です。最初はイギリスでとるつもりだったんだけど、もっと中東にいたくなったから中東でとろうかと。エジプトにはガーナ大使館あるっぽいのでたぶんエジプトでとれるかなー。なにかガーナのトランジットビザ情報持ってる人がいたら教えてくださいませ。

Friday, June 20, 2008

ヨルダン

にいます。

やっぱり中東大好きだーーーーー!!!!!!!!!!!!

と叫びたい。

Sunday, June 08, 2008

初体験

フィレンツェからこんにちは。

初体験、例えばカジノとかだったらおしゃれなんですけどね。
生まれて初めて痴漢に遭いました。

トリノの後ニースに一泊して、近いからついでにモナコに行きました。
ニースから電車で30分ほど。モナコのホテルは高いから、ニースから日帰りで行っちゃえ、というわたしと同じ魂胆の人々でかなりの賑わいを見せる行きの電車。ヨーロッパの電車で初めて立つということをしました。まあそんなこともたまにはあるよね、ということでモナコ到着。地中海の深い蒼が目に心に眩しい!! 燦々と輝く太陽の下、モナコを散策。有名なグランカジノを外側から見学。

ここまではよかった。

しかし、、帰りの電車は行きにも増して混み合い、ここはインドか朝の田園都市線か!? と目を疑うような惨状。そんなことを考えながら息も絶えだえに電車に揺られていると、壁についたわたしの手に妙に頻繁に触れ合うもうひとつの手、、、気付けば腰にも手の感触、、、

これ、、、、もしかして痴漢?????

そうと気付いてからは、必死に抵抗。もう少しで顔をぶん殴ってやろうかと思いました。

あー気持ち悪かった。そして胸くそ悪かった。

こういうことがあると、男って、、、という帰納をしたくなってしまいますね。でも実際、下心のない男の人なんているのかしら? どうなんですかね、わたしの男友達諸君???

でもいやだいやだと言っていても仕方ないので、これでまた経験値UPと思うことにします。

この痴漢事件を除けば、ニースもモナコもいいところでした。
ニースは浜辺が砂じゃなくて石で、波がひいた時に転がる音がすごく素敵。
モナコはすべてが高いのかと思っていたら、意外と庶民的なお店もあることに驚き。

そして旅を始めて3度目の夜行に乗って、ここフィレンツェに来たというわけです。
フィレンツェもすごく素敵ー! ドゥオーモは圧巻。。しかしイタリアは他の国と比べものにならないほど人が多い!! 今日もウフィツィに1時間ほど並んだのだけど全然入れそうになくて、明日朝一で再挑戦することにしました。

それではまた。ちゃおー

Wednesday, June 04, 2008

まんまる

明日からまた一人旅再開です。
この瞬間がいちばん嫌い。
(昔からの)友達や知り合いと一緒にいて心も体も休戦状態になって、さあこれからまた一人でがんばらなきゃ、って思うと、旅ってやっぱりエネルギーがいるものなんだなあとか思ったりします。なにもかも一人でやらなきゃいけないからね。それが当たり前のうちはなんともないんだけど、一度こうしてのんのんと暮らせる日々を送ってしまうと、また一人に慣れるのにちょっとだけ時間が必要です。特に精神的に。

Erika家では、本当にこれ以上ないくらいのおもてなしを受けてしまいました。たぶんこの3日間だけで顔の丸さが1.5倍くらいになった気がする。。。家族みんなとーーーーっても温かくて、すばらしく居心地のよい滞在でした。

おもしろかったのは、彼らの話しているイタリア語を、わたしはフランス語経由で理解してたこと。話せないからエリカの通訳がないと会話には参加できないけど、フランス語と同じような単語がいっぱいあるので彼らが何を言ってるかはだいたいわかりました。ヨーロッパ言語って、やっぱりずるいよねー。同じ外国語って言ったって、わたしたち日本人とはスタート地点が全然違うもん。

昨日は1日Torino観光に連れていってもらいました。ということで久々の写真アップ。Erikaと、ErikaのボーイフレンドのSilvioとわたし。

Torinoって、World's 2nd (としきりにErikaとSilvioが自慢げに言っていたがなにが2ndなのかはよくわからない) エジプト博物館があったり、キリストの聖骸布があったり、かつてイタリアの首都だっただけあって、意外とtourism的にもおもしろい街だったのね。エジプト博物館にいって本物のミイラの中身とかを見てかなり興奮しました。
さて、というわけで次はアテネでのN田さんとのrendez-vousまで、また一人でふらふらします。
日本のみんなは元気ですか?

Monday, June 02, 2008

5年ぶりの再会

とうとうこの日がやって来ました!!
アメリカ留学中、同じ高校に通っていちばん仲のよかったイタリア人のErikaとの再会!!!!!!

留学が終わってから一度も会う機会がなく、再会を願い続けて早5年。ああ本当に嬉しい。
右も左もわからなかった登校初日から、頭の上から爪先までアメリカナイズドされて卒業するまで、毎日顔を合わせて苦楽を共にした、いわば戦友というかなんというか。わたしの留学先での高校生活の思い出の半分くらいは、Erikaなしには語れません。

今日Torinoの駅に着いた時も、一目でお互いわかった。5年の月日は長かったようで短かったようで、お互い変わっているようで変わっていないようで、あの頃の思い出はもうはっきりとした形では残っていないのだけど、でも5年の空白などなかったように、自然とこぼれ出る笑顔とおしゃべりと。

再会っていいものですね。ほんと。

それから、久しぶりにスーパーのリンゴとバナナとヨーグルトとパンだけで生きのびる生活から脱却できたのが嬉しくおいしい。本当に久しぶりに、満腹感というものを味わいました。しあわせ。

でもね、恒常的空腹とでもいうものを体感できるのも、こんな貧乏旅行ならではなんじゃないかと思います。生理的欲求が満たされないことがどんなにつらいことか、結局どこまでいっても模擬的ではあるけれど、ちょっとだけその苦しみを身をもって理解できた気がしています。鳩にエサあげるくらいだったら私にちょうだい!! と叫びたくなるような、かなりの切実さがある。。。


さてさてちょっと時間をさかのぼって、前回の投稿以降の旅の進捗をば。

§Salzburg§
ホテルでSound of Musicを上映していて、それが観られたのが最大の収穫。中学1年の部活で上演したという思い出深い作品なのだけど、実は本物の映画を観るのは今回が初めてでした。この映画を観てから街に繰り出したおかげで、街歩きの間中、頭の中で流れるBGMは"The hills are alive..."の美しい歌声でした。有名な砦は、入場料が高かったので入らず、、でも山をひたすら道に迷いながら散歩して気持ちよかった。
それからここのホテルであった人たちは、みんなすごくフレンドリーで親切で楽しい人たちでした。
あとネットカフェがとても安かった(1時間1€!!)のが素晴らしい。

§Hallstatt§
This has been the best!!!! ってかんじですね、結論から言うと。アルプスの山と湖に挟まれたとっても小さな町なのだけど、相変わらず都市疲れしていた私にとっては、何日でも滞在したくなるような素敵なところでした。
軽い散歩のつもりが、おもいがけず8時間ものがっつりハイキングをして、アルプスで最も美しいといわれる滝に言葉を失うほど感動したり、雪解け水でほてった体を冷やしたり、自然にたっぷり浸ることのできた本当に素晴らしい滞在でした。
知人のおすすめだという以外全く何の情報もなく訪れたのですが、本当に行ってよかった。オーストリア近辺に行く人は、絶対にここを訪れるべし!!

§Wien§
前日のHallstattでのハイキングにより激しい筋肉痛に襲われ、メインエリアに赴くのを断念という暴挙に出てしまいました。だって歩けなかったんだもん。。ひたすらドナウ河のほとりで寝ていました。以上。
でもなんか、沢木耕太郎のいう好奇心の摩耗じゃないけど、なんかもうヨーロッパの都市はだいたいたかが知れてしまったというか。どこに行っても、まあこんなもんだよね、と思うようになってきてしまった。。。

§Venezia§
スペインとイタリアは危ないと聞いていたこととスペインで実際に盗難にあったことが相まって、とにかく神経をすりへらした。
ベネチアの街は、言うまでもなくきれいです。もちろん。特に海の色がすごく綺麗な緑色だったのが印象的だった。
あと、日本人の観光客がいっぱいいて、久しぶりに日本語で会話できたのが楽しかった。個人旅行者って団体を嫌う傾向があるっぽいけど、わたしはとにかく日本人と話せるのがうれしくて、団体だろうと個人だろうと関係なく話しかけてました。
ちなみにここの駅のTourist Infoはものすごく不親切で、ケントさんに事前に教えてもらっていた宿情報がなかったら路頭に迷ってバックパックの重さに押しつぶされて消えてなくなってしまうところでした。ケントさんありがとうございます!!!

と、こんなかんじで、今日VeneziaからTorinoについて、たらふくおいしいご飯をごちそうになり、今に至るってかんじです。

ここには3泊ほど滞在して、次はちょっとフランスに戻ろうかなーと思ってます。
Torino - Nice (& Monaco) - Firenze - Roma - Brindisi - Patra - Athens
というかんじで、アテネではN田さんと合流します。わくわく!!

では夜も更けてきたのでそろそろ寝ます。
Ciao!!

Sunday, May 25, 2008

ご無沙汰

しております。
しばらく書いてないと書きたいことがいっぱいあるのに何から書いていいのかよくわかりません。
とりあえず今、オーストリアのSalzburgまで来ました。しゃりおのおすすめなので楽しみです。

前回の投稿はジュネーブからでしたが、その後、
Bern - Paris - Mont Saint Michel - Brussels - Amsterdam - Köln - Berlin - Füssen - Rothenburg
を経て、今に至るってかんじです。

誰かにオススメされたところは基本的に全部行ってるんだけど、のんちゃんオススメのBernも、まいちゃんオススメのMont Saint Michelも、ほんと素敵でした。行ってほんとよかった。どうもありがとう!!

ちなみに時間がないので結論から言うと、パリ、住みたいです。パリに惚れて当初の予定の2倍も滞在しちゃったよ。

ヨーロッパのベストはパリだなーと思ってフランスを出てからしばらくフランスシックみたいなのになっていたのですが、南ドイツに来てそれもふっとびました。
南ドイツ、すごく素敵!!! 自然がいい。空気吸うと心も身体も洗われるようなかんじがする。
パリはパリですごくいいけど、南ドイツはまた違った魅力があるなあとしみじみ。

いろんな出会いもありました。
パリでは、ニューヨークで知り合った人の家に泊めてもらったり。Füssenでは、おばさまたち3人組の車でNeuschwansteinまで連れていってもらったり。いろんなところで、カメラを盗まれたころに同情して、写真を撮ってくれて送る約束をしてくれたり。どこに行っても助けてもらってばっかりです。

旅に出る前に、恩師から言われた、
"自分が得るばかりじゃなくて、たまには自分を削るということも考えなさいね。"
みたいな言葉を、最近よく思いだします。ほんとそうだよね。旅人だから、とか、学生だから、とか、そんなものは言い訳にもなりませんね。

今後の予定は、
Hallstatt - Wien - Venezia - Torino ......
ってかんじでイタリアとギリシャに行きます。

I can't spend any more for the internet now but will get back to you again soon! Thank you again, as always, for your comments and messages!! C-ya

Sunday, May 11, 2008

最近のわたし

なんか観光リポートみたいな投稿が続いてもつまんないな~といま自分のブログを読み返していて思ったので、そろそろ旅立って1ヶ月経つことだし(まだ1ヶ月なのね!?)今日は旅に出てからのわたしの変化(からだ編)について書こうかと思います。カメラもないし写真でお伝えすることもできないので、できる限り想像しやすいような解説を試みます。


《変化その1:体色》

もともと夏休みとかちょっとどこか行くとすぐに日本人ではなくなってしまうほど、日焼けしやすいわたし。今回、困ったことに日焼け止めを日本から持ってくるのを忘れてしまったうえ(どこかで買えばいいんだけど、、お金ないんだもん)、入場料がかかるような屋内の施設には滅多に入らず部屋でのんびりできるようなホテルにも泊まらず、ひらすら青い空と輝く太陽の下でさまよい歩く日々が続いているため、案の定どんどん体色が変わってきています。

でも今回はいつもとちょっと違う気が・・・。
いつもはとてもいいかんじにこんがり小麦色に焼けるのですよ。でも今回はなんか、、なんていうんだろ、土気色みたいな?? なんか緑がかったような不健康そうな汚れみたいな茶色に変色しています。なんでこんな色になってしまったのかはまったくもって謎です。しかも腕時計とビーサンの跡がくっきり。悲しいです。


《変化その2:身長》

わたしの旅の相棒、バックパックのMr. Gはなんだかんだで20kg超にまで膨れ上がりました。出発時は18kgで、出発してからほとんどもの買ってないのに、なんで重くなったかはよくわかりません。

Anyways, 20kg未満だとまあ大丈夫なんだけど、20kgを超えるとさすがに厳しいものがある・・・。だってalmost体重の半分だよ?! 
背負う時はまず精神統一。心を落ち着けて、覚悟を決めて、渾身の力を振り絞って、一本背負い並みの気合で背負う。そして一旦背負ったら常に、先住民族と戦うジャックスパロウさながらの前傾姿勢をキープ。

そんなかんじで日々重力と(?)戦っているので、絶対身長縮んだと思います。でも筋力はついたかも。
そろそろ荷物捨てたり日本に送ったりしようと思ってはいるんだけどねー。やっぱり自分から手放すのはまだまだ苦手なんだよねー。。


《変化その3:体型》


・・と書きたいところですが、たぶん体型は変わってません。痩せてもないし太ってもないと思う。残念。。


《変化その4:体調》

すこぶる好調です。というか日本にいるときよりよくなった。
というのも、日本では昨夏イスラエル・トルコから帰って以来今回の出発まで実に7ヶ月の間ずーっと風邪みたいな症状が治らなくて、なにか大病を患ってるのかも・・と真剣に不安になるほどの状態だったのですが、日本の外に出てみたらそんなことがまるで嘘のように、くしゃみも鼻水も咳もまったく出なくなりました。あれは一体なんだったんだろう。。

わたし日本ではティッシュなしで出かけるとか絶対にできない子だったの。別にそんなに症状がひどくない日でも、「今日はティッシュ持ってない!」って思うだけで不安で不安でたまらなくなるというどうしようもない子だったの。
だけどスペインでのLuke事件で金品とともに持っていたティッシュを全て奪われて以来、新たにティッシュを買うようなお金は到底なく、本当に何年ぶりかにティッシュ・フリーな生活を送っています。
これ、わたしの中では本当に大事件。感動です。

スペインの泥棒(たち)は、わたしの金品を奪うかわりに本当にいろんなものをわたしに与えてくれました。とこんなくだらないことでも思ってしまうわ。


ということで全然MECEじゃないけど、とりあえず最近のわたしはこんなかんじです。


***

さてさて。


いみじくも「好きなだけいていいよ~」と言ってくれたMずしさんのお言葉にちゃっかり甘えて、ここジュネーブには3泊もしちゃいましたが、明日の朝にはまた旅路につこうと思います。


のんちゃん、わたしベルンに行くことにしたよー! いろいろアドバイスどうもありがとう☆

世界遺産というベルンの街並を堪能したのち、天下のパリに向かいます。わたしの周囲のパリ評価は賛否両論あるから、自分の目で見るのが楽しみ。


2泊3日予定のパリでのミッションは以下の6つ。
・セーヌ河を眺めながら山崎まさよしの「ふたりでPARISに行こう」を口ずさむ。
・『深い河』のパリのシーンと現場とを重ね合わせて、実写版『深い河』を頭の中で上映する。
・ルーブル美術館に行く。
・ベルサイユ宮殿に行く。
・世界一周航空券を手配してもらったJTBのパリ支店でフライトチェンジをやってくれるか(だって自分でやると電話代とかかかるでしょ?)お願いしに行く。
・フランス語をできるだけ使う。


パリの後は「フランスの江ノ島」と名高いモンサンミッシェルにちらっと寄って、ベルギーに抜ける予定です。

Friday, May 09, 2008

Bonjour de Geneve! (今日は日本語だよ)

なんか、本当にいろんな人が励ましとか心配とか具体的なアドバイスとかのコメントやメッセージやメールをくれて、胸がいっぱいです。本当に本当にありがとうございます。おかげさまで、元気です。

今Mずしさん(Kばさん風にw)のところにお邪魔してます。Mずしさんと海外で会うのはこれで2回目。相変わらず素敵な方です。今日はチーズフォンデュをごちそうになりました。久しぶりに食パンとりんご以外のもの食べた! おいしかったー!

◆スペイン後

さて、スペインを出た後ここジュネーブに着くまで、フランスのMarseilleとLyonを訪ねました。

Marseilleは、まあ、うーん。ってかんじ。港付近は魚市場もあったしそれなりにきれいで絵になるかんじではあったけど、なんか全体的にちょっと陰気なかんじがした。
ホテルはカナダ人だらけで、わたし今ほんとにフランスにいるのかな?と思うほど英語が飛び交っていました。今ちょうど大学が終わった時期なんだって。

で、Lyon。まあ予期していたといえばしていたのですが、とっても素敵でした。というのも、わたしにはこの地はちょっと特別な意味があって、
①遠藤周作が留学していた地
②『深い河』で美津子と大津が語り合った地
ということで、それを思うとただ眺める風景にも奥行きが出るというかなんというか。

でもそれ抜きにしても、Lyonは素敵な街だと思う。屋根の赤、壁の白、並木の緑、、と色がまずきれい(今まで行ったヨーロッパの町は結構どこもそうだけど、ここは特に統一感がある)なのと、煙突がいっぱいあってかわいい。それにソーヌ川とローヌ川が流れるwaterfrontだし。あとはなんというか、あんまり大きくないのがいい。最近ちょっと「都市疲れ」みたいのしてたので安らぐかんじがしました。

わたしがいちばん気に入ったのは、Fourviereです。丘になってるんだけど、小さな山といっていいんじゃないかと思うくらい結構高さがあって、登るのがものすごく大変だった!! 1時間ぐらい道に迷ったあげく、ようやく見つけた緑に囲まれた細い階段&坂道をひたすら上り続けることさらに30分・・・もう足が動かない・・・そう思いながらも少しずつ歩を進め・・・急に開ける視界、眼下に広がるLyonの街並!!! この感動ったらありません。登った疲れもふっとんじゃうぐらい、素敵な光景でした。というか逆に、そんなに苦労して登ったからこそ、感動もひとしおだった。

それからここで初めてユースホステルAuberge de Jeunesse du Vieux Lyonに泊まったんだけど、1泊16ユーロなのに立地が最高! Vieux Lyonの中の丘の中腹にあって、ここからもLyonの街を一望できるという、なんとも贅沢な眺め。

というわけで個人的な思い入れのせいもあってかなくてか、Lyonはすごく満足度の高い街でした。Lyonを去る今朝はすごく名残惜しかった。

◆旅について

ようやく旅慣れてきた感があるかな、ってかんじがしてます。
食料を地元のスーパーで調達して持ち運ぶようになったり、旅人の会話の仕方(なんていうか表現しづらいんだけど)を身につけたり。新しい場所に行ったら何をするかとかもなんとなく習慣づいてきて、要するに旅という非日常がだんだんと日常化しつつある。まあ傍から見ればそんなわたしの中の小さな変化なんてお構いなしで、一観光客であることは変わらないのだけどね、残念ながら。

でもおそらくその「非日常の日常化」と関連して、「旅」とは何か、っていうのを最近よく考えます。でもこれはまだあんまりうまくまとまってないし眠くなってきたからまた今度。

◆これから

スイスはここジュネーブだけでさらっと再びフランスに抜ける予定だったのですが、のんちゃんにもMずしさんにも勧められたのでベルンまで足をのばそうかちょっと悩んでいます。
なんか都会はちょっと疲れちゃった感があるので、田舎とか古い町並みが残るとことかに行きたいんだよね。日数と相談しつつ考えたいと思います。

Monday, May 05, 2008

last day in spain

first of all thank you all so much who gave me messages or comments. and thank you haraguchi san for very useful information, but the thing is; i cant find the language bar on this all-spanish computer!!
so here it goes again, in english... sorry about that, haha

anyways, tomorrow morning i will be leaving barcelona, heading to marseille via montpellier.

here in barcelona i was just so amazed by gaudi's work. i loved guell park most of all. this is probably my first time to be totally impressed by an artificial object. it was just so amazing.
other than that barcelona seemed just ok to me.. the guy who i was going around with said they should've named this city gaudi and not barcelona, and i totally agree! hehe

as for the thing that happend yesterday morning (the theft and all that), i am starting to kinda appreciate it now. i mean, of course it is a shame that i've lost everything, but at the same time it kinda gave me more freedom. i know it sounds weird but this is how i am feeling right now.
when you have something it seems so precious you never wanna lose it and you even think you can't live without it. but once you lose it for some reason (not always an easy one) , and even if it might be despair that covers your heart all over in the beginning, in the meantime you move onto another height of perspectives; now there is nothing to lose anymore, nothing to keep you in a tight chain of greed.

hmmm.. nanka english ni jishin ga naiyo- umaku tsutawatta kana?
ushinau koto ha totemo kowai koto de, jibun kara ha nakanaka dekinai koto dakedo, ittan gaibuteki na youin de sounatte shimaeba, shibaru mono ga nanimo nakute, "nimotsu" ga kata kara orite, tokihanatareta kanji ga suru no. nanka "gaining through losing" tte kanji?

and here i recall a phrase from "Deep River" by Endo Shusaku, "tamanegi ha subete wo katsuyou nasaru no desu." (teki na something..)
there is no absolute goodness or badness. it's just a matter of when and where and how you look at something.

Saturday, May 03, 2008

real trouble

Hey, I am writing this from a hostel in Barcelona.

Why in English? Well, because, I have pretty much everything stolen!!!!!

I had this little backpack (I named him Luke, by the way) with me along with the big one (Mr. G is his name), and kept most of my valuables in there. I took a night train from Cordoba to Varcelona, and when I woke up, Luke was gone! Gone with my laptop, camera, dictionary, music player, USB memory, and yes, cash of more than 2300 euro too.

Everything's pretty much taken care of now though, I went to the police and called the insurance company and that kinda stuff.
And at least I didn't get hurt or killed or anything, and I still have my passport, credit cards, cell phone, plane tickets, and stuff like that, oh, and my diary, too. So please people, don't worry about me too much. Just a nice, warm massage will do. Haha. ;)

Plus, I made a new friend at the police station, he got his wallet stolen on the same train too. And guess what - we are both Japanese. Funny, huh?

Anyway, I'm not gonna let this little accident ruin my whole trip, so I'm gonna go see the great Sagrada Familia with the Japanese friend now.

By the way, thanks for all the comments on my previous posts! It's so nice to hear from you guys in Japan. They do cheer me up a lot. THANK YOU.

Thursday, May 01, 2008

やらかしました

おら! マドリッドからこんにちは。

昨日、やらかしちゃいました、、
泊まってるホステルの同じ部屋で仲良くなったアルゼンチン人と飲みに行ったのち、酔っ払ってトイレで服を失くした。。。。朝起きて我に返りましたが、当然あとの祭り。お掃除のおばちゃんにいかにも「今掃除してんのよ、あんた邪魔よ」みたいな顔で追い払われました。
酒は飲んでも呑まれるな、前にも書いたような気がしますが肝に銘じたいと思います。意識も記憶も全然あったんだけどなー。やっぱりぼーっとしてたんでしょうね。パスポートとかお金とかじゃなくてまだよかったよね。

さて、よく驚かれますが今回が初のヨーロッパです。
すごくすてき!!!!!! なんか今までとても愛していたNYも色あせて見えるほど素敵です。なにより街並が歴史を感じさせるしものすごくきれい。でも、NYのよさはポジティブとネガティブが混在しているところ、「汚い」ものも一緒に抱え込んでるところにあるんだなー、と思ったり。
物価が高いのだけはちょっと閉口だね、、マドリッドは他の国の首都よりは安いらしいのに、ここでこんなんだったら先が思いやられます。。。ううう。。

今日はプラド美術館に行きました。なんかEU以外の学生は通常料金の半額で3ユーロのはずなのに、チケットカウンターのお姉さんがEUの学生扱いでタダで入れてくれた。わたしがEU出身だと勘違いしてたのかな? それとも暗黙のルール的なかんじでみんなにこうしてくれてるのかな? とにかくラッキーでした♪ 
プラド美術館は、スペイン王家のコレクションがもとになっているらしいのだけど、こんなにたくさんの絵どこに飾ってたの!?っていうぐらいたくさんありました。絵画の美術館としては、世界最大級らしい(←地球の歩き方情報)。わたし的には、特別展ではないほうのゴヤの展示がとても気に入りました。
あと、昨夏イスラエルで発掘に参加して以来、古代ギリシャ・ローマとかの発掘物を見ると「こんなの自分が掘り出したら狂喜乱舞だろうなー」と、どうしても出土の瞬間に思いをめぐらせてしまうのでした。

その後は、宿に帰ってひたすら今後の交通&宿の予約をしてた。きっと周りには「日本人ってやっぱりPCオタクだな」とでも思われているでしょう。でもしょうがないの! なぜか知らないけどスペインは今どこも満員!! 明日はマドリッドからコルドバに移動して夜着く予定なので着いてからホテルを探すという選択肢をとることもできず、泊まるとこなくなったら野宿するほどの度胸も装備もないので、探しに探して唯一空いていたホテルに電話。歩き方にはもっと安い値段で書いてあったので、これ絶対ぼられてるなーと思いながらも仕方ないので予約しました。個室とはいえ、1泊50ユーロはいたいよ・・・(;_;)

ちなみにヨーロッパ内の移動は、Eurail Passっていう提携国の鉄道乗り放題券を使って、ぜんぶ陸路で行きます。かーなり高かったので、もとをとるべくせっせと動き回ろうと思います。人生で一番飛行機に乗った先月とはうって変わって、陸にへばりつく2ヶ月になりそうです。

今後の予定は、
マドリッド→コルドバ→バルセロナ→マルセイユ→リヨン→ジュネーブ(Mずしさん!!)→パリ→... 
ってかんじですね。だいたい。

国としては、
スペイン→フランス(+ちょっとスイス)→ベルギー→オランダ→ドイツ→オーストリア→イタリア→ギリシャ
ってかんじで回ろうと思っています。今月中にオーストリアあたりまで行けたらいいな。
あとね、イギリスは中東の後(中東はギリシャの後)に行きます。イギリスはヨーロッパだけど地続きじゃないしEurail Passも使えないんだもん。しかもユーロじゃないし!!

さて、それでは寝るとします。過去のpostのコメント返せてなくてごめんなさい。また今度。。

もしヨーロッパで、ここはおすすめ!とか、知り合いがいるとか、なにかいい情報があったらぜひとも教えてください!!

Monday, April 28, 2008

サンパウロより

こんにちは。今ブラジルはサンパウロの空港にいます。ブラジル滞在中ネットがつながらなかったからさ、ネット買っちゃったよ。24時間で11ドルくらい。でもあと4時間半ぐらいでフライトだから24時間も使えないけどね。

さてさてNY後ですが、2箇所で2人の友人のお世話になりました。アメリカはプリンストン大学のI原のところに1泊、ブラジルはブラジリア大学のえりに会いに3泊。

◆プリンストン
いやー、さすがというかなんというか、すごかったです(これ私何も言っていないに等しいね、ごめん)。東大のしょぼさ=日本のしょぼさを実感しました(苦笑)。あとごはんがおいしすぎた。
I原には至れり尽くせりというかんじにもてなしてもらいました。何より久しぶりに会えたのが嬉しかった。どうもありがとう!!

◆ブラジリア
えりと彼氏とのラブラブっぷりを見せつけられ、「ブログに載せていいよー」とまで言われてしまったので、今度時間とPCの電池がいっぱいある時に(今はサラリーマンぽいおじさんにコンセントとられちゃったから・・)、証拠写真を載せます。最後の夜はなんとかっていうブラジルのものすごーーーーく強いお酒に酔って、グッズ部遠足の川越城を彷彿とさせる夜になりました。
えりも4日間ずっとわたしにつきっきりでブラジルのいろいろなものを見せてくれて、すごく楽しかったです。本当にありがとう!! 

ところで今回のブラジル訪問で南米初上陸だったんだけど、すごくすてきーー!! なんかね、一言で言えばカラフルでchaoticなのがいい。露店と露店の間の狭い路地とか、人ごみに溢れているバスターミナルとか、見るだけでわくわくするし、なんかほっとする感じもするんだよね。あまりにも秩序だって整然としすぎているものより、混沌としている方がなんか好きです。と言う、『深い河』の美津子の言葉をそのまま繰り返したいかんじ。そして、アメリカの知人が、「ブラジルにはアメリカにはない何かがある」って言ってたのも、今ならなんとなくわかるような気がする。たったの4日間だけだけどさ。
南米は卒業旅行にとっておこうと思って、今回はえりに会うためにブラジルに寄っただけだったんだけど、ぜひとも次回はじっくりいろいろ回りたいなーと思いました。

◆総括というか、、
なんかね、今回の世界一周の旅は、
  貧乏一人旅 → まっさきに食費を削る → 痩せる!! 
という計画だったんですが、なんか本当に一人で旅してるのはまだNYだけで、あとは全部知り合いにお世話になってかなりの割合で「タダ飯を食らう」状態になっていて、食費を削れているのはすごくありがたいのだけど逆に太ってる気がします。。。
でも本当においしいご飯をいっぱいごちそうになりました。Princetonのご飯も、ブラジル料理も、本当においしい! 感動。
でも次のヨーロッパからはいよいよ本格的に一人旅の部分が多くなってくるので、今度こそ↑を達成すべく、節制してゆきたいと思います。。

◆そういえば、読書録
アメリカからブラジルに行く飛行機がまた遅れて(なんか遅れてないフライトの方が少ない気がする・・まあ飛行機なんてそんなもんかしらね。やっぱり日本のpunctualityはすごいよね)、その間に日本で出発直前に衝動買いした『バリ 観光人類学のレッスン』(山下晋司)をようやく読み終わりました。前から駒場の書籍部にあるのがちょっと気になっていて、バリに行ったのをきっかけに読んでみようと思ったのでした。
感想は、なんかこのタイミングで読んでよかったなーっていうのがまずひとつ。「観光」とは、「旅」とは、みたいなことが書いてあって、自分が1年という月日をかけてやろうとしていることっていったい何なのか、みたいな問いを、わたしをぐさりとえぐるかんじで投げかけてくれました。
ここでみんなに質問なんだけど、「観光」じゃない「旅」って、今の時代にありうると思う?

もうひとつの感想は、、と書きたいところで電池が切れる! しかももうすぐ搭乗時間なので、殴り書きでごめんなさいってかんじですが投稿しておきます。ちゃお!

Tuesday, April 22, 2008

NYC (※オリセンではない)

こんにちは。土曜日からNew Yorkに来ています。
Y光に「すっぴんでも素敵な人になってね」と言われたのをいいことに、NYに来てからメイクを放棄する日々が続いています。すっぴんはすっぴんでも、素敵ではないという罠。。。orz

泊まっているのは、N田さんのブログで知ったhostelworld.comという世界中の安宿検索サイトで見つけた、Chelsea Eastというホステルです。Lower East Sideにあって、Times Squareとかあのへんまでは電車で10分ぐらい。Little ItalyとかChinatownのすぐそばらしい。行ってないけど。
最初もっと安いホステルを狙ってたんだけど、最後までうだうだ迷っていたら空きがなくなってしまった。でも、ここ清潔だし安全だし駅からも近いし門限もないしスタッフもいい感じの人たちなので、結果オーライかな~ってかんじです。ちょっと高いけど(って言っても1泊$35だけどさ。狙ってたのは1泊$20だったの。。)朝ごはんとシーツ付きだし。無線LANつながるし。
でもやっぱりMidtownとかDowntownへの往復交通費$4/日を考えると結構な額なんだよね~。これで立地がCentral Parkの横とかだったら文句なしなんだけど。NYの地理がよくわからないままホテルを予約したのが間違いだったのか。。

Anyway, なんかね、ドミトリーの楽しさというのがわかった!
今までドミは安全面が心配でずっと敬遠してたんだけど、今回ドミにしたらいろんな人たちと仲良くなれて、一人旅の寂しさがまぎれて、楽しく過ごせています。まだまだわたしの人見知りは改善の余地大ありですが。。しかもね、これからの旅先で頼るあてゲット☆ うしし。
まあこんなに居心地のいいドミばかりではないでしょうが、孤独に精神が打ちひしがれないように今後もドミを活用していきたいと思います。

さて、日中は普通に観光客しています。でもお金がないのでタダで入れるところに行ったり公園でぼーっとしたり寝たりひたすら街をぶらぶらするとかが多い。。もちろんお買い物は一切なし(荷物的にもお土産とか買う余裕がない)。そしてご飯は街中のスタンドで売ってる$2のhotdog。あと交通費が$4ぐらいで、お水とか日用品とかの雑費が$5程度。これが1日の出費。
・・・だと節約生活成功なのだけど、NYに来たらこれだけは! と思ってBroadway MusicalとUN Headquartersには大枚をはたいちまったぜ!! 前者はGypsyっていうので$52。着いた翌日にTimes Squareのtourist infoで、火曜日の夜の回を予約しました。UNは(学生料金$9)-(tourist infoでもらった案内本についてたクーポン$1)で$8。UNはそんな大枚でもないか。
NYはガイドブックなしで行ったのだけど、tourist infoで地図とかゲットすれば全然平気だね! Tourist info、偉大すぎる。ガイドブックはガイドブックで予習できたりすごい詳しかったりするからもちろんすごーく使えるんだけどね。
ちなみに自由の女神とかは前回NYに来たときに行ったので今回は行きません。あれは1回行けば十分◎

UNには今日行ってきました。まあ、いろんなところでよく見る会議室が目の前にある、ってかんじではある。でもあの空間の空気に自分が触れている、っていうことがものすごーくわくわくするよね!! いつかただのtouristではなく入れたら素敵ですねー。

あとね、今日は、在NYのブラジル総領事館に行って、ビザを申請してきた。日本だと7日かかるとかだったけど、こっちでは翌日発行。値段はこっちで取る方が高いのですが、日本でlast minuteまでぼーっとしてたら間に合わなくなってしまったのでこっちで申請することにしたのでした。ってかなんで日本ではそんなに時間かかるんだろね。
Anyway, 書類は全部事前に用意。ここに説明が全部書いてあったので、それを100回ぐらい見て念入りに準備しました。お値段は$50。これをPostal Service Money Orderっていう、日本でいう収入印紙的な??ものにして支払いました。あーあ、$50・・・小田実・・・(涙)ってかんじだけど、アメリカ人とかカナダ人とかは$100前後支払わなきゃいけないぽくて、それを考えるとまーいっか、とも思えるのでした。

あ、あとね、昨日ぐらいにBattery Parkの横にあるNational Museum of American Indianに、入場料がタダだからという理由だけで行ったんだけど、同じSmithsonianで同じ名前の美術館なのにD.C.のものとはだいぶ趣を異にしていてびっくりでした。
感動したのは、中沢新一の『カイエ・ソバージュ』シリーズにいっぱい出てきた(ような記憶がある)ポトラッチに関する展示がいっぱいあったこと! あれを実物で見られたのはすごく興奮した。あと、西海岸の一部族が、18-19世紀に中国と交易していたらしく、「康煕通宝」とかいた通貨をふんだんに使った鎧が展示してあったこと! こんなところで康熙帝(の名前)にお目にかかるなんて!
こういう感動があると勉強に愛を感じるよね。

さて、明日はビザを取りに行って、もしかしたらGuggenheim美術館に行って、十中八九Central Parkとかでまたぼーっとしてhotdogを食べて、夜には待ちに待ったBroadwayに行きます。
あさってにはチェックアウトです。

そんなかんじで元気に過ごしています♪ ではまた。

Saturday, April 19, 2008

待ち人... その後

待ちに待っていた友達ですが、9:20頃になって電話がかかってきて、急な仕事で今まで働いてたとのこと。さらに待つこと1時間半弱、、ようやく我が家にやってきました。

彼は留学時代一番仲がよかった人たちのうちのひとり。世界共通の話題でよく盛り上がってました。

帰国後もよく電話をしたり、大学入ってからも一番頻繁に話してたのが彼。

夜遅いのに、わざわざ訪ねてきてくれてすごく嬉しかった。

前より大きくなっていた気がしたので、「背伸びた?」と聞いたら、高校卒業後に5cm伸びたらしい! でもよく考えたら、promの時も彼はものすごい中腰でわたしと踊ってくれてたなあ、と思い出し、彼の大きいのは前からだという結論に至りました。

とにかく久しぶりに会えて、というか会いに来てくれて、he just made my dayってかんじでした♪

さてさてこれから荷造りをして、明日の朝9時にここを出発。

なんかここ最近、「去る」という実感を持たないままいろんなところを去っていってる気がする。。感情って、自分自身を置く「場」次第で殺すことも異常に昂ぶらせることもできるんだよね、to some extentは、意外と。

あるいは。

出会いと別れを繰り返していると、嫌でも免疫がついてしまうもので。慣れというのは本当に恐ろしいものです。それが救いでもあるんだけどさ。でもだからこそ、慣れの少ない敏感で不安定でfragileな時代、「若さ」に価値を見出すんだろうね。

待ち人来らず

旅を始めて1週間、時間は流れるように過ぎ去り、、今夜はHF家での最後の夜。友達が来て遊びに行く予定なんだけど、、こない(*´∀`*) 待ってる間にこのpostを書いています。


昨日はFlight 93 Memorialという、9.11でハイジャックされた飛行機が墜落した、うちから車で1時間ぐらいのところに行ってきました。

ホワイトハウスか国会議事堂を狙っていたんだけど、乗客が犯人たちを妨害したためあえなくペンシルベニアの野原に墜落、ということらしく、Memorialはhonor the heroes的な空気一色。いかにもアメリカだなあ、というかんじだったけど、墜落現場を眺めながら国を守ろうと立ち上がった人たちの勇気に思いを馳せてみると、やっぱり身震いを覚えるものがありました。

でも、ここでわたしがいちばん強く思ったのは、自分の生を超える何かが自分の存在を規定するようになったとき、人間ってなんて強くなれるんだろう、ということ。それは、犯人も乗客も変わらない。
犯人に挑んだ乗客たちも、自分たちの逃れられない死を知ってああいう行動に出たわけだし、犯行時のコックピットでの音声記録の最後の数行はずっと「アッラー、アッラー」と言う犯人たちの発言。自分の生を投げ打ってまで何か――彼らにとって上位にあるもの――に必死になるという意味ではたぶん両者ともあんまり変わりがなくて、そういう意味ではそこまでしても目的を果たせなかった犯人たちがちょっと哀れな気もした。ただ、これを「強さ」と呼ぶか、信仰に頼らなければならない「弱さ」と呼ぶかは微妙なところかもね。

それから、なんというか、やっぱり彼らの一神教的な絶対者信仰、と、その絶対者との交流への確信みたいなものにはただただ驚くほかないというか。なんかうまく言葉にできてないんだけど。自己規定の仕方というのかな、うーむ。


友達はまだやってきません。

友達が来ないので、さらにさかのぼっておとといのはなし。

おとといは、お買い物に行きました。完全に夏服しか持ってこなかったら意外と寒くて。ちょっと冬服を買い足し&大好きなAmerican Eagleでお財布をゲット(お財布も持ってなかったの)。

なんかね、アメリカ(as far as I know)は日本の1.5倍くらい大きい。人も、ものも、なにもかも。しかもこのへんは(たぶん田舎だから)物価が安い! 500mlのペットボトルの水が、30本で$4(approx. 400 yen!!!)って、どういうことですか!?!? まず、30本セットで売ってることに憤慨。そして、その安さに再び憤慨。さすがにもうミルクの大きさには驚かなくなったけど、家の冷蔵庫でそのミルクの入れ物にサラダドレッシングが入っているのを発見したときは目が点でした。すごいよ、アメリカ。。。orz


友達はまだまだやってきません。

4時から8時の間に行くよ、と言われて今8時15分。もう来ないのかな。。
電話は通じないし、困ったものです。


そういえば今朝二度寝をしているときに、早朝渋谷の道玄坂を電車ごっこをしながら大勢で下っている途中「トーゴはまじ虫だらけだよ」と友達に脅される夢を見ました。それもこれもトーゴが未知すぎるせいだと思います。

あ、そうそう、あとね、すごいの!! うちの高校(アメリカの)の卒業生が、マラソンで北京オリンピックに出場するらしい!! よくこんな、1学年90人ぐらいしかいない片田舎の学校から、、すごいとしか言いようがありません。HFの長男とも友達だったそうです。みんな、ぜひ応援してね♪


8時45分。もう来ないのであろう。。。(;_;)


明日の午後の便でNYに行きます。
ブラジル総領事館にビザを取りに行く以外完全にノープラン。どうしようかな~。なにかお勧めがあったらぜひ教えてください☆

Tuesday, April 15, 2008

時差ぼけがなおらない

こういうところで体の衰えを感じるよね。。前回HFに里帰りした3年前は、時差ぼけなんてほとんど感じなかったのに。なにをしても元気が有り余っていた数年前が偲ばれます。健康だけが取り柄的なアイデンティティを、そろそろ放棄しなければならないかもしれない・・・・!!!!(~_~メ)


昨日はAFSの現役留学生たちとWashington D.C.に行ってきました。
この地域のコーディネーターのPegの引率で、毎年PAの州都Harrisburgと、首都のDCに連れて行ってくれるんだよね。今回たまたまDC遠足とわたしがいる時期がかぶっていて、Pegの厚意で便乗させてもらったわけです。ということで現役留学生時代ぶりの2回目のDC。


1. 留学生と触れ合って

まず英語がみんなうまいのにびっくり。&しょぼん。。。やばいぞ、日本人。

なんか彼らはすごく適応しているというか、かぶれているというかなんというか、外国人留学生というよりは圧倒的にアメリカのジモティーと言った方が似合っていて、わたしもかつてはこんなだったのかなあ、ともう戻れない過去に思いを馳せて不思議な気持ちになった。
高校生って、本当にfragileで、だからこそあの時期に留学することが人間の形成に大きな影響を与えるんだよね。大学生になると、「若造のペーペーが」みたいな扱いをされることはあっても、もう大人として見られていると思う(し、自己認識もそうなりつつある)。けど、高校生は、まだ子供と大人の狭間にいて、まさにmarginal manってかんじで、そのunstableさが彼らの生に躍動感を与えているというかなんというか。彼らのきらきらさがとても眩しかった。


ちなみにわたしの隣のチリ人の男の子、まじタイプでした(⊃∀`*) わたし、ラテン系にはどうしても弱いみたい。。。


2. D.C.を歩いて

Arlington National CemeteryLincoln Memorial周辺をぶらぶらしたあと、National Mallでの自由行動でMuseum of African ArtAmerican Indian Museumに行きました。Smithsonianは無料だから素敵。

African Artの方は、展示品の数はそんなに多くなかったけど、ものすごくわくわくした。Cote d'Ivoire, Ghana, Congo, Nigeriaらへんのがいっぱいありました。

なんでもWalt Disneyのコレクションからの寄贈品が大半だそうで、Disneyの新たな側面を知ってちょっとびっくり。お金があるってすごいなー。

年代を見ると17-20世紀ぐらいのものばかりで意外と新しく、colonializationの過程で奪われたものっぽいなーという印象。事実どうなんでしょうね。

Togoがあまりにも未知すぎて、ここの展示品みたいな像や甕に囲まれていわゆる非西洋的な生活をしている図をふと想像してしまい(←オリエンタリズム!!)、ひとり勝手に興奮していたのでした。

American Indianのほうは、わりと最近できた博物館らしい。Our Universe, Our People, Our Livesの3つに分かれた展示で、部族ごとの説明があったり差別のことも書いてあったりして(※過去の話として、だけど)、さすがnational museumというかんじな盛りだくさんさでした。

ところでいちばんimpressedだったのは、Our Peopleの部屋の展示のしかた。ただ並べるだけじゃなくて、展示自体がartisticで、そういう恣意的な操作ってどうなの?という疑問が浮かびつつも、少なくともattractiveという意味での効果はかなりあると思いました。結構圧巻だった。

ところで、Washington D.C.と上野公園って似てると思いませんか? 上野には政府機関はないけど、公園があって、池があって、まわりに博物館がいっぱいあって、、みたいな。上野公園作るときに真似したのかな?

ようやくみんなが起き出してきたー。そろそろわたしも活動開始しよー。

Monday, April 14, 2008

Back in the Cove!!!!!

昨日の夕方の予定が、今日の朝方近くになって、ようやく留学時代のホストファミリー宅にたどり着きました。

成田→(JAL)→NY→(AA)→Pittsburgh→(車チャーター)→Somerset→(HFの車)→HF宅

という流れだったのですが、15:55発のはずのNYからの飛行機が、遅延に遅延を重ね20:30発に。。。迎えに来てくれる人々にも大変迷惑をかける結果になってしまいました。
後で聞くところによれば、AA(American Airline)って先週も何百というフライトをキャンセルしたそうで。昨日の遅延は、too many aircrafts coming to the airport at a timeということらしく、スケジュール管理どうなってるんだ・・・ってかんじでしたが。でもロストバゲッジとかよりはいいよねー、British Airways大丈夫かな、、とか思いつつ。とりあえず無事たどり着けてよかったです。


さて、出発前夜から今までを時系列的に。

出発前夜は、飲み明かしました。すーごい楽しかった。
直前のお誘いにも関わらず来てくれたみんな、どうもありがとう。そして、半ば押し付けてしまったにも関わらず快くお店の手配をしてくれたY光、本当にどうもありがとう。
それから、応援&いってらっしゃいメールもたくさんたくさんいただきました。どうもありがとう。返信できないまま日本を去ってしまってごめんなさい。。。でも、一通一通のメールに本当に励まされました。
何をしても最近強く思うのは、わたしを生かしているのは人とのつながりの温かさなんだなあ、ということです。

飲み会からは3時ぐらいに帰り、そのまま荷造り&身支度を終わらせて、6:30のバスで成田へ。がんばって荷物を最小限まで減らしたバックパックは、それでも手荷物を除いて20kgありました。手荷物はそれはそれで5kgぐらいあると思われる。。11:45のフライトまで、見送りに来てくれた人たちとしばし歓談をして、旅立つ。

飛行機の中では、寝たり本を読んだり窓からの景色に心を奪われたり映画を見たり。個々の座席にスクリーンがついてるとちょっと嬉しいよね。ひとり、「陰日向に咲く」にぼろぼろと涙をこぼしました。隣に人がいなくてよかった。。写真は、何回見ても感動してシャッターを押してしまう、空から見る日の出。窓に顔を寄せていると、太陽が出るにつれてその熱を感じられるのもまたいい。飛行機の席はやっぱり窓側に限ります。

ていうか、JALはやっぱりサービスがいい! ご飯の時に寝てたらそのままにしてくれて、起きた時にご飯を持ってきてくれたり。食事以外のおやつ的なサービスも2回あったし。いろいろと気遣いが細やかな気がする。

暇すぎる飛行機の中で、いろいろこれからの1年のことを考えていた。けど、やっぱり1年っていう重みが全然よくわからないんだよね。なんか、いつも以上に、「いま、この瞬間」しか感じられてない気がしている。これからの生活があまりにも未知すぎるからかなあ。「未来も過去もない。あるのは綿々と続く今だけだ」みたいなことを誰かが言っていたけど、そういうことなのかもしれません。今以外の時間を体感するって、なかなかできないよね。難しい。わたしがこれから空けようとしている1年という日本でのブランクが、いったいどういうものなのか。それは、帰ってからしかわからないのでしょうね。

さて、その後NY着。久しぶりのアメリカのにおいや音に、懐かしさでいっぱいになってひとり顔がほころんでしまった。これでアメリカは3回目です。売店にある品物の顔ぶれや、すれ違った人の残り香、人々の話し声、、そういう些細なことひとつひとつに、心も体もとても敏感になっていて、心は終始bumpingでした。
で、乗り継ぎからHF宅に着くまでのいきさつは、冒頭に書いたとおり。。いやはやさすがに疲れました。今はたっぷり寝て回復したけどね。


HFのGodshall家はね、本当に居心地がいい。すごくすごくあったかい。いつ来てもそれこそ家族の一員として迎え入れてくれて、ずっと会ってなかった時間の長さなど忘れてしまうような感じがします。なんかね、理想の家族を現実にしたようなかんじなの、ほんとに。こんな家族もほんとにいるんだなあ~って、来る度に感心してしまいます。将来こんな家族を築くことができたらいいな。そのためにはまず自分が彼らのような穏やかで広い心を持たないと、ね。

それからね、やっぱり留学現役時代に比べたらしゃべれなくなってるんだろうなーとすごくびくびくしていた英語が、意外とだいじょうぶでちょっとびっくりしています。いろいろと忘れちゃったこともあるけど、でもなんか留学時代よりうまくなったような気もする。というか正確には語彙とかが増えて自分の英語力の幅が広くなったかんじ。大学の英語教育のおかげのような気もします。ありがとう、ユニバース☆

今日は日曜日なので休息日。わたし以外のみんなはお昼寝しています。こんな静かな日曜日も留学時代から変わってなくて、みんな寝ちゃったな~どうしよっかな~みたいな感覚も、すごく懐かしい。
明日はAFSの現役留学生たちのannual trip to D.C.に、わたしも混ぜてもらえることになりました。

少なくともGodshall家滞在中(土曜日まで)は、ネットへのアクセスも不自由なくできるので、またすぐ更新すると思います。Till then.. ciao!

Wednesday, April 09, 2008

Back from Bali

4泊5日のバリ旅行から帰ってきました。バリはとっても素敵でした。

なんかね、旅の感覚が戻ってきた。それに慣れてきたところで帰ってきてしまったのが、残念とも、だからこそ非日常のexcitementを味わえるんだとも、思います。

いちばんの思い出は、ガイドのMade(マディ)さんが彼のお家に招待してくれたこと。バリ島の生活や、バリ・ヒンドゥーのことや、彼のガイド職のことなど、いろいろ教えてくれました。彼の家でご馳走になったナシゴレンは、どのレストランで食べたごはんよりも嬉しくて美味しかった。↓Madeさん一家。

他には、人生初のSpaでバリ・マッサージに癒されたり、バロンダンスを観たり、バリ・ヒンドゥーの総本山であるブサキ寺院に行ったり、クタでショッピングをしたり、ホテルのプールで泳いだり。結構お腹いっぱいの4泊5日でした。日中たくさん汗を流した後でのビールは本当においしかった! やっぱりビールは暑いときに飲むに限るね。トーゴも昔ドイツの植民地だったからビールの名産地なんだって。楽しみ☆

こういうのうまく構造化して書くのが苦手なので以下思いつくままにつらつらと。。。

◆バリの文化

バリは95%がヒンドゥー教で、3%がイスラーム、残りの2%が仏教やキリスト教だそうです。ガイドのMadeさんによれば、バリ・ヒンドゥーには、カーストはあるけど実生活での差別や区別はないんだって。昔はダメだったカーストを超えた結婚もできるし、職業も自由に選べるらしい。それから、どのお店を見ても毎日お供え物を供えているし、家には必ず祭壇みたいなものを建てるらしい。これが信仰心から来ているのかもう単なる生活習慣と化しているのかはよくわからないけど、とにかくバリ・ヒンドゥーは人々の生活にしっかり染み込んでいることはよくわかりました。

それから、建築物がすばらしい。主に寺院は溶岩で作ってあって、黒い色がとてもいい雰囲気を醸し出してる。それが島のあちこちにあって、歴史を感じさせます。湿気がまたそこに生えた苔の緑を映えさせて、とてもきれい。それから村ごとに名産の工芸品みたいなのがあるぽくて、特にどこに行っても石や木の彫刻は本当に見事でした。文化の豊かさにただただ感動。
写真は、バリ・ヒンドゥーの総本山、ブサキ寺院。

◆コミュニケーション能力

なんとなくだけど、非言語コミュニケーション能力なるものがちょっとだけ身についてきたような気がする。言葉なんか話せなくても、とりあえずコミュニケーションへの意思と笑顔があればなんとかなる、っていうのはある程度ホントな気がします。もちろん言葉が話せればコミュニケーションは楽になるけれど、その逆、つまりコミュニケーションに言語が必要っていうのは必ずしも真ではない。っていうことが、だんだんと身をもってわかってきた、かな。もちろんそのコミュニケーションにどれくらいの質を求めるかによっても、必要な能力って変わってくるんだと思うけど、さ。

(・・と、いつも逃げ道を作って結論づけるのってよくないかな。。)

◆ホテル

泊まったホテルは、クタにあるRosani Hotel。

いわゆるスタンダードクラスのホテルだけど、このクラスのホテルにしては満足度は高かったです。その要因は、以下なかんじ。

・清潔

・スタッフがいい感じ、親切

・プールがある

・立地がいい:海まで徒歩5分、クタ(ショッピング街)にある、コンビニまで徒歩2分

・朝ごはん(ミーゴレン)がおいしい(インドネシア料理は基本的にどれもおいしいけどね)

・シャワーのお湯が出る

・冷房つき

・デザインが素敵

問題を挙げるとすれば、電気がつきにくかったこととトイレがよく流れなくなったことかな。でも電気はスタッフの人に頼んだらすぐ対応してくれたし、トイレはシャワーの水をかけることで解決。ていうかこういうのがちょっとあったほうが現地の風情みたいなのを感じられて好きだったりもする。

◆旅服ゲット

世界一周に持っていける、洗ってもすぐ乾くしかさばらない薄手のロングパンツを探していたのだけど、日本では季節柄なかなか見つからず。けど今回ばっちりクタで発見&購入しました♪ 一緒に買ったTシャツと合わせて着たら、インドにいるバックパッカーみたいな見かけに。。わたし、どこかに行くとすぐその土地に染まっちゃうのね。いわゆる「カブレ」ですな。

◆途上国への旅

バリの人たちはみんなすごくフレンドリーで陽気で親切。だから、観光客として道を歩くのはとても楽しい。「バリの人たちってみんなすーごいいい人なんだよね~」で終わらせることもきっとできる。
だけどやっぱり、彼らとわたしとの間にある壁というか、境界線みたいなものを、感じてしまう。同じ時間と空間を共有しているけど、ほんとは全く違う世界に住んでるんだよね。遊びに来ている観光客を相手に、生活のために働く現地の人々、という構図が思い浮かぶ。彼らの前でluxuryに浸ることに後ろめたさみたいなものを感じる一方で、そういうleisureやluxuryにお金を使うことが逆に彼らのためになるのかな、とも思う。同じ金額のお金でも意味する価値が全然違うなら、ちょっとぐらい高い値段ふっかけられても払えばいいんじゃない、とふと考えたりもする。

もしかしたらこういうのは全部単に、わたしの途上国に対する偏見かもしれない(そもそも「途上国」ってひとくくりにすること自体、偏見の表れかも)。「不幸」のレッテル貼りかもしれない。けど、もしかしたらそうじゃないかもしれない。そして、もしそうじゃないとしたら、それをこのままにしておいていいんだろうか。でも、だからといって今わたしに何ができる? 何もできない以上、一観光客としてただお金を落としていることが一番いいことなのかもしれない。でもそれは自分の後ろめたさへの言い訳に過ぎないんじゃない?? 

どんなリゾートであれ、途上国に来るとやっぱりこういうこと考えちゃうんだよね。突き詰めれば、それは「彼らにとって幸せって何か?」という問いに収斂されると思われる。そして、、こういうこと考えつつも、結局は一観光客の枠を出ることのできない、そしてその枠の中に収まることをむしろ楽しんでさえいる自分が現に存在している。るーぷ。ま、こんなnaiveなままじゃ何もできずに終わるんでしょうけどね。いかんいかん。ていうかそもそもこういうこと考えるなら国際関係とか開発とかちゃんと勉強しろってかんじだよね。。

◆旅の限界

上に書いたようなことってほんとに単なる疑問であって、何らかの答えを想定して発せられるほどの確信はなにもない。やっぱりほんとのところを知るのには4泊なんていう滞在じゃ不可能で。Just a glance at superficial thingsで精一杯だよね。ブレスト的な問題提起はできたとしても。それが旅の限界であることは重々承知だけどさ。だからこそTogoで5ヶ月暮らそうって決めたんだけどさ。(まあ、5ヶ月を長いととるか短いととるかは人それぞれだろうけど。1年留学したところでわたしアメリカのことまだまだ全然よくわかってないし。。) ただ、今回は、Madeさんのお家にお邪魔することができたのはそういう意味でもすごくいい経験だった。ほんの一瞬ではあるけれど、観光だけではなくて、現地の人の生活っていうものを垣間見ることができたという意味で。これからの旅でも、可能な限り、現地の人たちと同じような目線でものごとを見る機会を自分に与えていきたい。

◆ものごとの解釈

やっぱり人間て、自分のもつ仮説に有利な解釈をしたくなってしまうものだと思うのです。Madeさんがバリでの生活を語る言葉を聞いて、read too much in itしたくなってしまったりね。At a glanceで、その土地のことがわかったように語ることは本当に危険。だし、傲慢。自分の主観に敏感になること、その上でものごとの解釈には慎重になること、を、忘れないようにしないと。
一方で、立ち止まりすぎることもダメだよね。答えが見つかるまで待とうなんて悠長なことを言っていたら、人生終わっちゃうもんね。だって、答えなんて、「見つける」ものじゃないんだから。自分で「作る」ものなんだから。バランスって、ほんと難しいよね。だから仮説思考、trial and errorなんですね。わたしの苦手分野。がんばらねばっ。

◆帰路の失敗

ところで、帰り道にいろいろやらかしてしまいました。

1. ホテルに携帯を忘れる。送迎バスに乗ってホテルを出てしばらくしてから気づき、ガイドさんにお願いして引き返してもらう。ごめんよ。。

2. 機内持ち込み用のバッグに、十徳ナイフを入れていたのを忘れる。荷物検査で引っかかり、没収される。。。こりゃこりゃ、旅人失格じゃな。買ったばっかりだったのに。。。百均だけど。

3. 飛行機酔いする。生まれて初めて。変な姿勢で寝ていて、気づいたら着陸態勢で機体大揺れ。慌てて体勢を直すも、催す不快感。。。あんなに気持ち悪かったのは、久しぶりでした。そしてその気持ち悪さが持続して今に至る。。。。朝起きたときには治っていますように。。

ていうか昔は忘れ物をしたり長旅で体調を崩すとか絶対なかったのに。なんだこれは、、歳のせいなのか。。。

Tuesday, April 08, 2008

自由

自由と、我儘勝手好き放題の違いってなんでしょうね。
公共の利益を反しない云々、ってやつ??

最近よく「自由だね~」って言われるんですが、自分は多分に後者のような気がします。
なんか、わたしが“自由”でいられるのは、それを許容してくれるだけの心の寛さを持った人々に囲まれているからであって。そういう目で改めて周りを見てみると、自分の心の狭さが際立ってとても情けない気持ちになります。

なんだかなー。結局自分のことしか考えられてないんだよね。もっともっと修行を積まないといけませんね。

Friday, April 04, 2008

最後の予防接種!...hopefully...

駒込病院にて、髄膜炎と腸チフスの予防接種を受けてきました。

なんかね、すごいハイテクなかんじだった。ひとりひとり小さな呼び出し機みたいなのを受け取って、自分の番になるとそれが鳴って「○○に来てください」みたいなことが表示されるの。すごい。今の病院ってどこでもそうなのかなあ? 普段病院なんてまず行かないから新鮮でした。

で、予防接種は、皮下注射と筋肉注射があるってことを初めて知りました。違いがなんなのかよくわからないままだけど。
両方とも左腕に打ってもらったんだけど、髄膜炎は皮下注射で下のほう。腸チフスは筋肉注射で上のほうに打たれました。痛みはそんなに。とにかく黄熱病が痛かったからね。。。。
予防接種は小児科の管轄らしいんだけど、先生方はとても親切で優しかったです。

お値段は、ふたつ合わせて11050円。
あれれ、ネットには髄膜炎8460円、腸チフス5290円て書いてあるんだけどな。おかしいな。
まあ、得した気分になれるからいっか♪

駒込病院は、結構おすすめできると思います。
値段もそんなに高くないし、簡単な予防接種証明みたいなのを書いてくれるので。
でも総合病院なので若干待ち時間は長いかも・・わたしは全部で1時間ぐらいかかりました。

ということで今までに受けた予防接種のリストをアップデート。
黄熱病 yellow fever
狂犬病 hydrophobia / rabies
A型肝炎 hepatitis A virus
B型肝炎 hepatitis B virus
破傷風 tetanus
髄膜炎 meningococcal
腸チフス typhoid
日本脳炎 Japanese encephalitis
ジフテリア diphtheria
ポリオ poliomyelitis
麻疹 measles

今日はその後本郷に行って入試の時の成績開示をしたり文学部の学生証をもらいに行ったりしました。

あと今日は携帯のメモリに入っている人たちに旅立ちお知らせメールを送りまくった。これで晴れてこのブログも日の目を見ることとなりました。。なんかどきどきするな。
出発まで1週間ちょっとあるのになんでこのタイミングで送ったかというと、明日というか今日(4日)から8日までバリ島に行くからです。帰ってきてから出発までの中3日はかなりのheck tickになりそうな予感がするので。。

そんなかんじで行ってきます。
このブログ見てる人がいたら、ぜひ今後の投稿にコメントを残していってくれたら嬉しいです♪

Wednesday, April 02, 2008

なぜ旅に出るか

旅立つ前にしなければいけないことは本当にたくさんあって、こんなところで時間を無駄にしている暇はない、それは百も承知の上で、どうして今またパソコンに向かっているかと言えば、「旅」というひとつの決断をきっかけとして、わたしの中でいろいろな思いが巡るようになって、それをそのままslip awayさせてしまうことは、わたしにとっての旅の旅たる所以を失くしてしまうことになると思うから。

なぜ旅に出るか?

端的に言えば、「現場」を見て「実感」を得るため。

わたしはとてもお馬鹿だから、本で読んだだけのことには切実な――わたしの人生を賭けようと思えるほどの――問題意識を抱きにくい。わたしが今持ってる問題意識って、結局自分の体験から生まれたもの。本からの知識は、それを深めたりbrush upしたり広げたりするために絶対に必要なものではあるけれど、そもそものところでわたしの心を捕らえるのは、やっぱり言葉ではなくて体験だったりする。

別に旅に出たからといって、たった1年という短い期間で、世界のすべてがわかるようになるなんてはなから思ってない。そんな傲慢な考え方は絶対にしたくない。
だけどやっぱり、今よりもちょっとはクリアになるかな、っていう期待はあって。世界の在りようを――そもそもそれが「物自体」的なものとして存在するかどうかも含めて――捉えられるようになるかについては甚だ疑問ではあるけれど。でも、自分の中にある靄の濃度を、少し薄めることぐらいはできるかもしれない。

異なる環境やバックグラウンドの中で、人々は何に笑い、何に怒り、何に涙するのか。彼らにとって、幸せってなんなのか。人間にとって、幸せってなんなのか。そして、「しあわせ」のためにわたしがすべきことはなんなのか。

粘土人形に例えるとしたら、上の問いに対する答えが完成した人形。旅に出て手に入れたいのは完成された人形ではなくて、粘土人形の材料となる土、だと思う。いろんなところからいろんな種類の土を集めて、それを自分でこねこねして、ひとつの作品を作る。そんなかんじだと思う。

前にある人に旅に出るんだって言ったら、「自分探し、がんばってね」って言われたけど、上に書いたことからもわかるように自分探しなんて考えはまったくと言っていいほどない。どこか遠い異国の地で待っていてくれる外部者的な自分なんてあるわけがない。どちらかといえばわたしがしっくりくるのは、養老孟司が言うような「自分作り」のような気がする。

なんかあんまり段落間の関係がうまくつなげられた文章じゃないけど。とりあえず。

言葉を大切にできることはとても素敵だけど、言葉に支配されてしまったらなんだか悔しいと思う。「酒は飲んでも呑まれるな」的な、ね。

Tuesday, April 01, 2008

主権国家体制

なんかなくなっちゃえーーーーー!!!!!!

主権国家体制なんてものがなかったら、ビザなんていうextremely annoyingなものもないのに。

小田実をも苦しめたビザ。彼の自由を握りつぶし好奇心をへし折ったビザ。今ならわたしも彼の気持ちが痛いほどよくわかるわ。でも彼の時に比べたらはるかに行きやすいよね、シェンゲン協定ばんざーい。

わたしが日本国民として守られ自由を保障されているということは、日本の外に出るという局面になった途端に制約に変わる。現代社会の文脈では、わたしが日本人で「ある」ということが自動的に、他の国の国民で「ない」ことを意味するから。(「難民」が生まれるのと同じ論理だよね。)

境界線を引くことはすなわち「自」と「他」というラベリングによって「他」のカテゴリに入れられたものを排除すること。みんなを「自」にする、つまり、世界を自分ごととして捉えることって、あまりにも理想論的すぎるかしら。でも、杉田敦なんかを読んでいると、人類皆兄弟とは、今なら政治学的な観点からも語れるのではないかしら、という希望を持たずにはいられないのです。

Sunday, March 30, 2008

たいせつ

こんなに楽しかった飲み会、今までにあっただろうか。

っていうぐらい、3年飲みと兼ねて開いてもらった今日のわたしの送別会は、笑いまくったしはしゃぎまくった。

みんな本当にありがとう。

彼らと接していて感じるのは、ものすごく大きな、優しさ。
どんなにはしゃいでいたり冗談を言い合ったり厳しいことを言ったり毒を吐いたりしていても、その奥底には揺るぎない優しさがある。
いつもどんなときでもお互いへの思いやりがあって、人間の温もりみたいなものが溢れてる。

きっとそれは、お互いを認め合ってるからなのかな、と思う。違いはあっても、受け入れること、って、もしかしたらこういうことなのかもしれない。違うものを受け入れるって、すごく難しいことだけど、ここではそれができている人たちがいるんだよね。
日ごろの自分を反省するとともに、とても大切なものを学んでいます。頭がよかったり仕事ができるだけじゃ決して満たすことができないもの。それがここにはある。それをわたしももっともっと磨いていかなきゃいけない。


ところで、今日初めて、自分が本当に旅立つんだという実感が急に胸に迫ってきた。ほんとにいなくなるんだよね、わたし。

1年って長いよね。置き去りにされてしまうことへの寂しさや恐怖感みたいなものはやっぱり、ある。

何かを得るためには別の何かを犠牲にしなきゃいけない、それは高校留学の時に学んだことだし、ひとつのものごとも視点を変えればよくも悪くもなる、と、そう言われてしまえばそれまでなんだけど。

別にね、だから行きたくないとか、そういうわけじゃないの。行くのが楽しみなことには変わりがないの。
これは決して、「旅に出ることで得られるもの」と「日本を離れることで失うもの」をはかりにかけて考えることの問題ではなくて。
欲張りなわたしのわがままな独り言、っていう、ただそれだけなんだけど。

でもなんでこういう風に感じるかって言ったら、いま、ここ、に、大切なものがたくさんたくさんあるからなんだとおもう。
気づかない間にわたしは、両手で抱えきれないほど、背中に背負いきれないほどの、「たいせつ」を積み上げてきた。そう、それはときに身動きを不自由にするほどの「たいせつ」――。

正直なところ1年の重みなんて帰ってきてみないとわからないと思う。もしかしたら何も変わらないかもしれない。でももしかしたら・・・。
だから今はわざと何も考えないようにしてます。すべては帰ってきてから考えよう。そうじゃなきゃ、いまこの一歩を踏み出せなくなるから。


それにしても、今日は本当に楽しかった。タンバリン叩きすぎて、左手があざだらけな上に、指輪が歪んでしまった。。。もう抜けない。。。。

Thursday, March 27, 2008

おどろきもものき

旅に関連して、いろいろな人と連絡を取っている今日この頃。
今日はそんな中で驚いたことふたつ。


●●その1●●

アメリカ留学時代のhost sisterのErinが、5月に結婚するそうな!!!!

Erinはわたしの1コ下だからいま21歳のはず。
日本じゃわたしの周りの同年代で結婚している人なんてほとんどいないけど、わたしの留学していた地域は結構みんな結婚が早いのです。
当時同じ高校に通っていた人で結婚した/するのはわたしが知っている限りでもこれで7人目かな? 高校時代にもう結婚して子供もいた人もいたな。たぶん実際はもっと多いんだろうと思います。

とにかくとにかく、Erinが結婚なんておめでたい☆☆ 
里帰りしたら馴れ初めや決意の動機などなど根掘り葉掘り聞いてみようと思います。うしし。

そう、それでね、HFは旅に出て真っ先に再訪するのですが、そして5月にはヨーロッパ周遊中の予定なのですが、またヨーロッパからアメリカに一旦戻ろうかどうか迷っています。
だって一生に一度(most likely)の晴れ舞台、しかも曲りなりにもsisterの結婚だもの、万難を排しても行きたいじゃない!!? 
まあ、結論から言うと飛行機代次第なのだけど。悩みます。


●●その2●●

今度はPapua New Gueneaの友達のおはなし。

2006年9月に参加したSingaporeの世銀総会で出会った彼。ユース活動をものすごく活発にやっていて、今はPNGの世銀で働いているというとっても優秀な彼。
ときどき近況報告をし合っているのだけど、彼は5月から奨学金をもらってAustraliaでmastersに行くとのこと。さすが!と感心しつつ、わたしからも旅とTogoでのインターンの話をした後は、しばらく返信が途絶えていました。すると今日メッセージが来ていて、、

「AIESECのプログラムに申し込んだよ」

と!! え、え、大学院行くんじゃなかったの? 奨学金は?? と、それはもうびっくり。まあ、まだ本決まりではないらしいけど。いろいろと考え中だそうです。

Wednesday, March 26, 2008

ITINERARY FIXED!!!!

今日再びJTBトラベルデザイナー新宿に赴き、とうとう! チケットの正式な予約をしてきました。28日に発券だって♪

世界一周航空券は、発券後はルート変更はできないので、以下の通りに確定です。日にちは後から変えられるらしいからtentativeだけど。

4/12-4/19 ペンシルベニア (留学時代のHF訪問)
4/19-4/24 ニューヨーク
4/25-4/28 ブラジリア (留学中の友達訪問)
4/29-6/27 マドリッドin/アテネoutでヨーロッパ陸路周遊
6/27-7/10 ヨルダン、行けたらシリア
7/10-7/20 エジプト
7/20-7/24 ロンドン
7/24-1/08 アクラ(ガーナ)経由でトーゴ
1/10-1/20 インド
1/20-2/10 バンコクin/outで東南アジア陸路周遊

なんかね、JTBで担当をしてくれている人が、最初はクールでbusinesslikeな感じの人だったんだけど、だんだん話をするにつれて打ち解けていって、今ではすごくfriendlyな感じで楽しく会話できるようになったのがとっても嬉しい♪ 帰ってきたらぜひ報告に行きたいと思うくらいです。

Monday, March 17, 2008

チケット予約

予告通り、JTBトラベルデザイナー新宿に行ってきました。親切に相談にのってくれました☆

結局、ワンワールド世界一周航空券にすることになりそう。
ひとりではなかなか組めなかったルートも、なんとかうまく組めそうです。
今日は仮予約みたいなかんじで全体のざっくりした旅程を作って、次回は修正とかも併せて本決まりのルートを組んで、発券手続きまでするかんじな流れです。

ワンワールドはウェブ上で自分でも旅程が組めるItinerary Plannerというのがあるんだけど、やっぱりいちいちフライトを調べたりするのがすごくわかりにくくてやりにくくて煩雑で、その点プロにお願いするとしっかりと調べてくれるしでとても頼もしい。そして楽ちん♪ 
Togoへの行き方も、どのエアラインが就航してるのかとかネットで調べてもまったく謎だったんだけど、ばっちり調べて値段まで出してくれました。お隣のガーナまでワンワールドので行って、そこからトーゴのロメ空港へは別途チケットを買うことにしました。正規料金でも片道15000円くらいなの。燃料サーチャージとか入れるともうちょっと高くなってしまうと思うけど、まあこれぐらいなら、ね。

これでアライアンスも決まったので、JAL/VISAカードを作りにいけます◎
やることいっぱいだ~~

あわあわ

例のごとく、出発前になるとにわかに忙しくなってくるものです。
そして、TogoからOKが来てから安心してちょっと気が緩んでしまっていた気がする・・・
ということに今日気づき、反省していろいろとネットでひたすら調べてみた。

◆トーゴのこと

とにかく情報がない!! フランス語圏であること、日本に大使館がないこと、などなどが要因と思われる。こんなに日本に(感覚的に)遠い国というのは初めてかも。そこがおもしろさでもあると思うけど。いろいろと知りたいことがあるのになかなか知ることができないのは、結構不便でもある。でも逆に言えば、ネットで調べれば何でもわかるのが当たり前になっている世の中って、やっぱりすごいのよね。

◆お金のこと

電話で問い合わせてみたら、私が持っているクレジットカードでは海外でキャッシングができないということが判明。明日国際キャッシングカードみたいなものを作りに行ってきます。PLUSとCIRRUSと、やっぱり両方作った方がいいのかなあ。ドルとユーロのTCを大量に持っていけばなんとかなる気もしなくもない・・でもトルコではTCほとんど使えなかったしな、でもクレジットカードが使えればなんとかなるかな、うーん。海外でお金がなくなることほど怖いことはないよね。セーフティーネットは何重にもはっておくべきなのはわかってるんだけど。

あと、今はMasterしかもっていないクレジットカードも、世界一周航空券でどのアライアンスを使うかが決まったらVISAを作りに行きます。これは最短1週間ぐらいで作れるらしいのでまだなんとかなるだろう。

つまり、作らなきゃいけないのは
・国際キャッシュカード
・VISAカード
・TC(米ドル&ユーロ) 今ドル安いからお得だな♪

◆チケットのこと

明日取りに行きます!! 新宿のJTBトラベルデザイナーなるところに行く予定。ちょっとまだルートのことでいろいろ悩んでいて(どういうルートで行けば荷物が一番少なくなるか、とか。でもインドには1-2月がいいしな、とか)、明日“プロ”たちに相談して決めようと思います。

◆保険のこと

クレジットカード付帯のものだけじゃ危ないのか・・? でもお金ないしなあ。こういうのって基本的には安心料だけど、実際に何か起こってしまったら困るもんなあ。うむむ。

◆その他必要なもの/ことたち

・メガネ(スペア)
・靴
・バックパックの鍵
・紙石鹸
・十徳ナイフ
・コンタクト1年分
・髄膜炎予防接種予約
・Togoビザについて確認

以上、備忘録的にメモメモφ(..)

ていうか、ほんとににわかに忙しい。ボランティアの仕事と送別会と、個人的に1年離れる前に会っておこう的な会などなどで、もう3月はまる1日空いている日がなくなってしまった。でもいろんな人が別れを惜しんでくれるのは本当にありがたいし嬉しいことだよね♪ 唯一の心配は懐具合だ。。。

Monday, March 10, 2008

TOGO TO GO

Kenyaがダメになったと言っていたAIESECの研修のその後ですが、、

Togoに決まりました!!

昨日、研修先からのAcceptance Noteが届き、研修生と研修先双方のANの交換が完了=matching成立しました♪ (AIESECは専門用語がほんと多い・・)

Kenyaに行けないとなった後は、matching可能性はかなり低いということだったんだけど、その僅かな可能性に賭けてみてほんとよかった。
と言ってもわたし自身の功績はその決断ぐらいにしかなくて。AIESECのみなさんが試験勉強の時間も削ってそれこそ東奔西走してくれたからこそ、このmatchingは実現したのです。彼らの対応のすばらしさには本当に感動。本当にありがとうございました。

さて、トーゴ。
決まったはいいものの、本当に大変なのはこれからという感じもややあります。

まず、驚いたことには、日本にトーゴ大使館もないし、トーゴに日本大使館もありません(@_@;)
しかしビザの問い合わせをせねばならないので、
①日本兼轄の在中国&イギリス兼轄の在フランスのトーゴ大使館に電話 → フランス語しか通じないorz
②日本でトーゴビザの代理発行をしているというフランス大使館に電話 → ひたすら誰も出ないorz
③英語が通じる在アメリカのトーゴ大使館に電話 → 留守電orz
ということでso far公的機関からは何の情報も得られていません。。。。。。
でもおそらく日本でとっていかなくても、フランスやトーゴのロメ空港でとれると思われる。行く前に確認しないと。

こんなかんじのトーゴ、いうまでもなくフランス語圏です。
インターン先のNGOのトップ2人は英語も話せるらしいけど、他の人はみんな仏語しか話せないらしい。ということで、来るまでにフランス語を勉強してこい!と言われてしまいました。仏語習得の絶好のチャンス到来だわ!!!と思い威勢よくOKと言ってしまいましたが、ちゃんと仕事できるレベルになるってなかなか大変よね。でも現地で仏語クラスもarrangeしてくれるそうです。本当に素晴らしいチャンスだとは思うので、ちゃんと勉強しないとね。

そうそう、それで肝心の研修先は、JADIっていうNGOです。全貌はわたしもよくわかってないのだけど、32 NGOsのネットワークらしく、活動テーマはHIV/AIDSがメインらしいです。英語クラスを作ったり会議を運営したりもするらしい。

しかもすごいのは、トーゴ側のAIESECの担当者が、なんとなんと!! YDP Togoのpresidentだということが判明!! TogoでもYDPにはお世話になりそうです。

・・・といろいろ盛りだくさん、どきどきわくわくなトーゴです。
これでようやくチケットも手配できます。
でもその前に、離日前最後の祖父訪問in山形に今日から行ってきまーす☆彡

Saturday, March 08, 2008

旅の仲間

旅に本は欠かせない。というよりは、1年も本を読まないなんてありえない。という理由で、今度の旅には何冊か本を道連れにしようと思います。

今年の夏に行ったイスラエルでは小説に飢えていたし、トルコでは本は邪魔なだけだったけど、懲りずに今日吉祥寺のBook Offでお勉強系の本を大量買い。
お店にあるものの中で、「そうそう、これ前から読もうと思ってたのよね」的なものを大量にカゴに放り込み、懐具合と相談して厳選しました。
全13冊、総額5000円也。旅の物理的制約を考えて、ぜんぶ文庫本。

他に、前に買っておいた本も何冊か持っていきたい。持っていきたい、というよりは、帰ってきて専門に入る前に読んでおきたい、という方が正確だけど。全部バックパックに入るかしら。。。
よく考えれば、そういうお勉強系の本以外にも、ガイドブックや、訪ねる土地の背景知識を入れるための本や、インターンに必要な本や、フランス語の本も持っていかなきゃいけないんだった。

・・・無理(*_*)
でも今日買った本たちはいつかは読まねばならない本たちばかりなので、買ったことは無駄にならないでしょう。。。。。

○●○●○●

古本屋のいいところは、運命を感じられるところ。
っていうとなんかロマンチックすぎるけど。そしてあまりにも運命論者ぽくなっちゃうけど。

でもとにかく、古本屋さんは、普通の本屋さんと違って、全ての本が揃っているわけじゃない。なければ注文、というわけにもいかない。

そこがいいのよね。

読みたい本を片っ端から挙げていったらキリがない、一方で、それに優先順位をつけるのも難しい、というとき、古本屋という環境が前もってあらかじめそこから選ぶべき本の数を絞ってくれている、というか。

さらに話を広げてしまうと、結局完全なる平等って無理だと思うのよね。ある人は「偶然」と呼び、ある人は「運命」と呼ぶ、本人にはどうしようもない外部要因によって、(大げさに言えば)人生というのはto some extent流されていく、べき、ものだと思うのです。
だって「すべて」を網羅するにはこの世はあまりにも広すぎるし、時間の流れはあまりにも速すぎる。

だから、ある程度「運」に身を任せるっていうのは、効率的な、というかなんというか、そんなかんじの生き方だと思うのよね。

これってちょっと「仮説思考」にも似た考え方かもしれないな、と思いつつ。

全体的に言葉足らずな説明だわね。まいいや。

Tuesday, March 04, 2008

黄熱病

の予防接種に行ってきました、今日。

《事前にしたこと》
東京検疫所に電話で予約。
・収入印紙8530円分(証明書代込)を郵便局で購入。
・当日体温を測っていく。(ちなみに今日のわたしの体温は36.4℃)

※黄熱病の予防接種を受けるときのポイント:
1. 黄熱病は生ワクチンなので接種後4週間は他の予防接種が受けられません。なのでたくさん打たなければいけないときは、黄熱病は最後にするのが鉄則。
2. 予防接種を受けたという証明書(イエローカード)がないと入れない国があります(主に南米とアフリカ)。なので受けたら証明書も一緒にもらいます。証明書は一般の病院ではもらえないぽいので、検疫所に行くのが一番いいと思います。なお、東京検疫所での接種は火曜日の14-15時しかやっていません。

さて、向かった先の東京検疫所には、14時ちょっとすぎぐらいに着いたのにその前にもうたくさん人が来ていました。ざっと30-40人くらい?? 着いてから知ったのだけど、受付は13:40ぐらいからだったみたいなので、待ちたくなければ早めに行った方がいいと思いました。

まず申込票と問診票に記入。その後お医者さんと一対一で、渡航先とか渡航目的のお話。フランクな感じの親切な先生で、他にもした方がいい予防接種などをいろいろと親切に教えてくれました。

ところで、黄熱病は「生ワクチン」というから、わたしはなんか黄色いゼリーみたいなぷるぷるなのを飲むのかと思っていたのですよ。でも残念なことに他と何ら変わりのないただの注射でした, except...

いたーーーーーーーーーーーい(;O;)(;O;)(;O;)(;O;)(;O;)(;O;)(;O;)

これは今まで受けたどの注射よりも痛かった気がする。。。狂犬病も痛かったけど、それ以上だったなあ。生ワクチンだからか? 量が多いのか?? よくわからないけどとりあえず痛かった。ふぅ。

ところで、お医者さんから、髄膜炎と腸チフスの予防接種も受けた方がいいと言われてしまいました。これで最後だと思ってたのにー! しかも打つとしても今日から4週間は打てないし・・・打って出かけるには出発をさらに延期しなければならないので、ちょっと悩んでいます。でも明らかに打った方がいいよね。。打つとしたら出発は4月3-5日ぐらいになりそうです。

ちなみにちなみに、今日黄熱病の予防接種を受けに来ていた人の中に、ミス・ユニバース(だったっけ?)になった上智の知花くららさんがいました。お医者さんとの会話を小耳にはさんだかんじだと、ウガンダにODAの取材に行くらしい。髪がものすごくきれいでした☆☆☆

Friday, February 29, 2008

*予告編*

あともう一歩で確定、というところに来ています。
ここ数日で、一周のルートも完全にかたまるはず。本格的にチケットを取りに行ける状態になります。

確定を阻んでいるものは何かと言うと、それは私自身。
うーんなかなか決められないのよ。
これから1年間、ひとりでなんでも決めていかなきゃいけないのにね。こまったこまったこまったさん。

Friday, February 22, 2008

休学届提出 :-)

今日は本郷の宗教学研究室まで、休学届(正式には休学願)を出しに行きました。

手続きに必要な書類は、以下の2種類。
・休学願 - 規定の書式がある。文学部事務室でもらう。
・理由書 - 休学の理由を詳細に説明したもの。自分でwordとかで作成。

そして受理のために必要なのが、
・学科長印 - わたしの所属する思想文化学科は倫理学の関根先生、らしい。
・専攻主任印(だっけ?) - 宗教学・宗教史学専修課程の長、島薗先生。

ということで、必要書類を持って、お2人のはんこをもらいに行ったというわけ。
結果的には、無事休学できそうです。よかった♪

それにしても、宗教学研究室に行くのは今日で2回目だったんだけど、あそこに行くとほんとに専攻に進むのが楽しみでしょうがなくなる。

今日も、事前連絡もせずに行ったのに、事務担当の助教の方がすごく親切に対応してくれて、島薗先生を呼んでくれたり休学中の連絡とかについて教えてくれたり。
島薗先生も、10月の内定者ガイダンスの時にはいらっしゃらなくて今日初めてお会いしたのだけど、業界での権威で本も何十冊も出してる先生だから、ちょっとびくびくしていたら、すごく優しい先生でした。「最近の学生は忙しいから、逆に(いろんな意味で)勉強するために休学するのもアリですね」みたいなことをおっしゃってて、わたしの休学の理由を話したら、「いい勉強になりますね」って応援してくださいました。そして、「休学中でも講義受けてかまいませんよ」とのお言葉。
助教の方も先生も、とてもwelcomeな感じで接してくださいました。

宗教学研究室って、「雰囲気のよさでここに決めました!」っていう人がいるくらい、雰囲気がとてもよい研究室なのです。(まだ実態を知ってるわけじゃないけど、いろんなところで聞くから、たぶんほんと。)

しかも、宗教学は、留年とか休学とか、のんびり行く人が多いらしくて、わたしもちゃんとfit inできそうだなーとなんか嬉しくなった。わたしはどちらかというとずっと自分がout of wallというか、置いてけぼり的な存在であるコミュニティの方が多くて(計3年遅れだから当たり前といえば当たり前なのだけど)、それはそれで別にあまり居心地が悪いというわけではないんだけど、意識の違いはそれなりに感じてしまうわけで。なんというか、「人それぞれ」とは言うものの、やっぱり本音は周りより遅れることをマイナスイメージで捉えている人が多くて。だから、遅れるのなんて全然特別なことじゃないじゃん、っていう考えが浸透してるコミュニティっていうのはすごく新鮮なのです☆彡

(別にストレートでサクサク進むことがダメと言ってるわけではなくて。ただ、歩く速さが人それぞれであるように、人生の歩みだって人それぞれのスピードがあるのに、それを一つのものさしで計るのってどうなの、と言いたいだけよ;-) これもいわゆるわたしが最近陥りがちな相対主義の一形態でしょう。マイノリティになると相対主義を主張したくなるのは自己肯定の欲求として当然の心理かもしれないね。)

というわけで、ガイダンスの時と同じく、すごくhappy and hopefulな気持ちになって、休学することで4月から早速宗教学の一員としてやっていけないのがすごく残念になってしまうくらい、進学が楽しみになりました。帰った先に楽しみが待っているというのは、なんてすばらしいことなのかしら!(^^)!


今日はその後上野まで歩き、レポートの文献を探すためkomaback。その後たまたま渋谷を通ったmommyを駒場まで招いてお茶。
ここ数日は春の訪れを感じさせるぽかぽか陽気で、暖かい日差しを浴びるだけで心と体が奥底から、とても言葉では形容しがたい歓びと希望に満ち溢れる。春って大好き! 本格的な春の到来が待ち遠しいな。

Friday, February 15, 2008

updates: 予防接種と旅程

このブログに書くの、なんだか久しぶりだわ。
旅のことに関して、ちょっといろいろ進展というかなんというかがありました。詳しくは後述。

とりあえず、今日は予定通りA型肝炎と狂犬病の予防接種の2回目に行ってきました。
今日は前回と逆で、左肩がA肝で右肩が狂犬病だった。やっぱり狂犬病は痛かったー(:_;) 終わった後もしばらくsharp painが残っていました。値段は前回と同じく14000円。
これでようやく、黄熱病を残して全部終わり☆彡 黄熱病は来月行きます。

ところで前回献血に行ったときに登録したキャンペーンで、2月にまた献血に行くと粗品がもらえるらしいのだけど、予防接種前ってどれくらい間をおけばやっていいのかしら? 予防接種後は1週間空けなきゃいけないっていうのはこの間聞いたんだけど。。ま、もの目当てで行くわけでもないから3月になっちゃっても別に構わないといえば構わないのだけどね。

さて、冒頭の進展(?)に関してだけど、ケニアには行けなくなりました。理由はやはり治安の悪化です。まあ情勢からして、行くとなっても不安だったし、これはわたしやAIESECの人たちが頑張ったところでどうにもならないから、すごーく残念だけど仕方ない。。で、いまは他の国に研修に行くかどうかを検討中です。

あと、研修がどうなるかも影響してくるんだけど、季節のことも考えて、アジアから西回りで行こうと思ってたルートを、アメリカから東回りで行こうかとも悩み中。夏に暑さの厳しいアジアに行って、冬に寒さの厳しいヨーロッパにいるのはちょっとなあ、、しかも荷物大変そうだし、、ということを先日ふと思いついたのです。逆に春~夏にアメリカ・ヨーロッパにいて、秋~冬にアジアにいれば、夏服だけで事足りそうだから。でも人に会う都合とかも考えると、先にアジアに行った方がいいのかなあ。。。というかんじでいろいろな条件に優先順位をつけられず悶々としています。とりあえず研修のことがはっきりしてから真剣に考えます。

Tuesday, February 05, 2008

『思考をひらく――分断される世界のなかで』

1月29日のpost: mais... afterthoughtで、「境界を越える」とか「自分ごとにする」という話をして、そういうのをちゃんと言ってる偉い人がいるんだろうな・・と書いてましたが、いましたいました!!

『思考をひらく――分断される世界のなかで』 (思考のフロンティア 別冊)
姜尚中、齋藤純一、杉田敦、高橋哲哉

「思考のフロンティア」シリーズって、数冊読んだだけだけどどれもすごく質の高い本だと思います。

この巻もすっごくおもしろかった!!
というか、これこれ!!! まさにこれ!! としか言いようのないような感動を覚えました。

この巻のテーマは、副題にある通り「境界」っていうのが大きくあって、4人の主張は、それぞれのラディカル具合(?)に差はあるものの、どれも「境界をこえる」というものでした。・・って、これだけじゃどんな内容の本なのか全然説明できてないんだけど、、でもほんとに、きたーーーーー!!!ってかんじでした☆
もうひとつ、わたしが「自分ごとにする」って言ってたことを、彼らのちゃんとした表現でいうと"intimacy"(=親密さ)というらしい。そして、intiment citizenship(K. プラマー)という考え方があるらしいです。レポートが一段落ついたらちょっと勉強してみようと思います。

っていうか、政治哲学、おもしろいよ~~~
なんでおもしろいかというと、今ある世界の枠組みを捉えようとする営みだからかな、と思う。
特に「境界」っていうテーマはわたしの専門となる宗教にも深く関係してきていると思うのです。宗教多元主義religious pluralismというのもあるし。宗教間対話とか文明間対話とかもこのへんだよね。このあたり、もっと深く勉強したいな。

TOEIC

1月に受けたTOEICのスコアが判明しました。

Listening: 495/495
Reading: 490/495
Total: 985/990

前回は、恋の悩みと睡眠不足で試験中ぼーっとして時間が足りなくなったけど(笑)、今回は精神衛生もばっちり、ちゃんと集中して余裕を持って終えられました◎ それがちゃんと結果に表れてよかったです:)

前回との比較分析をすると、

●リスニング●
前回も今回も同じ点数なので比較のしようがない。まあ下がってないからよしとしよう。
でもリスニングのトレーニングはなにもしてなかったわけではなくて、英語の映画のDVDを常に観てた。というかBGMにしてた。もう300回ぐらい観て、台詞を暗誦できるのもあります(笑)。言い回しとか発音の癖とか、そういうのを聞き取る力は前よりついたんじゃないかなあ。今回の試験にどれだけそれが反映したのかはわからないけど。

●リーディング●
85点アップ。上がった要因としては、
1. 集中した(笑)
2. 多読・速読に慣れた(←大学の授業など)
ってかんじだろうか。
実際最近、日英問わず読むのが速くなった気がしてます。いわゆるパラグラフリーディングっていうのかな、さーっと見て大意が把握できるようになった。これは大変便利です。読むのが遅いのが悩みというか克服したい弱みだったのでよかった。でもなんで速くなったのかはよくわかりません。速く目で追うことを意識してたからかな?

あと、前回との比較の問題としてではなくて、ほぼ満点に近い点数を取れたのは、TOEICの出題傾向のおかげ、っていうのが大きい気がする。
ほとんどがビジネス英会話ってかんじで、難しい専門用語とか出てこないし。リスニングとリーディングだけだし。

TOEICのスコアは上がっても、スピーキングの方は留学当時の方がたぶんできてたんじゃないかな、と思います。だってあの頃は英語で考えてたし。今はどうしても使う機会が少ないからね。。でもそんな言い訳をしたところで、話せなくて困るのは自分だから、がんばらないと。別に日本にいたって無理なことではないし。英語に触れる時間を多くしたり、英語で考える癖をつけるのは簡単にできるもん。

ということで、985点は素直に嬉しいけど、それで油断しないように自分に喝を入れる形でしめくくります☆彡

あと、、フラ語(とスペ語)もやらねばっ!!

Wednesday, January 30, 2008

けにやんやん

最近更新が激しいのは、寒さとレポートでおうちにひきこもってばかりいるからです。
たった今明日締切のレポートを一本仕上げましたっ。あと5本+試験1つ。。。

ここのところよく、というかしばらくずっとなんだけど、too attached to my present life的なsentimentalityに陥ってしまうことがしばしばあるので、そういう時は、Kenyaのものを見たり聞いたりして旅立ちへのモチベーションを上げるようにしています☆彡

で、ここ数日cheers me upなのが、これ。

Kenyaの暴動後に作られた歌らしく、タイトルのWakenya PamojaはKenyans Togetherという意味らしいです(スワヒリ語まったく知らないんだけどどこかで誰かが言っていた)。

彼らの歌唱力は胸の奥まで響いてくるものがありますね。素敵でしょー? 元気づけられるでしょー? 希望がわいてくるでしょー? 行きたくなるでしょー? ふふふ♪

それにしてもKenyaの情勢は一日も早く落ち着いてほしいものです。やっぱりこういう時に真っ先に犠牲になるのは一般市民だから。

Tuesday, January 29, 2008

mais... afterthought

最近日本語と英語とフラ語とドイ語をちゃんぽんで使うのが楽しい。ドイ語なんて生活の基本表現がいくつかしゃべれるだけなんだけど。フラ語だって活用と語彙の暗記が圧倒的に不足してるんだけど(as you might have guessed, フラ語から活用と語彙を除いたら残るものはほんのわずかです・・)。でもnoneとa littleの間には大きな差があると思うのです。そして学んだことをどんどん実践していくことが大切だと思うのです。いずれこれにスペ語とアラビア語も混ぜたい。語学の勉強は直に触れ合える世界をぐんと広げてくれるという意味で、ものすごく楽しい。がんばります。。

さて、本題、前回の続き。そもそも論にたどり着きました。

国が国民を守る、守ってくれている、守るシステムがちゃんと動いている、っていうのはそれはそれですごくありがたいしいいことだとは思う。

でも、そもそも「国」っていうborderがあることが問題なのかもしれない、よね。Borderがあるから、borderの外に一歩踏み出せばそこは危険がいっぱいになる。
現状への対処としての国の保護、っていうのはいいと思うのだけど、そもそもその現状ってどうなの? ってお話ですね。全然レベルの違うお話。

もっとかっこよく言えるとしたらこれは主権国家体制への批判だよね。主権国家体制への疑問は、専門的な議論ができるのには程遠いにしても、ずっとなんとなく、高校の世界史だったり大学でEUについて学んだりしてから持っていたりします。

さらにこれが哲学的な方向にいくというかもっと一般化されて、「自分」というものをある境界で区切ることによって、自分というアイデンティティ(でもほんとはアイデンティティって他との比較じゃないんだよね。こないだ本読んでてようやくアイデンティティの意味が理解できた。Anyway,)が形成されるのと同時に、「他」というものが存在するようになる。その境界線があるから、あらゆるレベルでのconflictが起きるのではなかろうか――という思考がわたしの頭の中では展開されています。

でも「他」と異なることで担保される自分、っていうのはそれなりに重要なことだと思うのよ、人間が生きていく上で。だからもしかしたら本当に完全にborderlessなんて不可能なのかもしれない。でも、だとしたら、そのborderをどんどん遠くへ遠くへ広げていきましょうよ、と思うのです。もしくは、みんなが入れるような新しい概念(民族とか、宗教とかではなく)で、みんなと接していけばいいと思う。広ーい「自分」の中に、みんなを入れる。だって、誰も自分や自分の身近な人を傷つけたいって思わないでしょ? そういう人たちが困っていたら助けてあげたいと思うでしょ? うーん、説明があんまり上手にできてる気がしないんだけど、でも、このborderlessがここ数年のわたしの中の大テーマであるのです。要は、前にも書いた、「できるだけ多くのことを自分ゴトに」っていう言葉に収斂されると思うのだけど。

たぶんこういう思想ってもっと偉い人がもっとかっこいい言葉で言ってるよね、きっと。知ってる人がいたら教えてください。

こういう風に考える自分の奥底には、「人類みな兄弟」的なキリスト教的思想がやっぱり植えつけられているのでは、と思ったりもしつつ。。。

ああ、こんなことばっかり考えてるから今日もまた日が暮れる。