Friday, June 27, 2008

暑い。。。。。

今、シリアのハマというところにいます。ビザンツ帝国時代からあって今でも現役で動いている水車で有名なところらしいです。

シリア、本当におもしろい。ヨーロッパで感じていた“たかが知れてる感”みたいなものを、まだ一度も感じていません。毎日毎日感動と驚きの連続です。ちょーえきさいてぃんぐ。
エキサイティングすぎて何から書いていいのか全然整理できていないのだけど、とりあえず思いつくままに書いてみます。いつもネットカフェから書いているので、あんまりじっくり書く暇がなくて例によって殴り書きですがごめんなさい。

◆カオス
わたしがこよなく愛する、“アラブ的カオス”。ダマスカスの旧市街は、まさにそれ!!!!ってかんじで、スーク(市場)をただひたすら彷徨い歩いているだけで本当にわくわくするの。なんていうか、きれいに整理されていないところがいいんだよね。なにかが隠れているかんじと、人間の温度が直に感じられる気がして。ダマスカス、素敵すぎます。サウロが失明(?)したところでもあるし、小さい頃から習ってきた世界が現実としてここにあるんだと思うとほんとそれだけで感動するよね。ああすばらしい。

◆砂漠
日本にもヨーロッパにもない、なーーーーーーんにもない砂漠。大好きです。
あのなにもなさ。去年のイスラエルで初めてこの「なにもなさ」に出会って、いまだかつてないほどの衝撃を受けた。もちろんものすごく主観的ではあるんだけど、あそこほど神の存在を感じた場所は他にありません。正確には、神の存在を必要としている場所というか。神聖だとか霊的だとかそういうのでは全然なくって、むしろそういうのを感じさせるものが本当になんにもなくて、そのなにもなさがあまりにも壮絶すぎて、ああ、これは神が必要なんだな、って、なんかすごく納得してしまった。神がいる/いないとかいう次元ではない、というか。。全然うまく言えてないですね、ごめんなさい。
ところでわたしが神を感じる場所っていうのにはある傾向があって。教会だとかそういうところではまったく神聖さとかを感じなくて、むしろ人間の欲みたいなものを感じてしまう。バチカンのサン・ピエトロ大聖堂とかはまさにそんなかんじでした。あの床と高い天井との間にこもる音のかんじは好きだけど、それはまた別の話。で、どんなところで神を感じるかというと、やっぱり自然なんだよね。この中東の砂漠に限らず、ヨーロッパでも、日本でもそうだった。人間が造り得ないもの、人間を超越したものという意味で、神っていうのはやっぱり人間と自然との関係の中で生まれるものなんじゃないかなーという思いを最近強くしています。
ちなみにパルミラでは周りに誰もいなかったから、遺跡を舞台に、砂漠とオアシスを観客に、ジャイアンさながらの一人リサイタルをしました。気持ちよかった♪

◆ユーフラテス河
のほとりのデリゾールっていう町にも行きました。ユーフラテス河は、ものすごく大きくて、ゆったりと流れていて、本当に包み込むような河でした。夕暮れ時に見に行ったのだけど、すごくきれいだった。そしてなぜか東南アジアを思い出した。

◆異文化
・・・と、こんな風に毎日毎日感動しっぱなしでいられるのも、やっぱりここが異文化で新鮮だからなんだろうなーと思うわけです。で、異文化にいればどきどきわくわくもいっぱいだけど戸惑うことも結構あるわけで。。
観光客という短期かつ表面的な経験しかないままに文化とか語るのは非常に危険であることは十分わかった上で、でもやっぱりこの今しか感じられない新鮮な驚きや戸惑いとそれをめぐる思考を残しておきたい気もするのであえて書きます。

人間関係のあり方がよくわからない。なんていうか、、女性が男性と同じように働いていたり対等に話しているようにも見えるけど、ヨルダンやシリアでは「家の恥」のために家族によって殺される女の人がいっぱいいるっていう話も聞くし(というか前に『生きながら火に焼かれて』って本読んだりした)。。別に旅行者としてここにいて男性より下に見られてるとかそういうことは感じないのだけど、ここで生きていくのはまったく次元の違う話で大変なんだろうなあ、とか漠然と思います。女性に関して、自分たちとそれ以外の人へのダブル・スタンダードが存在することは間違いなさそうな気がする。ここの居心地のよさはアウトサイダーだからこそなんだよね、たぶん。

ここでは西洋の論理(と、それに染まった日本の常識)は通用しないところなんだな、ということだけは毎日身をもって感じる。そういう意味で、初めて究極の異文化体験をしている気がします。
たとえば、人々の親切さ。イスラームの徳とかそういう側面もあるのかもしれないけど、ここの人たちは本当に本当に本当に親切。道を聞けば目的地まで一緒に歩いてきてくれるし、しょっちゅうお茶とかご飯とかごちそうしてくれるし(下心のある場合も多々あるけどない場合もある)、時にはバス代払ってくれちゃったりするし、バルセロナでの盗難のこと話したら自分のお店の売り物をただでくれた人もいたし。。数え上げたらきりがないほど、本当に親切なんです、ここの人たちは。で、これって、交換原理に支配されきってないからなのかなーとか思う。わたし(たち)って、普段なにごとも等価交換が当たり前のことのように生活してるけど、別に等価交換をしなきゃいけない根拠って実はあんまりないのかも、とか思いつつ。

◆トルコはEUに入れないであろう
と確信するに至りました。だって、今回訪れているヨルダン・シリアと、去年の夏言ったトルコ、本当にそっくりだもん。歴史を共有してることももちろんあると思うし、何より人が似てる。ありえないくらい親切なところとか、だけどセクハラが半端ないところとか。トイレも同じだしw トルコはヨーロッパじゃない!というのがわたしの結論です。

◆クネイトラ
ってご存知ですか? ゴラン高原にあって、1974年(たぶん)にイスラエルが爆撃したシリア人の町です。シリアはあえてその町を爆撃されたままに残していて、今は国連とシリアが共同管理してるみたいです。先日そこに行ったのだけど、、言葉を失いました。建物の天井はコンクリとは思えないほどにぐにゃりとまがって地面に押しつぶされているし、かろうじてつぶれいていない建物の壁という壁には銃かなにかで無数の穴が開いている。病院も、教会も、モスクも、なにもかも破壊しつくされている。本当になにも言葉が出なかった。
さらに驚いたのは、爆撃後大半の住民が近隣の町に移住した中で、こんな廃墟のなかにまだ3組の家族が暮らしているということ。学校もお店も病院もなにもなくなってしまったこんなところに・・・。残ると決めた彼らの思いには、わたしなんかには想像もつかない重みがあるんだろうと思いました。
そんな真っ白になってしまった頭にかろうじて浮かんできたのは、「戦争は憎しみしか生まない」という言葉と、今まで何度も写真や映像で見てきたヒロシマの風景。でも、そんな言葉もかつての住民だった人々にはキレイゴトとしてしか響かないのかもしれない。「許す」ということがなければ決して前には進めない、そしてそれができないことは自分にとってもとても苦しい、けど、「許す」ってそれほど簡単なことでは決してない。戦争なんかに比べたら些細なことではあるけれど、私個人の経験を振り返りながらぼんやりとそう思います。

+++

さて、そんなかんじで今はガーナのビザをどこでとれるのか模索中です。最初はイギリスでとるつもりだったんだけど、もっと中東にいたくなったから中東でとろうかと。エジプトにはガーナ大使館あるっぽいのでたぶんエジプトでとれるかなー。なにかガーナのトランジットビザ情報持ってる人がいたら教えてくださいませ。

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