眠いし風邪気味だからぐちゃぐちゃです。いつか気の向いた時にでももっと整理して書くかもしれません。
***
旅に出て間もない頃の日記で、わたしはこう書いた。
2008年5月6日
なんか。何も残さずにただひっそりと死んでいくのもいいかな、とか生まれて初めて思ったりしている。今まであまりにも多くのものにしばられすぎていたかもしれない。本当に、絶対に、譲れないものってなんだろう? 失ってしまえば、それはそれで生きていけるものなんだから。もっと多くのものを、自分から手放せるようになれたらいいだろう。
2008年5月20日
できるだけ目立たぬよう、小さくなって小さくなって、森の中や山の中でひっそりと生きて死んでいくのもいいかもしれないな、と思ってしまう。
***
(※以下ネタばれ注意)
彼は、「自由」を求めて、「真実」を求めて、「完全」を求めて、旅に出た。「社会」という茶番から抜け出すために。
でも、結局抜け出せなかった。もっと正確に言うと、抜け出してはみたけれど、抜け出すことで同時に失うものに、打ち克つことができなかった。
完全なんてありえない。完全なんて幻想でしかない。
それなのに人間はその幻想に酔いしれ、それを求める。
99%の幸せと、1%の不幸を見比べて、自分は不幸だと言う。
彼は完全な自由を追い求めた。
でも、本を捨てなかった。自分と他者とのつながりを断ち切れなくて。
「完全な自由」は、幻想だった。
"HAPPINESS ONLY REAL WHEN SHARED"
彼は生きようとしていた。
だけど、他者から自分が生きていることを認められなければ、もはや、「生」と「死」という区別さえ無意味なのだ。
だから彼は書き遺した。死ぬ前に自分の写真を撮った。自分の存在を他者に認めてもらいたくて。
***
"TO CALL EACH THING BY ITS RIGHT NAME"
なまえ。
他者とのつながりなんてなければ、名前なんていらない。
他者が自分の存在を認めていて、合意が存在していなければ、「正しい」名前なんてない。
***
彼は、「自由」を求めて、「真実」を求めて、「完全」を求めて、旅に出た。「社会」という茶番から抜け出すために。
お金を稼ぐこと、お金を遣うこと、人間関係に翻弄されること、いい成績を取ること、出世すること、おしゃれすること、愛想笑いをすること、満員電車に揺られること、デッドラインに追われること、礼儀をわきまえること、空気を読むこと、言語を使うこと、何かを頑張ること、それらすべてが、茶番であっても、茶番を生きる中でしか、他者と寄り添うことはできない。
茶番が真実なのではないかもしれない。でも、茶番の中でしか、触れることのできないものがある。
「にせもの」と「ほんもの」という二項対立は、現実の世界ではナンセンスだ。
そしてわたしたちが生きる世界は、「社会」という名の現実以外には、ない。
だから、それがいかに茶番であっても、他者と寄り添うために、そうすることでしか生きていけない自分のために、茶番を一生懸命演じていかなきゃいけない。
***
正直なところ、自分の旅と重ね合わせることがとても多かった。
だから、共感もものすごく多かったけど、どこか冷めた目で見ている自分もいた。
大泣き虫のわたしなのに、不思議と涙は出なかった。
自分の求めるもののために、突き進んでいく。
かっこいいかもしれない。
でも、そうすることで、多くの人の心の震えに、鈍感になってしまうことがある。
そして、自分が追い求めていたはずのもの、真実だと思っていたものを手に入れた時、それが「茶番」だったと気づく――。
Monday, May 25, 2009
Sunday, May 24, 2009
*inentitlable
旅の間は、何もかも自己責任。自分ひとりで考え、決断しなければいけなかった。
言い換えれば、自分のことだけを心配していればそれでよかった。
他人のことを思いやれなくても、「自分の身は自分で守るしかない」とかいう言葉で正当化された。
自分の心の温かで柔らかな部分が冷たく硬くなっていくのを、「強くなった」とかいう言葉で隠蔽した。
それが当たり前で、責める人は誰もいなかった。
自分も、それに気付いたという事実を顕在化させてしまうのが怖くて、いつもどこかで言い訳していた。
どの社会にも属さない、はみ出し者で、時にはそれが寂しくもあり、時には心地よくもあった。
日本に帰ってきて3か月以上経った今になって、急にまたリエントリーショックのようなものが、波のように、じわじわと押し寄せてきている。
「社会の一員」として生きていくという自分自身の生が、いかに自分以外の人々によって影響され、規定されているか。
いかに、他者への配慮が、暗黙のうちに、要求されているか。
そしておそらく、同じように、いかに、自分が、他者からの配慮を食いつぶすことで生かされているか。
つまり、どれほど多くの規範が、わたしたちの社会的な生を支配しているか。
表面的な「社会復帰」はとっくに終えたかもしれない。
満員電車にうきうきしなくなったし、日本米を目の前にして心ときめかすこともなくなったし、信号はいまだに守れないけど、レストランのおしぼりサービスにも驚かなくなったし、店頭の値札をいちいちトーゴの通貨に換算することもなくなった。
でも、たぶん、共存在(という言葉をここで使うことは安直すぎるかもしれないけど――)という存在の一根源的な局面を考えるとき、わたしにはまだ何かが欠損したままだ。
この1年で「失ってしまった」(という言葉で常識的には表現されうる)ものが、ようやくぼんやりと輪郭を顕わにし始めた、ような気がする。
しかしやっぱり!
旅に出る前も旅の間も帰ってきた今も、社会的な生というのが茶番以外の何物でもないように思われて仕方ない時がある。
でも、社会的な生が茶番であると考えることこそが茶番であるような気もして。
そして、こうして「茶番だ」だの何だのわめいてること自体が、茶番であるような気がして。
だいたい茶番という言葉を使う裏には、「茶番ではない」=「よい/正しい/本来的/本質的」などなどと称されるものの存在が想定されていて、それすらも確信が持てなくなったらどうしたらいいのですか、って話。
そしてきっと、一度こんなループが生じてしまったからには、誰がどんな解答を持ってこようとも、納得することは難しいだろう。
相対化が自己増殖していった先には、苦しみしかない、のかしらん。
否、苦しみを苦しみとすら言えない「苦しみ」――。
言い換えれば、自分のことだけを心配していればそれでよかった。
他人のことを思いやれなくても、「自分の身は自分で守るしかない」とかいう言葉で正当化された。
自分の心の温かで柔らかな部分が冷たく硬くなっていくのを、「強くなった」とかいう言葉で隠蔽した。
それが当たり前で、責める人は誰もいなかった。
自分も、それに気付いたという事実を顕在化させてしまうのが怖くて、いつもどこかで言い訳していた。
どの社会にも属さない、はみ出し者で、時にはそれが寂しくもあり、時には心地よくもあった。
日本に帰ってきて3か月以上経った今になって、急にまたリエントリーショックのようなものが、波のように、じわじわと押し寄せてきている。
「社会の一員」として生きていくという自分自身の生が、いかに自分以外の人々によって影響され、規定されているか。
いかに、他者への配慮が、暗黙のうちに、要求されているか。
そしておそらく、同じように、いかに、自分が、他者からの配慮を食いつぶすことで生かされているか。
つまり、どれほど多くの規範が、わたしたちの社会的な生を支配しているか。
表面的な「社会復帰」はとっくに終えたかもしれない。
満員電車にうきうきしなくなったし、日本米を目の前にして心ときめかすこともなくなったし、信号はいまだに守れないけど、レストランのおしぼりサービスにも驚かなくなったし、店頭の値札をいちいちトーゴの通貨に換算することもなくなった。
でも、たぶん、共存在(という言葉をここで使うことは安直すぎるかもしれないけど――)という存在の一根源的な局面を考えるとき、わたしにはまだ何かが欠損したままだ。
この1年で「失ってしまった」(という言葉で常識的には表現されうる)ものが、ようやくぼんやりと輪郭を顕わにし始めた、ような気がする。
しかしやっぱり!
旅に出る前も旅の間も帰ってきた今も、社会的な生というのが茶番以外の何物でもないように思われて仕方ない時がある。
でも、社会的な生が茶番であると考えることこそが茶番であるような気もして。
そして、こうして「茶番だ」だの何だのわめいてること自体が、茶番であるような気がして。
だいたい茶番という言葉を使う裏には、「茶番ではない」=「よい/正しい/本来的/本質的」などなどと称されるものの存在が想定されていて、それすらも確信が持てなくなったらどうしたらいいのですか、って話。
そしてきっと、一度こんなループが生じてしまったからには、誰がどんな解答を持ってこようとも、納得することは難しいだろう。
相対化が自己増殖していった先には、苦しみしかない、のかしらん。
否、苦しみを苦しみとすら言えない「苦しみ」――。
Tuesday, May 05, 2009
Incred!ble Hindi
今学期はなぜか語学の授業が無駄に多く(6ヶ国語7コマ...)、ひいひい言いながらなんとか4月を乗り切ったわけですが、それらの授業の中で、今、ヒンディー語がとてもアツいです。
アツい理由はいくつかあって、
その1:先生が素晴らしい
今まで語学の習得にしろ他の勉強にしろ、大事なのは自分でどれだけやるかで、先生の教え方が上手/下手って、そこまで影響しないと思っていた。
が! が!!
ヒンディー語の講義の先生は外部講師で外語大の先生なんだけど、ご自分で本も書いてらして(それが教科書)、教え方はさすがプロ。
(外語大の先生で本を書いていれば誰でも教え方がうまいというわけではないだろうけど。)
まだ初めの文字と発音のところだからだと思うけど1回100分の授業で1ページ進むか進まないかくらいの速度で、説明が一つ一つものすごく丁寧で、発音に至っては言語学的説明から口の構造からヒンディー語と日本語・英語との違いに至るまで細かく細かく教えてくださるんだけど、発音マニア(他称)の私としてはもう鳥肌が立つくらい面白い。し、what's more, こういう教え方をされればさすがに誰でもできるような気がする。
横道にそれますが外国語の発音ができないのって、耳のよさとかって言うけど違うんじゃないかと思う。正しい舌の位置とか口の形とかを学んで、ちゃんとひとつひとつの音をスピーカーにかじりつくくらいに聞いて、自分の発音を録音して徹底的に聞き比べて違うところを直して何度も練習して、、ってやっていけば誰でもある程度はうまくなると思うんだけどなあ。
Anyway, 今学期取っているもう一つの非ラテンアルファベット言語であるヘブライ語の先生は、プリントを配って説明もそこそこに「はい、じゃあ来週までにはアルファベット全部覚えてきてくださいね」。
やっぱりその語学を専門にやってるのと、その言語を使って別の専門研究をしているのとでは、教え方もだいぶ違うのかなあーと思ったり。
ちなみにヘブライ語の先生はとても素敵な先生だし、授業はヘブライ語そのものよりもイスラエル文化とか聖書の話とかが多いのでそれはそれで非常に面白いのですが。
その2:徹底した少人数教育
というのは別に初めから意図されていたことではないらしく、法文1号館の中では2番目くらいに大きいたぶん100人ぐらい入る教室に、学生は2人。。。
この「休めない」というプレッシャーと、さすがに一方向的な講義だと変な感じがする先生との近い距離感、特に質問がしやすかったりちゃんと学生の理解度を確認しながら授業が進む感じ、いいですね。
こういう超少人数授業は前に1回、「本居宣長の『道』の思想」みたいな授業の時に3人っていうのがあったんだけど、振り返ってみるとそういう授業がいちばん楽しかった気がする。同じ内容でも、このぐらい少人数の方が興味も持ちやすいような。
その3:インドが大好きになる
先生がインドのいろいろな文化(国勢調査とか食べ物とか歴史とかとか)の話をされる度に、その話がとってもおもしろくて聞き手を惹きこむものなので、自然とインドが大好きになっちゃうようなかんじ。
先生のお話を聞いていると、世界一周の中でインドを訪れた記憶が蘇ってきて、もう今すぐにでもインドにまた飛んでいきたい!!!!という気持ちにさせられます。
インド、本当に面白かったなあ。また行きたい。
到着直後、ホテルからガンガーとバラナシの町を臨む。

アツい理由はいくつかあって、
その1:先生が素晴らしい
今まで語学の習得にしろ他の勉強にしろ、大事なのは自分でどれだけやるかで、先生の教え方が上手/下手って、そこまで影響しないと思っていた。
が! が!!
ヒンディー語の講義の先生は外部講師で外語大の先生なんだけど、ご自分で本も書いてらして(それが教科書)、教え方はさすがプロ。
(外語大の先生で本を書いていれば誰でも教え方がうまいというわけではないだろうけど。)
まだ初めの文字と発音のところだからだと思うけど1回100分の授業で1ページ進むか進まないかくらいの速度で、説明が一つ一つものすごく丁寧で、発音に至っては言語学的説明から口の構造からヒンディー語と日本語・英語との違いに至るまで細かく細かく教えてくださるんだけど、発音マニア(他称)の私としてはもう鳥肌が立つくらい面白い。し、what's more, こういう教え方をされればさすがに誰でもできるような気がする。
横道にそれますが外国語の発音ができないのって、耳のよさとかって言うけど違うんじゃないかと思う。正しい舌の位置とか口の形とかを学んで、ちゃんとひとつひとつの音をスピーカーにかじりつくくらいに聞いて、自分の発音を録音して徹底的に聞き比べて違うところを直して何度も練習して、、ってやっていけば誰でもある程度はうまくなると思うんだけどなあ。
Anyway, 今学期取っているもう一つの非ラテンアルファベット言語であるヘブライ語の先生は、プリントを配って説明もそこそこに「はい、じゃあ来週までにはアルファベット全部覚えてきてくださいね」。
やっぱりその語学を専門にやってるのと、その言語を使って別の専門研究をしているのとでは、教え方もだいぶ違うのかなあーと思ったり。
ちなみにヘブライ語の先生はとても素敵な先生だし、授業はヘブライ語そのものよりもイスラエル文化とか聖書の話とかが多いのでそれはそれで非常に面白いのですが。
その2:徹底した少人数教育
というのは別に初めから意図されていたことではないらしく、法文1号館の中では2番目くらいに大きいたぶん100人ぐらい入る教室に、学生は2人。。。
この「休めない」というプレッシャーと、さすがに一方向的な講義だと変な感じがする先生との近い距離感、特に質問がしやすかったりちゃんと学生の理解度を確認しながら授業が進む感じ、いいですね。
こういう超少人数授業は前に1回、「本居宣長の『道』の思想」みたいな授業の時に3人っていうのがあったんだけど、振り返ってみるとそういう授業がいちばん楽しかった気がする。同じ内容でも、このぐらい少人数の方が興味も持ちやすいような。
その3:インドが大好きになる
先生がインドのいろいろな文化(国勢調査とか食べ物とか歴史とかとか)の話をされる度に、その話がとってもおもしろくて聞き手を惹きこむものなので、自然とインドが大好きになっちゃうようなかんじ。
先生のお話を聞いていると、世界一周の中でインドを訪れた記憶が蘇ってきて、もう今すぐにでもインドにまた飛んでいきたい!!!!という気持ちにさせられます。
インド、本当に面白かったなあ。また行きたい。
ということで大好きなインド、大好きなバラナシの写真たち。
到着直後、ホテルからガンガーとバラナシの町を臨む。
空中の浮遊物は凧です。前日が凧のお祭りだったらしい。
どのガートか忘れたけど上流に散歩していく途中で。
夜、プージャを見に来た人たち@ダシャーシュワメード
ガンガーの日の出。世界のどこに行っても、太陽の美しさには同じように感動する。

ガンガーの対岸(不浄の地)からガンガー越しに眺めたバラナシの町。
Monday, April 20, 2009
【解説編】あなたなら、どうしますか
こんばんわ。
前回のポストに誰もコメントをくれなかったのでちょっぴり骨川スネ夫くんです。心なしか出っ歯になったような気さえします。
嘘です。
あんな唐突な質問じゃ、誰も答える気にならないだろうなあと反省しました。
さてさて。
この前、トーゴ人の友達の友達が日本に来たので、会いに行ってきました。
そこでのエピソード。
ホテルで彼に会って、彼と一緒にご飯を食べに行ったときに、おごるべきかおごらないべきかものすごく悩んだ。というか、彼に会うことがわかってから、当日までずっと悩み続けていた。
***
1.
わたしが普段生活している社会では、ごちそうする/しないの判断ってそこまで重要なものじゃないと思う。
ただ単に気分がいい日とか、バイトしまくってお金がある時とか、特に深い意味もなくごちそうしたり、逆にされたりもしている。そしてそれはお互いにとって特に大きな意味を持たないんじゃないかな。少なくともプライベートの関係では。
そしてそういう、ごちそうする/されるという関係が健全に成り立つのは、自分と相手がある程度対等だからだと思う。
でも、これが途上国の人との間のことになったとたん、話は違ってくる。
これがわたしが何度も書いている「オリエンタリズムの内在化」の話です。
彼らの言うところの「yovo」(=白人=黒人じゃない人。欧米人も日本人も中国人もみんな「yovo」。)が、よってたかってアフリカにやってきて、「君たちは貧しいね、かわいそうだね、僕たちが助けてあげなくちゃ」と言って自分の罪悪感の消滅のために「援助」をすることで、トーゴ人自身の自己認識が、「白人に対して劣ってる、僕たちはだめなんだ」というものになり、さらに白人による「援助漬け」と相俟って、「白人は何でも持ってて何でもしてくれる、かわいそうな僕たちを助けるべきなんだ」となり、結局トーゴ人自身の主体性を奪うことになってしまっているのではないか。。。
もちろんそうじゃない関わり方だってあるはず(なのだろう)だけど、わたしがトーゴで受けた印象は何よりもこの「オリエンタリズムの内在化」でした。
こちらがいくら「対等に」(≒単なる友達として、とか)接したいと思っていても、あまりにも「こちらの世界」と「あちらの世界」の格差がありすぎて、絶対に対等になんかなりえない。彼らがわたし(たち)に接するときには、「この人は自分たちと違う」という、無意識的の壁が存在する。もし「対等に」接していると思っているとしたら、それはyovo側の欺瞞にすぎないと思う。
これは、感覚的に例えて言うと、ちょっと前の(今もかな?)日本人が欧米人に対して抱く漠然とした劣等感、もしくは憧れ、のようなものと似てるかもしれない。
でもわたしがトーゴで感じたのは、それのもっともっと圧倒的なものだった。
その圧倒的な溝あるいは壁の存在のせいで、わたしたちが何をするにしても、その行為は何らかの責めを負わなければならなくなってしまう。
先進国の人間が途上国の人たちにモノやお金をあげるのは、(もちろん判断は常にon case-by-case basisではあるけど一般的に)彼らが「持てる者」に依存する体質を助長することで、いつまでも彼ら自身が持てるようになるための主体性とか力を手に入れられなくなりそうで、むしろあんまりいいことじゃないんじゃないか。
そう思えてきたから、トーゴでは、わたしは安易にものやお金をあげないようにしてた。
「Renaが払うのが当たり前、だってyovoじゃん」みたいになったら終わりだなと思ってた。他のyovoたちがあまりにも当然のようにお金やものをあげているのを見て、「わたしってただケチなだけなのかなあ」とか自分を責める方向にばっかり行ったりもしたけど、それでもやっぱり他のyovoたちのやり方に対する強烈な違和感は拭えなかった。
トーゴでは、わたしがそれまで生きていた社会で当たり前のように「良い」とされていたものごとを、疑問視せざるを得ない状況がたくさんあった。
「本当に彼らのためになることは何か」と考えたときに、「良い」という言葉の意味は本当によくわからなくなった。
優しさとか、親切とか、そういう日本ではごく一般の道徳的価値の多くが否定された。(その結果、日本的な価値観からしたら「心がすさんだ」と表現すべき状態になったと自覚していました。)
***
2.
一方で。全然話は変わって。
わたしが生きる上でとても大切だと思っていることのひとつに、「自と他の“境界線”をなくすこと」というのがあります。言い換えれば、全てを「自分ゴト」にするという意味です。
人間って常に(ドラえもんの「独裁者ボタン」にもあるように、笑)他者との関わりの中で生きていて、相互に影響を与えあっている。英語の授業でよく習う “My mother has made what I am today.” みたいな例文にもあるように、「自分」をつくっているものを分解していくと、結局は「自分」って「他者」からの影響によって形作られていて、authentic(ってこの文脈で使っていいのかちょっとわかんないけど)な自分なんてあるのかしら、とよくわからなくなってくる。言い換えると、自分の中にも他者が生きていて、あるいは他者の中にも自分が生きていて、自分と他者の境界の線引きなんてほんとはよくわからない。
そうやってひとつひとつ考えていくと、自分と世界との関わりってすごく切実なものとして捉えられるような気がする。
誰も自分や自分の愛する人(「自分サイド」にいる人)を傷つけたいとは思わない。
だから、世界を「自分ゴト」に。
簡単に言うとこういう思想です。
(ただ、こういう明確な価値判断を含む一スタンスを暫定的に選択しても、その瞬間自分の中で相対化が起こるのは止めることができません。それでも、なんとかこれは信じていたい、と思う自分も存在する。そのへんの無限のループはここではちょっとだけ棚上げすることにします。)
***
さて、この1と2の冗長な話からわたしが言いたかったことをまとめると、
わたしはそのトーゴ人の友達の友達と
A. 「友達」として接したかった(⇒友達が海外から訪ねてきたら迷わずごはんぐらいごちそうする)≪2の話≫
でも、
B. 「先進国の人間」「途上国の人間」という関係を考えると、安易にごちそうすることはいいことではないような気がしている≪1の話≫
しかし、
C. 後者の立場をとればそれは一種差別的な接し方ではないのか、わたしは純粋に「友達」として接したいのに… ⇒A
という、永遠の循環に陥ってしまったわけでした。Aの立場をとってもBの立場をとっても、結局どこかしらで罪悪感や後ろめたさを感じざるを得ない。
そもそも、これほど圧倒的な溝が存在しているときに、「友達」という関係を持つこと自体可能なのだろうか?
途上国の人(という区切り方をすること自体ものすごく嫌なんだけど、それ以外の理由が思いつかない)と接するのは、本当に難しい。
どうすべきかとか、答えなんてないんだろうけど。
結局あの夜は、わたしは彼の分も払ってレストランを後にしました。この上ない罪悪感を胸に抱えながら。。。
これを読んだ上で、あなたなら、どうしますか、という問いに改めて答えてくれる人がいたら大歓迎です。というか、誰か新しい光を差し込んでください。。。。
前回のポストに誰もコメントをくれなかったのでちょっぴり骨川スネ夫くんです。心なしか出っ歯になったような気さえします。
嘘です。
あんな唐突な質問じゃ、誰も答える気にならないだろうなあと反省しました。
さてさて。
この前、トーゴ人の友達の友達が日本に来たので、会いに行ってきました。
そこでのエピソード。
ホテルで彼に会って、彼と一緒にご飯を食べに行ったときに、おごるべきかおごらないべきかものすごく悩んだ。というか、彼に会うことがわかってから、当日までずっと悩み続けていた。
***
1.
わたしが普段生活している社会では、ごちそうする/しないの判断ってそこまで重要なものじゃないと思う。
ただ単に気分がいい日とか、バイトしまくってお金がある時とか、特に深い意味もなくごちそうしたり、逆にされたりもしている。そしてそれはお互いにとって特に大きな意味を持たないんじゃないかな。少なくともプライベートの関係では。
そしてそういう、ごちそうする/されるという関係が健全に成り立つのは、自分と相手がある程度対等だからだと思う。
でも、これが途上国の人との間のことになったとたん、話は違ってくる。
これがわたしが何度も書いている「オリエンタリズムの内在化」の話です。
彼らの言うところの「yovo」(=白人=黒人じゃない人。欧米人も日本人も中国人もみんな「yovo」。)が、よってたかってアフリカにやってきて、「君たちは貧しいね、かわいそうだね、僕たちが助けてあげなくちゃ」と言って自分の罪悪感の消滅のために「援助」をすることで、トーゴ人自身の自己認識が、「白人に対して劣ってる、僕たちはだめなんだ」というものになり、さらに白人による「援助漬け」と相俟って、「白人は何でも持ってて何でもしてくれる、かわいそうな僕たちを助けるべきなんだ」となり、結局トーゴ人自身の主体性を奪うことになってしまっているのではないか。。。
もちろんそうじゃない関わり方だってあるはず(なのだろう)だけど、わたしがトーゴで受けた印象は何よりもこの「オリエンタリズムの内在化」でした。
こちらがいくら「対等に」(≒単なる友達として、とか)接したいと思っていても、あまりにも「こちらの世界」と「あちらの世界」の格差がありすぎて、絶対に対等になんかなりえない。彼らがわたし(たち)に接するときには、「この人は自分たちと違う」という、無意識的の壁が存在する。もし「対等に」接していると思っているとしたら、それはyovo側の欺瞞にすぎないと思う。
これは、感覚的に例えて言うと、ちょっと前の(今もかな?)日本人が欧米人に対して抱く漠然とした劣等感、もしくは憧れ、のようなものと似てるかもしれない。
でもわたしがトーゴで感じたのは、それのもっともっと圧倒的なものだった。
その圧倒的な溝あるいは壁の存在のせいで、わたしたちが何をするにしても、その行為は何らかの責めを負わなければならなくなってしまう。
先進国の人間が途上国の人たちにモノやお金をあげるのは、(もちろん判断は常にon case-by-case basisではあるけど一般的に)彼らが「持てる者」に依存する体質を助長することで、いつまでも彼ら自身が持てるようになるための主体性とか力を手に入れられなくなりそうで、むしろあんまりいいことじゃないんじゃないか。
そう思えてきたから、トーゴでは、わたしは安易にものやお金をあげないようにしてた。
「Renaが払うのが当たり前、だってyovoじゃん」みたいになったら終わりだなと思ってた。他のyovoたちがあまりにも当然のようにお金やものをあげているのを見て、「わたしってただケチなだけなのかなあ」とか自分を責める方向にばっかり行ったりもしたけど、それでもやっぱり他のyovoたちのやり方に対する強烈な違和感は拭えなかった。
トーゴでは、わたしがそれまで生きていた社会で当たり前のように「良い」とされていたものごとを、疑問視せざるを得ない状況がたくさんあった。
「本当に彼らのためになることは何か」と考えたときに、「良い」という言葉の意味は本当によくわからなくなった。
優しさとか、親切とか、そういう日本ではごく一般の道徳的価値の多くが否定された。(その結果、日本的な価値観からしたら「心がすさんだ」と表現すべき状態になったと自覚していました。)
***
2.
一方で。全然話は変わって。
わたしが生きる上でとても大切だと思っていることのひとつに、「自と他の“境界線”をなくすこと」というのがあります。言い換えれば、全てを「自分ゴト」にするという意味です。
人間って常に(ドラえもんの「独裁者ボタン」にもあるように、笑)他者との関わりの中で生きていて、相互に影響を与えあっている。英語の授業でよく習う “My mother has made what I am today.” みたいな例文にもあるように、「自分」をつくっているものを分解していくと、結局は「自分」って「他者」からの影響によって形作られていて、authentic(ってこの文脈で使っていいのかちょっとわかんないけど)な自分なんてあるのかしら、とよくわからなくなってくる。言い換えると、自分の中にも他者が生きていて、あるいは他者の中にも自分が生きていて、自分と他者の境界の線引きなんてほんとはよくわからない。
そうやってひとつひとつ考えていくと、自分と世界との関わりってすごく切実なものとして捉えられるような気がする。
誰も自分や自分の愛する人(「自分サイド」にいる人)を傷つけたいとは思わない。
だから、世界を「自分ゴト」に。
簡単に言うとこういう思想です。
(ただ、こういう明確な価値判断を含む一スタンスを暫定的に選択しても、その瞬間自分の中で相対化が起こるのは止めることができません。それでも、なんとかこれは信じていたい、と思う自分も存在する。そのへんの無限のループはここではちょっとだけ棚上げすることにします。)
***
さて、この1と2の冗長な話からわたしが言いたかったことをまとめると、
わたしはそのトーゴ人の友達の友達と
A. 「友達」として接したかった(⇒友達が海外から訪ねてきたら迷わずごはんぐらいごちそうする)≪2の話≫
でも、
B. 「先進国の人間」「途上国の人間」という関係を考えると、安易にごちそうすることはいいことではないような気がしている≪1の話≫
しかし、
C. 後者の立場をとればそれは一種差別的な接し方ではないのか、わたしは純粋に「友達」として接したいのに… ⇒A
という、永遠の循環に陥ってしまったわけでした。Aの立場をとってもBの立場をとっても、結局どこかしらで罪悪感や後ろめたさを感じざるを得ない。
そもそも、これほど圧倒的な溝が存在しているときに、「友達」という関係を持つこと自体可能なのだろうか?
途上国の人(という区切り方をすること自体ものすごく嫌なんだけど、それ以外の理由が思いつかない)と接するのは、本当に難しい。
どうすべきかとか、答えなんてないんだろうけど。
結局あの夜は、わたしは彼の分も払ってレストランを後にしました。この上ない罪悪感を胸に抱えながら。。。
これを読んだ上で、あなたなら、どうしますか、という問いに改めて答えてくれる人がいたら大歓迎です。というか、誰か新しい光を差し込んでください。。。。
Tuesday, April 14, 2009
あなたなら、どうしますか
以下の問いに対する答えをひとつずつ選び、理由とともに答えてください。
<問題1>
あなたにはアフリカ人の友達のアレンがいます。
ある日アレンからメールが来ました。
サムという友達が日本に行くことになったので、滞在中いろいろ世話してやってほしいとのこと。
特に宿泊費ができるだけ安いところに泊まりたいので、いいところはないか、とのことです。
サムやアレンのようなアフリカ人には、日本への航空券代だけでも捻出するのは大変なこと。
他の出費を抑えようとする気持ちはうなずけます。
さあ、あなたならどうする?
A. 自分の家に泊めてあげる
B. 友達に頼んで泊めてやってもらう
C. ホテルを紹介する
<問題2>
いよいよサムの来日当日。
空港から自力で辿り着いたサムとの初対面を果たし、 「お腹ペコペコ」と言うので早速レストランに連れ出すあなた。
サムは慣れない日本食もとっても美味しそうに食べています。
アフリカの話、日本の話、、2人の会話にも花が咲き、とても楽しいお食事でした。
さて、そろそろ帰らないと。お会計の時間です。
さあ、あなたならどうする?
A. あなたが全部払う
B. サムに全部払ってもらう
C. 割り勘、もしくは別会計
---
後日、解説版をアップしようと思いますが、その前にぜひみなさんの意見を聞かせてください☆
<問題1>
あなたにはアフリカ人の友達のアレンがいます。
ある日アレンからメールが来ました。
サムという友達が日本に行くことになったので、滞在中いろいろ世話してやってほしいとのこと。
特に宿泊費ができるだけ安いところに泊まりたいので、いいところはないか、とのことです。
サムやアレンのようなアフリカ人には、日本への航空券代だけでも捻出するのは大変なこと。
他の出費を抑えようとする気持ちはうなずけます。
さあ、あなたならどうする?
A. 自分の家に泊めてあげる
B. 友達に頼んで泊めてやってもらう
C. ホテルを紹介する
<問題2>
いよいよサムの来日当日。
空港から自力で辿り着いたサムとの初対面を果たし、 「お腹ペコペコ」と言うので早速レストランに連れ出すあなた。
サムは慣れない日本食もとっても美味しそうに食べています。
アフリカの話、日本の話、、2人の会話にも花が咲き、とても楽しいお食事でした。
さて、そろそろ帰らないと。お会計の時間です。
さあ、あなたならどうする?
A. あなたが全部払う
B. サムに全部払ってもらう
C. 割り勘、もしくは別会計
---
後日、解説版をアップしようと思いますが、その前にぜひみなさんの意見を聞かせてください☆
Friday, March 20, 2009
帰国後1ヶ月と10日
語らなければ。
と前回のポストでもったいぶって書いておきながら、本当に久しくご無沙汰しておりました。更新を待っていたという奇特な方がもしもいてくれたとしたら、ごめんなさい。
言い訳その1. 3月頭のお引越し以降昨日まで我が家にネットがつながっていなかった
言い訳その2. またベトナムに行ってきちゃった、えへ
言い訳その3. オンラインで語っていないだけで、オフラインで会ったいろんな人たちにはそれなりに語っていた(無理矢理にでも言語化しようと足掻いた結果、多少はカオスが秩序化された気がする。詳細は後述)
そんなこんなでばたばたしているうちに、日本社会への復帰はほぼ果たせた気でいます。
日本人らしく、お金は服のポケットじゃなくお財布から取り出すし、バッグを不用意に後ろに持つし、馬鹿みたいに高いお金払ってタイ料理食べるし。
残された課題は、道を渡る時に信号を見ることと、携帯をマナーモードに設定することと、お酒を自分で注がないことと、体色をもう5トーンぐらい落とすこと、ぐらいだろうか。
でもだんだん、帰国直後は人目も憚らず何でもできていたのが――もっと正確に言えば、「人目」というものの存在そのものを認識していなかったのが――、最近は周囲の痛い視線の存在を感じるようになってやりづらくなってきました。空気、読んでます。空気、なんてね。笑っちゃうよね。
半分ぐらいはあえてそうしてる面もあるんだけど、あまりしっかりこの1年を振り返る時間がなくて、既に記憶が風化したり加工されつつあります。要するに、旅の1年を「この1年」ではなく「あの1年」と捉えるようになってきています。まずはとにかく社会復帰、と頑張ってきた成果――とは言い過ぎかもしれないから、結果、です。
さて。
語らなければ。
でしたね。
でも難しいんだよね、こう自分でストーリーを立てて説明していくのって。人との会話の文脈の中で思いついたことを経験に依拠して言う方が500倍くらい楽だ。
だいたい人に言われること、聞かれることは決まっています。
1. 焼けたね~
2. どこがよかった?
3. アフリカどうだった?
4. 日本どう?
5. 自分変わったと思う?
6. 次って何年生だっけ...?
答えもだいたい決まっています。
1. これでもだいぶ白くなったんだよ
2. ヨルダンのペトラ、インドのバラナシ、ラオスのシーパンドン(順不同)
3. トーゴを大好きになって帰ってきたかったけどなれなかった
4. 帰る前から「日本は違うぞ、超すごいぞ」って思いすぎてて実際は意外と普通だった
5. 何でもありと思う時の「何でも」の範囲が広がったこと、あとお腹が強くなった気がする、お酒にも強くなった気がする
6. 次は3年生になります。4年生にはまだなれません。大学はうまく行けばあと2年、計6年で卒業です。うまく行かなければ、、あとは野となれ山となれ。
というのは冗談にしても、人から遅れてるという意味での焦りを感じることは高校留学の時点からなくなっていたけど、早く社会に出たいなあと思う気持ちが最近強い。
旅をしていて学生から社会人から本当にいろんな人に出会って、彼らと話をする中で思ったのは、「学生が何やっても、結局お遊びなんだな」ってこと。別に学生は甘えが許されるみたいなことは前から知っていて、それに乗っかってモラトリアム万歳とか言ってたわけだけど、今となっては、何ていうか――もうお遊びはいいかな、というか、社会の中で何かやるなら「学生」という逃げ場を作らないで、裸一貫の背水の陣でやらなきゃな、みたいな気持ちがある。
だから就活する気まんまんです、今のところ。でも、まだモラトリアムでいられる当面の2年間は、しっかり勉学に励みたいです。
あ~また支離滅裂というか、「で、結局なにが言いたいの?」的な文章になってしまった。
結局何が言いたいかというと、以下の二点です。
1. 受験雑誌「蛍雪時代」の、今発売されている号に載りました。帰国してからまだ大学に1回しか行ってないのに、ちょうどその日に生協で蛍雪時代の人につかまった。「東大ってこんなとこ」というお題でホワイトボード持って笑ってます。
2. 引っ越し先は古ぼけた木造アパートですが、昭和のレトロな風情があって日当たりもよく明るくてわりとゆったりしていて実はすごく気に入ってます。人がたくさん泊まりに来てもちゃんと寝れるようにセミダブルのベッドを買ったので、みなさんどうぞいらしてください。
と前回のポストでもったいぶって書いておきながら、本当に久しくご無沙汰しておりました。更新を待っていたという奇特な方がもしもいてくれたとしたら、ごめんなさい。
言い訳その1. 3月頭のお引越し以降昨日まで我が家にネットがつながっていなかった
言い訳その2. またベトナムに行ってきちゃった、えへ
言い訳その3. オンラインで語っていないだけで、オフラインで会ったいろんな人たちにはそれなりに語っていた(無理矢理にでも言語化しようと足掻いた結果、多少はカオスが秩序化された気がする。詳細は後述)
そんなこんなでばたばたしているうちに、日本社会への復帰はほぼ果たせた気でいます。
日本人らしく、お金は服のポケットじゃなくお財布から取り出すし、バッグを不用意に後ろに持つし、馬鹿みたいに高いお金払ってタイ料理食べるし。
残された課題は、道を渡る時に信号を見ることと、携帯をマナーモードに設定することと、お酒を自分で注がないことと、体色をもう5トーンぐらい落とすこと、ぐらいだろうか。
でもだんだん、帰国直後は人目も憚らず何でもできていたのが――もっと正確に言えば、「人目」というものの存在そのものを認識していなかったのが――、最近は周囲の痛い視線の存在を感じるようになってやりづらくなってきました。空気、読んでます。空気、なんてね。笑っちゃうよね。
半分ぐらいはあえてそうしてる面もあるんだけど、あまりしっかりこの1年を振り返る時間がなくて、既に記憶が風化したり加工されつつあります。要するに、旅の1年を「この1年」ではなく「あの1年」と捉えるようになってきています。まずはとにかく社会復帰、と頑張ってきた成果――とは言い過ぎかもしれないから、結果、です。
さて。
語らなければ。
でしたね。
でも難しいんだよね、こう自分でストーリーを立てて説明していくのって。人との会話の文脈の中で思いついたことを経験に依拠して言う方が500倍くらい楽だ。
だいたい人に言われること、聞かれることは決まっています。
1. 焼けたね~
2. どこがよかった?
3. アフリカどうだった?
4. 日本どう?
5. 自分変わったと思う?
6. 次って何年生だっけ...?
答えもだいたい決まっています。
1. これでもだいぶ白くなったんだよ
2. ヨルダンのペトラ、インドのバラナシ、ラオスのシーパンドン(順不同)
3. トーゴを大好きになって帰ってきたかったけどなれなかった
4. 帰る前から「日本は違うぞ、超すごいぞ」って思いすぎてて実際は意外と普通だった
5. 何でもありと思う時の「何でも」の範囲が広がったこと、あとお腹が強くなった気がする、お酒にも強くなった気がする
6. 次は3年生になります。4年生にはまだなれません。大学はうまく行けばあと2年、計6年で卒業です。うまく行かなければ、、あとは野となれ山となれ。
というのは冗談にしても、人から遅れてるという意味での焦りを感じることは高校留学の時点からなくなっていたけど、早く社会に出たいなあと思う気持ちが最近強い。
旅をしていて学生から社会人から本当にいろんな人に出会って、彼らと話をする中で思ったのは、「学生が何やっても、結局お遊びなんだな」ってこと。別に学生は甘えが許されるみたいなことは前から知っていて、それに乗っかってモラトリアム万歳とか言ってたわけだけど、今となっては、何ていうか――もうお遊びはいいかな、というか、社会の中で何かやるなら「学生」という逃げ場を作らないで、裸一貫の背水の陣でやらなきゃな、みたいな気持ちがある。
だから就活する気まんまんです、今のところ。でも、まだモラトリアムでいられる当面の2年間は、しっかり勉学に励みたいです。
あ~また支離滅裂というか、「で、結局なにが言いたいの?」的な文章になってしまった。
結局何が言いたいかというと、以下の二点です。
1. 受験雑誌「蛍雪時代」の、今発売されている号に載りました。帰国してからまだ大学に1回しか行ってないのに、ちょうどその日に生協で蛍雪時代の人につかまった。「東大ってこんなとこ」というお題でホワイトボード持って笑ってます。
2. 引っ越し先は古ぼけた木造アパートですが、昭和のレトロな風情があって日当たりもよく明るくてわりとゆったりしていて実はすごく気に入ってます。人がたくさん泊まりに来てもちゃんと寝れるようにセミダブルのベッドを買ったので、みなさんどうぞいらしてください。
Sunday, February 15, 2009
語らなければ。
語らなければ。
語れなくても。
とにかく何か声を発しなければ。
という思いだけが、大きな深い暗い井戸の中に取り残された人が自己の存在を誰かに知らせようと切実な叫び声を上げるように、わたしを引っ張っている。
この1年で、「~~しなくちゃ」という無意味な義務感や焦燥感を捨てて、自分の心の声に素直に従うことを身につけた、はず、だったのに。
でもね、そこに、わたしと周りの人たちとのつながりの証拠みたいなものがあるんだと思う。
もちろんこの10ヶ月は他の誰でもないわたし自身のためのいわば我儘で勝手で自己満足的な時間だったけど、それでもそんなわたしを応援してくれて支えてくれた数多くの人たちの存在があって、どこかで、わたしの旅はわたしだけの旅だったのではないと思っている。
その人たちとのつながりが、わたしに「語れ、書け」と急かしている。
説明責任。
カメラを失くしたときもそうだった。
「写真撮らなきゃ」というわけのわからない義務感から解放された自由への歓びの影に、ひとつだけ残った気がかり。
「みんなに見せられないのが残念だな、申し訳ないな」
もちろんこれは、完全に自分勝手な、思い込みの義務感にすぎないんだけど。
「誰もお前の話なんか聞きたくねーよ」って言われてしまえば、「やっぱそうですよね」と答えるしかないんだけど。
だけど、この義務感こそが、わたしに他者とのつながりを感じさせてくれる、わたしが属する社会があるってことを教えてくれる、実感としての証拠なんだと思う。
本当に自分だけのためだったら、この10ヶ月間の経験や思い出やそれを振り返った時に生まれてくる思いは、自分の心の中だけにそっと大切にしまっておけばいい。
だけど、それじゃいけない、気がする。
わたしにはつながってる人たちがいるから。
、、とここまで長い前振りを書いたところで、まだちゃんとまとまった考えができてないのが現状です。ごめん!
でもとりあえず写真だけはアップしました。今のところトーゴの分だけだけど、徐々に他のもアップしていく予定です。よかったら見てね。
語れなくても。
とにかく何か声を発しなければ。
という思いだけが、大きな深い暗い井戸の中に取り残された人が自己の存在を誰かに知らせようと切実な叫び声を上げるように、わたしを引っ張っている。
この1年で、「~~しなくちゃ」という無意味な義務感や焦燥感を捨てて、自分の心の声に素直に従うことを身につけた、はず、だったのに。
でもね、そこに、わたしと周りの人たちとのつながりの証拠みたいなものがあるんだと思う。
もちろんこの10ヶ月は他の誰でもないわたし自身のためのいわば我儘で勝手で自己満足的な時間だったけど、それでもそんなわたしを応援してくれて支えてくれた数多くの人たちの存在があって、どこかで、わたしの旅はわたしだけの旅だったのではないと思っている。
その人たちとのつながりが、わたしに「語れ、書け」と急かしている。
説明責任。
カメラを失くしたときもそうだった。
「写真撮らなきゃ」というわけのわからない義務感から解放された自由への歓びの影に、ひとつだけ残った気がかり。
「みんなに見せられないのが残念だな、申し訳ないな」
もちろんこれは、完全に自分勝手な、思い込みの義務感にすぎないんだけど。
「誰もお前の話なんか聞きたくねーよ」って言われてしまえば、「やっぱそうですよね」と答えるしかないんだけど。
だけど、この義務感こそが、わたしに他者とのつながりを感じさせてくれる、わたしが属する社会があるってことを教えてくれる、実感としての証拠なんだと思う。
本当に自分だけのためだったら、この10ヶ月間の経験や思い出やそれを振り返った時に生まれてくる思いは、自分の心の中だけにそっと大切にしまっておけばいい。
だけど、それじゃいけない、気がする。
わたしにはつながってる人たちがいるから。
、、とここまで長い前振りを書いたところで、まだちゃんとまとまった考えができてないのが現状です。ごめん!
でもとりあえず写真だけはアップしました。今のところトーゴの分だけだけど、徐々に他のもアップしていく予定です。よかったら見てね。
Friday, February 13, 2009
ただいま
遅くなってしまいましたが、2月10日をもって10ヶ月間の世界一周の旅を終え帰国しました。
冬の寒さの中の温かさが懐かしくて愛おしくて最高に心地いい。
帰ってきてからもなんだかいろいろ慌しくて、振り返るとかまだ全然できてないんだけど、今後徐々に整理して旅の写真とともにアップしていきたいと思います。乞うご期待。
今日まず言いたいのは、ふたつ。
その一。何回も言ってるけど、もう一度。
みなさん、本当に本当にありがとうございました。
私はいかに人とのつながりによって生かされているかを強く強く感じた1年だった。本当に。こんな月並みな言葉でしか言えないのがもどかしいけれど、本当に、本当に、ありがとう。私はこの感謝の気持ちを原動力に生きていきます。
その二。事務連絡。
旅中に携帯が壊れてしまったので、勢い余ってiPhoneを買ってしまいました。高かったけど、ちょーいい。うふ。
新しい連絡先は、mixiのプロフィールの「所属」の欄に友人まで公開の設定で載せてあります。
今すぐにでも会いたい人たちがいっぱいいるのに、いろいろと慌しくてアドレス帳を移す作業がなかなかできなさそうなのと、連絡しなきゃいけない人が多すぎてこっちから連絡するまでにちょっと時間がかかりそうなので、わたしに会ってやってもいいぞ、という心優しいお方はご連絡していただけるととっても嬉しいです。
mixiでもfacebookでもつながってない知人の方はコメントなりPCにメールなりください。
ご迷惑おかけしてごめんなさい。よろしくお願いします。
それじゃ、また近々書きます。ちゃお
冬の寒さの中の温かさが懐かしくて愛おしくて最高に心地いい。
帰ってきてからもなんだかいろいろ慌しくて、振り返るとかまだ全然できてないんだけど、今後徐々に整理して旅の写真とともにアップしていきたいと思います。乞うご期待。
今日まず言いたいのは、ふたつ。
その一。何回も言ってるけど、もう一度。
みなさん、本当に本当にありがとうございました。
私はいかに人とのつながりによって生かされているかを強く強く感じた1年だった。本当に。こんな月並みな言葉でしか言えないのがもどかしいけれど、本当に、本当に、ありがとう。私はこの感謝の気持ちを原動力に生きていきます。
その二。事務連絡。
旅中に携帯が壊れてしまったので、勢い余ってiPhoneを買ってしまいました。高かったけど、ちょーいい。うふ。
新しい連絡先は、mixiのプロフィールの「所属」の欄に友人まで公開の設定で載せてあります。
今すぐにでも会いたい人たちがいっぱいいるのに、いろいろと慌しくてアドレス帳を移す作業がなかなかできなさそうなのと、連絡しなきゃいけない人が多すぎてこっちから連絡するまでにちょっと時間がかかりそうなので、わたしに会ってやってもいいぞ、という心優しいお方はご連絡していただけるととっても嬉しいです。
mixiでもfacebookでもつながってない知人の方はコメントなりPCにメールなりください。
ご迷惑おかけしてごめんなさい。よろしくお願いします。
それじゃ、また近々書きます。ちゃお
Monday, February 09, 2009
帰国前日
とうとう、明日帰国です。ちょっとまだ信じられない。
終わりの寂しさと、帰る楽しみと。
この1年を消化するにはまだまだ時間がかかりそうだけど、今ひとつ確かに言えることは、最高の1年だったってこと。
こんなにも「出会い」というキーワードが大きくなるとは思ってもみなかった。
いろんなものを見たとかいろんなこと経験したとかそれ以上に、いつの日もすごく素敵な出会いがあった。
様々なバックグラウンドを持った人たち、みんなそれぞれにきらきら輝くものを持っていて、うわあ、すごいなあ、って、感動と学びの連続だった。
出会いと、恩と、ちょっとだけ経験と。
これらが、これからの私を生かしていく原動力になっていくことでしょう。
日本に帰ったらしたいこともいっぱい。
美容院行って、ヒールとスカート履いて、納豆とお寿司食べて、カシスウーロンと日本酒飲んで、家族や、山形の祖父や、友達や、たくさんの待っててくれた人たちに会って。国内旅行もしたいな。もちろん、いっぱい本読んで、勉強も。
こんな風に自由気ままに一人旅ができたのも、結局はいつも一人じゃなかったから。
行く先々で出会った人や、日本で私のことを気にかけてくれて待っててくれる人がいて、私はそういう人たちに支えられて、ここまで無事に来られたんだと心から思います。
私に一番の幸せとパワーを与えてくれるものって、人とのつながりの温かさなんだなって、改めて実感しました。
みんな、本当にありがとう。
終わりの寂しさと、帰る楽しみと。
この1年を消化するにはまだまだ時間がかかりそうだけど、今ひとつ確かに言えることは、最高の1年だったってこと。
こんなにも「出会い」というキーワードが大きくなるとは思ってもみなかった。
いろんなものを見たとかいろんなこと経験したとかそれ以上に、いつの日もすごく素敵な出会いがあった。
様々なバックグラウンドを持った人たち、みんなそれぞれにきらきら輝くものを持っていて、うわあ、すごいなあ、って、感動と学びの連続だった。
出会いと、恩と、ちょっとだけ経験と。
これらが、これからの私を生かしていく原動力になっていくことでしょう。
日本に帰ったらしたいこともいっぱい。
美容院行って、ヒールとスカート履いて、納豆とお寿司食べて、カシスウーロンと日本酒飲んで、家族や、山形の祖父や、友達や、たくさんの待っててくれた人たちに会って。国内旅行もしたいな。もちろん、いっぱい本読んで、勉強も。
こんな風に自由気ままに一人旅ができたのも、結局はいつも一人じゃなかったから。
行く先々で出会った人や、日本で私のことを気にかけてくれて待っててくれる人がいて、私はそういう人たちに支えられて、ここまで無事に来られたんだと心から思います。
私に一番の幸せとパワーを与えてくれるものって、人とのつながりの温かさなんだなって、改めて実感しました。
みんな、本当にありがとう。
Friday, January 30, 2009
旅は道連れ
ベトナムはホーチミンシティにやって来ました。
ドイモイの成果か、カンボジアとは比べ物にならない程の発展ぶりに驚いています。ちょっとトーゴからガーナにやって来た時の感覚と似てるかんじ。
カンボジアのシェムリアップで出会った日本人たちと、プノンペン、ホーチミンと一緒に来ています。日本人と一緒に行動するのとかって、考えてみたらこの旅始まって2回目ぐらいな気がする。
言葉にしちゃうとありきたりなんだけど、旅での予測不可能性と、日本では知り合えないような人たちとの出会いの環境に、ただただ感動するばかり。
旅ってすごい。旅ってほんとおもしろい。
がっかりを恐れて行ったアンコール遺跡は、全然すごかった。今まで見た世界遺産の中で、ヨルダンのペトラとここアンコール遺跡が私の中のベスト2に決まりました。壮大な自然の中に人間のちっぽけさを感じて、謙虚な気持ちになれるところがいい。
旅も残すところあと10日余り。現地から日本に送る絵葉書の到着と、自分の帰国とどっちが早いか、競争です。
ドイモイの成果か、カンボジアとは比べ物にならない程の発展ぶりに驚いています。ちょっとトーゴからガーナにやって来た時の感覚と似てるかんじ。
カンボジアのシェムリアップで出会った日本人たちと、プノンペン、ホーチミンと一緒に来ています。日本人と一緒に行動するのとかって、考えてみたらこの旅始まって2回目ぐらいな気がする。
言葉にしちゃうとありきたりなんだけど、旅での予測不可能性と、日本では知り合えないような人たちとの出会いの環境に、ただただ感動するばかり。
旅ってすごい。旅ってほんとおもしろい。
がっかりを恐れて行ったアンコール遺跡は、全然すごかった。今まで見た世界遺産の中で、ヨルダンのペトラとここアンコール遺跡が私の中のベスト2に決まりました。壮大な自然の中に人間のちっぽけさを感じて、謙虚な気持ちになれるところがいい。
旅も残すところあと10日余り。現地から日本に送る絵葉書の到着と、自分の帰国とどっちが早いか、競争です。
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