Monday, May 25, 2009

INTO THE WILD

眠いし風邪気味だからぐちゃぐちゃです。いつか気の向いた時にでももっと整理して書くかもしれません。

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旅に出て間もない頃の日記で、わたしはこう書いた。

2008年5月6日
なんか。何も残さずにただひっそりと死んでいくのもいいかな、とか生まれて初めて思ったりしている。今まであまりにも多くのものにしばられすぎていたかもしれない。本当に、絶対に、譲れないものってなんだろう? 失ってしまえば、それはそれで生きていけるものなんだから。もっと多くのものを、自分から手放せるようになれたらいいだろう。

2008年5月20日
できるだけ目立たぬよう、小さくなって小さくなって、森の中や山の中でひっそりと生きて死んでいくのもいいかもしれないな、と思ってしまう。

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(※以下ネタばれ注意)

彼は、「自由」を求めて、「真実」を求めて、「完全」を求めて、旅に出た。「社会」という茶番から抜け出すために。

でも、結局抜け出せなかった。もっと正確に言うと、抜け出してはみたけれど、抜け出すことで同時に失うものに、打ち克つことができなかった。

完全なんてありえない。完全なんて幻想でしかない。
それなのに人間はその幻想に酔いしれ、それを求める。
99%の幸せと、1%の不幸を見比べて、自分は不幸だと言う。

彼は完全な自由を追い求めた。
でも、本を捨てなかった。自分と他者とのつながりを断ち切れなくて。
「完全な自由」は、幻想だった。

"HAPPINESS ONLY REAL WHEN SHARED"

彼は生きようとしていた。
だけど、他者から自分が生きていることを認められなければ、もはや、「生」と「死」という区別さえ無意味なのだ。
だから彼は書き遺した。死ぬ前に自分の写真を撮った。自分の存在を他者に認めてもらいたくて。

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"TO CALL EACH THING BY ITS RIGHT NAME"

なまえ。
他者とのつながりなんてなければ、名前なんていらない。
他者が自分の存在を認めていて、合意が存在していなければ、「正しい」名前なんてない。

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彼は、「自由」を求めて、「真実」を求めて、「完全」を求めて、旅に出た。「社会」という茶番から抜け出すために。

お金を稼ぐこと、お金を遣うこと、人間関係に翻弄されること、いい成績を取ること、出世すること、おしゃれすること、愛想笑いをすること、満員電車に揺られること、デッドラインに追われること、礼儀をわきまえること、空気を読むこと、言語を使うこと、何かを頑張ること、それらすべてが、茶番であっても、茶番を生きる中でしか、他者と寄り添うことはできない。

茶番が真実なのではないかもしれない。でも、茶番の中でしか、触れることのできないものがある。
「にせもの」と「ほんもの」という二項対立は、現実の世界ではナンセンスだ。
そしてわたしたちが生きる世界は、「社会」という名の現実以外には、ない。

だから、それがいかに茶番であっても、他者と寄り添うために、そうすることでしか生きていけない自分のために、茶番を一生懸命演じていかなきゃいけない。

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正直なところ、自分の旅と重ね合わせることがとても多かった。
だから、共感もものすごく多かったけど、どこか冷めた目で見ている自分もいた。
大泣き虫のわたしなのに、不思議と涙は出なかった。

自分の求めるもののために、突き進んでいく。
かっこいいかもしれない。
でも、そうすることで、多くの人の心の震えに、鈍感になってしまうことがある。
そして、自分が追い求めていたはずのもの、真実だと思っていたものを手に入れた時、それが「茶番」だったと気づく――。

Sunday, May 24, 2009

*inentitlable

旅の間は、何もかも自己責任。自分ひとりで考え、決断しなければいけなかった。
言い換えれば、自分のことだけを心配していればそれでよかった。
他人のことを思いやれなくても、「自分の身は自分で守るしかない」とかいう言葉で正当化された。
自分の心の温かで柔らかな部分が冷たく硬くなっていくのを、「強くなった」とかいう言葉で隠蔽した。
それが当たり前で、責める人は誰もいなかった。
自分も、それに気付いたという事実を顕在化させてしまうのが怖くて、いつもどこかで言い訳していた。

どの社会にも属さない、はみ出し者で、時にはそれが寂しくもあり、時には心地よくもあった。

日本に帰ってきて3か月以上経った今になって、急にまたリエントリーショックのようなものが、波のように、じわじわと押し寄せてきている。

「社会の一員」として生きていくという自分自身の生が、いかに自分以外の人々によって影響され、規定されているか。
いかに、他者への配慮が、暗黙のうちに、要求されているか。
そしておそらく、同じように、いかに、自分が、他者からの配慮を食いつぶすことで生かされているか。
つまり、どれほど多くの規範が、わたしたちの社会的な生を支配しているか。

表面的な「社会復帰」はとっくに終えたかもしれない。
満員電車にうきうきしなくなったし、日本米を目の前にして心ときめかすこともなくなったし、信号はいまだに守れないけど、レストランのおしぼりサービスにも驚かなくなったし、店頭の値札をいちいちトーゴの通貨に換算することもなくなった。

でも、たぶん、共存在(という言葉をここで使うことは安直すぎるかもしれないけど――)という存在の一根源的な局面を考えるとき、わたしにはまだ何かが欠損したままだ。
この1年で「失ってしまった」(という言葉で常識的には表現されうる)ものが、ようやくぼんやりと輪郭を顕わにし始めた、ような気がする。

しかしやっぱり! 
旅に出る前も旅の間も帰ってきた今も、社会的な生というのが茶番以外の何物でもないように思われて仕方ない時がある。

でも、社会的な生が茶番であると考えることこそが茶番であるような気もして。

そして、こうして「茶番だ」だの何だのわめいてること自体が、茶番であるような気がして。

だいたい茶番という言葉を使う裏には、「茶番ではない」=「よい/正しい/本来的/本質的」などなどと称されるものの存在が想定されていて、それすらも確信が持てなくなったらどうしたらいいのですか、って話。
そしてきっと、一度こんなループが生じてしまったからには、誰がどんな解答を持ってこようとも、納得することは難しいだろう。

相対化が自己増殖していった先には、苦しみしかない、のかしらん。
否、苦しみを苦しみとすら言えない「苦しみ」――。

Tuesday, May 05, 2009

Incred!ble Hindi

今学期はなぜか語学の授業が無駄に多く(6ヶ国語7コマ...)、ひいひい言いながらなんとか4月を乗り切ったわけですが、それらの授業の中で、今、ヒンディー語がとてもアツいです。

アツい理由はいくつかあって、

その1:先生が素晴らしい

今まで語学の習得にしろ他の勉強にしろ、大事なのは自分でどれだけやるかで、先生の教え方が上手/下手って、そこまで影響しないと思っていた。

が! が!!

ヒンディー語の講義の先生は外部講師で外語大の先生なんだけど、ご自分で本も書いてらして(それが教科書)、教え方はさすがプロ。
(外語大の先生で本を書いていれば誰でも教え方がうまいというわけではないだろうけど。)
まだ初めの文字と発音のところだからだと思うけど1回100分の授業で1ページ進むか進まないかくらいの速度で、説明が一つ一つものすごく丁寧で、発音に至っては言語学的説明から口の構造からヒンディー語と日本語・英語との違いに至るまで細かく細かく教えてくださるんだけど、発音マニア(他称)の私としてはもう鳥肌が立つくらい面白い。し、what's more, こういう教え方をされればさすがに誰でもできるような気がする。

横道にそれますが外国語の発音ができないのって、耳のよさとかって言うけど違うんじゃないかと思う。正しい舌の位置とか口の形とかを学んで、ちゃんとひとつひとつの音をスピーカーにかじりつくくらいに聞いて、自分の発音を録音して徹底的に聞き比べて違うところを直して何度も練習して、、ってやっていけば誰でもある程度はうまくなると思うんだけどなあ。

Anyway, 今学期取っているもう一つの非ラテンアルファベット言語であるヘブライ語の先生は、プリントを配って説明もそこそこに「はい、じゃあ来週までにはアルファベット全部覚えてきてくださいね」。
やっぱりその語学を専門にやってるのと、その言語を使って別の専門研究をしているのとでは、教え方もだいぶ違うのかなあーと思ったり。
ちなみにヘブライ語の先生はとても素敵な先生だし、授業はヘブライ語そのものよりもイスラエル文化とか聖書の話とかが多いのでそれはそれで非常に面白いのですが。

その2:徹底した少人数教育

というのは別に初めから意図されていたことではないらしく、法文1号館の中では2番目くらいに大きいたぶん100人ぐらい入る教室に、学生は2人。。。

この「休めない」というプレッシャーと、さすがに一方向的な講義だと変な感じがする先生との近い距離感、特に質問がしやすかったりちゃんと学生の理解度を確認しながら授業が進む感じ、いいですね。
こういう超少人数授業は前に1回、「本居宣長の『道』の思想」みたいな授業の時に3人っていうのがあったんだけど、振り返ってみるとそういう授業がいちばん楽しかった気がする。同じ内容でも、このぐらい少人数の方が興味も持ちやすいような。

その3:インドが大好きになる

先生がインドのいろいろな文化(国勢調査とか食べ物とか歴史とかとか)の話をされる度に、その話がとってもおもしろくて聞き手を惹きこむものなので、自然とインドが大好きになっちゃうようなかんじ。
先生のお話を聞いていると、世界一周の中でインドを訪れた記憶が蘇ってきて、もう今すぐにでもインドにまた飛んでいきたい!!!!という気持ちにさせられます。

インド、本当に面白かったなあ。また行きたい。

ということで大好きなインド、大好きなバラナシの写真たち。


到着直後、ホテルからガンガーとバラナシの町を臨む。
空中の浮遊物は凧です。前日が凧のお祭りだったらしい。
どのガートか忘れたけど上流に散歩していく途中で。


夜、プージャを見に来た人たち@ダシャーシュワメード


ガンガーの日の出。世界のどこに行っても、太陽の美しさには同じように感動する。



ガンガーの対岸(不浄の地)からガンガー越しに眺めたバラナシの町。