Friday, March 20, 2009

帰国後1ヶ月と10日

語らなければ。

と前回のポストでもったいぶって書いておきながら、本当に久しくご無沙汰しておりました。更新を待っていたという奇特な方がもしもいてくれたとしたら、ごめんなさい。

言い訳その1. 3月頭のお引越し以降昨日まで我が家にネットがつながっていなかった
言い訳その2. またベトナムに行ってきちゃった、えへ
言い訳その3. オンラインで語っていないだけで、オフラインで会ったいろんな人たちにはそれなりに語っていた(無理矢理にでも言語化しようと足掻いた結果、多少はカオスが秩序化された気がする。詳細は後述)

そんなこんなでばたばたしているうちに、日本社会への復帰はほぼ果たせた気でいます。
日本人らしく、お金は服のポケットじゃなくお財布から取り出すし、バッグを不用意に後ろに持つし、馬鹿みたいに高いお金払ってタイ料理食べるし。
残された課題は、道を渡る時に信号を見ることと、携帯をマナーモードに設定することと、お酒を自分で注がないことと、体色をもう5トーンぐらい落とすこと、ぐらいだろうか。
でもだんだん、帰国直後は人目も憚らず何でもできていたのが――もっと正確に言えば、「人目」というものの存在そのものを認識していなかったのが――、最近は周囲の痛い視線の存在を感じるようになってやりづらくなってきました。空気、読んでます。空気、なんてね。笑っちゃうよね。

半分ぐらいはあえてそうしてる面もあるんだけど、あまりしっかりこの1年を振り返る時間がなくて、既に記憶が風化したり加工されつつあります。要するに、旅の1年を「この1年」ではなく「あの1年」と捉えるようになってきています。まずはとにかく社会復帰、と頑張ってきた成果――とは言い過ぎかもしれないから、結果、です。

さて。

語らなければ。
でしたね。

でも難しいんだよね、こう自分でストーリーを立てて説明していくのって。人との会話の文脈の中で思いついたことを経験に依拠して言う方が500倍くらい楽だ。

だいたい人に言われること、聞かれることは決まっています。

1. 焼けたね~
2. どこがよかった?
3. アフリカどうだった?
4. 日本どう?
5. 自分変わったと思う?
6. 次って何年生だっけ...?

答えもだいたい決まっています。

1. これでもだいぶ白くなったんだよ
2. ヨルダンのペトラ、インドのバラナシ、ラオスのシーパンドン(順不同)
3. トーゴを大好きになって帰ってきたかったけどなれなかった
4. 帰る前から「日本は違うぞ、超すごいぞ」って思いすぎてて実際は意外と普通だった
5. 何でもありと思う時の「何でも」の範囲が広がったこと、あとお腹が強くなった気がする、お酒にも強くなった気がする
6. 次は3年生になります。4年生にはまだなれません。大学はうまく行けばあと2年、計6年で卒業です。うまく行かなければ、、あとは野となれ山となれ。

というのは冗談にしても、人から遅れてるという意味での焦りを感じることは高校留学の時点からなくなっていたけど、早く社会に出たいなあと思う気持ちが最近強い。
旅をしていて学生から社会人から本当にいろんな人に出会って、彼らと話をする中で思ったのは、「学生が何やっても、結局お遊びなんだな」ってこと。別に学生は甘えが許されるみたいなことは前から知っていて、それに乗っかってモラトリアム万歳とか言ってたわけだけど、今となっては、何ていうか――もうお遊びはいいかな、というか、社会の中で何かやるなら「学生」という逃げ場を作らないで、裸一貫の背水の陣でやらなきゃな、みたいな気持ちがある。
だから就活する気まんまんです、今のところ。でも、まだモラトリアムでいられる当面の2年間は、しっかり勉学に励みたいです。

あ~また支離滅裂というか、「で、結局なにが言いたいの?」的な文章になってしまった。
結局何が言いたいかというと、以下の二点です。

1. 受験雑誌「蛍雪時代」の、今発売されている号に載りました。帰国してからまだ大学に1回しか行ってないのに、ちょうどその日に生協で蛍雪時代の人につかまった。「東大ってこんなとこ」というお題でホワイトボード持って笑ってます。

2. 引っ越し先は古ぼけた木造アパートですが、昭和のレトロな風情があって日当たりもよく明るくてわりとゆったりしていて実はすごく気に入ってます。人がたくさん泊まりに来てもちゃんと寝れるようにセミダブルのベッドを買ったので、みなさんどうぞいらしてください。