Monday, April 20, 2009
【解説編】あなたなら、どうしますか
前回のポストに誰もコメントをくれなかったのでちょっぴり骨川スネ夫くんです。心なしか出っ歯になったような気さえします。
嘘です。
あんな唐突な質問じゃ、誰も答える気にならないだろうなあと反省しました。
さてさて。
この前、トーゴ人の友達の友達が日本に来たので、会いに行ってきました。
そこでのエピソード。
ホテルで彼に会って、彼と一緒にご飯を食べに行ったときに、おごるべきかおごらないべきかものすごく悩んだ。というか、彼に会うことがわかってから、当日までずっと悩み続けていた。
***
1.
わたしが普段生活している社会では、ごちそうする/しないの判断ってそこまで重要なものじゃないと思う。
ただ単に気分がいい日とか、バイトしまくってお金がある時とか、特に深い意味もなくごちそうしたり、逆にされたりもしている。そしてそれはお互いにとって特に大きな意味を持たないんじゃないかな。少なくともプライベートの関係では。
そしてそういう、ごちそうする/されるという関係が健全に成り立つのは、自分と相手がある程度対等だからだと思う。
でも、これが途上国の人との間のことになったとたん、話は違ってくる。
これがわたしが何度も書いている「オリエンタリズムの内在化」の話です。
彼らの言うところの「yovo」(=白人=黒人じゃない人。欧米人も日本人も中国人もみんな「yovo」。)が、よってたかってアフリカにやってきて、「君たちは貧しいね、かわいそうだね、僕たちが助けてあげなくちゃ」と言って自分の罪悪感の消滅のために「援助」をすることで、トーゴ人自身の自己認識が、「白人に対して劣ってる、僕たちはだめなんだ」というものになり、さらに白人による「援助漬け」と相俟って、「白人は何でも持ってて何でもしてくれる、かわいそうな僕たちを助けるべきなんだ」となり、結局トーゴ人自身の主体性を奪うことになってしまっているのではないか。。。
もちろんそうじゃない関わり方だってあるはず(なのだろう)だけど、わたしがトーゴで受けた印象は何よりもこの「オリエンタリズムの内在化」でした。
こちらがいくら「対等に」(≒単なる友達として、とか)接したいと思っていても、あまりにも「こちらの世界」と「あちらの世界」の格差がありすぎて、絶対に対等になんかなりえない。彼らがわたし(たち)に接するときには、「この人は自分たちと違う」という、無意識的の壁が存在する。もし「対等に」接していると思っているとしたら、それはyovo側の欺瞞にすぎないと思う。
これは、感覚的に例えて言うと、ちょっと前の(今もかな?)日本人が欧米人に対して抱く漠然とした劣等感、もしくは憧れ、のようなものと似てるかもしれない。
でもわたしがトーゴで感じたのは、それのもっともっと圧倒的なものだった。
その圧倒的な溝あるいは壁の存在のせいで、わたしたちが何をするにしても、その行為は何らかの責めを負わなければならなくなってしまう。
先進国の人間が途上国の人たちにモノやお金をあげるのは、(もちろん判断は常にon case-by-case basisではあるけど一般的に)彼らが「持てる者」に依存する体質を助長することで、いつまでも彼ら自身が持てるようになるための主体性とか力を手に入れられなくなりそうで、むしろあんまりいいことじゃないんじゃないか。
そう思えてきたから、トーゴでは、わたしは安易にものやお金をあげないようにしてた。
「Renaが払うのが当たり前、だってyovoじゃん」みたいになったら終わりだなと思ってた。他のyovoたちがあまりにも当然のようにお金やものをあげているのを見て、「わたしってただケチなだけなのかなあ」とか自分を責める方向にばっかり行ったりもしたけど、それでもやっぱり他のyovoたちのやり方に対する強烈な違和感は拭えなかった。
トーゴでは、わたしがそれまで生きていた社会で当たり前のように「良い」とされていたものごとを、疑問視せざるを得ない状況がたくさんあった。
「本当に彼らのためになることは何か」と考えたときに、「良い」という言葉の意味は本当によくわからなくなった。
優しさとか、親切とか、そういう日本ではごく一般の道徳的価値の多くが否定された。(その結果、日本的な価値観からしたら「心がすさんだ」と表現すべき状態になったと自覚していました。)
***
2.
一方で。全然話は変わって。
わたしが生きる上でとても大切だと思っていることのひとつに、「自と他の“境界線”をなくすこと」というのがあります。言い換えれば、全てを「自分ゴト」にするという意味です。
人間って常に(ドラえもんの「独裁者ボタン」にもあるように、笑)他者との関わりの中で生きていて、相互に影響を与えあっている。英語の授業でよく習う “My mother has made what I am today.” みたいな例文にもあるように、「自分」をつくっているものを分解していくと、結局は「自分」って「他者」からの影響によって形作られていて、authentic(ってこの文脈で使っていいのかちょっとわかんないけど)な自分なんてあるのかしら、とよくわからなくなってくる。言い換えると、自分の中にも他者が生きていて、あるいは他者の中にも自分が生きていて、自分と他者の境界の線引きなんてほんとはよくわからない。
そうやってひとつひとつ考えていくと、自分と世界との関わりってすごく切実なものとして捉えられるような気がする。
誰も自分や自分の愛する人(「自分サイド」にいる人)を傷つけたいとは思わない。
だから、世界を「自分ゴト」に。
簡単に言うとこういう思想です。
(ただ、こういう明確な価値判断を含む一スタンスを暫定的に選択しても、その瞬間自分の中で相対化が起こるのは止めることができません。それでも、なんとかこれは信じていたい、と思う自分も存在する。そのへんの無限のループはここではちょっとだけ棚上げすることにします。)
***
さて、この1と2の冗長な話からわたしが言いたかったことをまとめると、
わたしはそのトーゴ人の友達の友達と
A. 「友達」として接したかった(⇒友達が海外から訪ねてきたら迷わずごはんぐらいごちそうする)≪2の話≫
でも、
B. 「先進国の人間」「途上国の人間」という関係を考えると、安易にごちそうすることはいいことではないような気がしている≪1の話≫
しかし、
C. 後者の立場をとればそれは一種差別的な接し方ではないのか、わたしは純粋に「友達」として接したいのに… ⇒A
という、永遠の循環に陥ってしまったわけでした。Aの立場をとってもBの立場をとっても、結局どこかしらで罪悪感や後ろめたさを感じざるを得ない。
そもそも、これほど圧倒的な溝が存在しているときに、「友達」という関係を持つこと自体可能なのだろうか?
途上国の人(という区切り方をすること自体ものすごく嫌なんだけど、それ以外の理由が思いつかない)と接するのは、本当に難しい。
どうすべきかとか、答えなんてないんだろうけど。
結局あの夜は、わたしは彼の分も払ってレストランを後にしました。この上ない罪悪感を胸に抱えながら。。。
これを読んだ上で、あなたなら、どうしますか、という問いに改めて答えてくれる人がいたら大歓迎です。というか、誰か新しい光を差し込んでください。。。。
Monday, February 09, 2009
帰国前日
終わりの寂しさと、帰る楽しみと。
この1年を消化するにはまだまだ時間がかかりそうだけど、今ひとつ確かに言えることは、最高の1年だったってこと。
こんなにも「出会い」というキーワードが大きくなるとは思ってもみなかった。
いろんなものを見たとかいろんなこと経験したとかそれ以上に、いつの日もすごく素敵な出会いがあった。
様々なバックグラウンドを持った人たち、みんなそれぞれにきらきら輝くものを持っていて、うわあ、すごいなあ、って、感動と学びの連続だった。
出会いと、恩と、ちょっとだけ経験と。
これらが、これからの私を生かしていく原動力になっていくことでしょう。
日本に帰ったらしたいこともいっぱい。
美容院行って、ヒールとスカート履いて、納豆とお寿司食べて、カシスウーロンと日本酒飲んで、家族や、山形の祖父や、友達や、たくさんの待っててくれた人たちに会って。国内旅行もしたいな。もちろん、いっぱい本読んで、勉強も。
こんな風に自由気ままに一人旅ができたのも、結局はいつも一人じゃなかったから。
行く先々で出会った人や、日本で私のことを気にかけてくれて待っててくれる人がいて、私はそういう人たちに支えられて、ここまで無事に来られたんだと心から思います。
私に一番の幸せとパワーを与えてくれるものって、人とのつながりの温かさなんだなって、改めて実感しました。
みんな、本当にありがとう。
Friday, January 30, 2009
旅は道連れ
ドイモイの成果か、カンボジアとは比べ物にならない程の発展ぶりに驚いています。ちょっとトーゴからガーナにやって来た時の感覚と似てるかんじ。
カンボジアのシェムリアップで出会った日本人たちと、プノンペン、ホーチミンと一緒に来ています。日本人と一緒に行動するのとかって、考えてみたらこの旅始まって2回目ぐらいな気がする。
言葉にしちゃうとありきたりなんだけど、旅での予測不可能性と、日本では知り合えないような人たちとの出会いの環境に、ただただ感動するばかり。
旅ってすごい。旅ってほんとおもしろい。
がっかりを恐れて行ったアンコール遺跡は、全然すごかった。今まで見た世界遺産の中で、ヨルダンのペトラとここアンコール遺跡が私の中のベスト2に決まりました。壮大な自然の中に人間のちっぽけさを感じて、謙虚な気持ちになれるところがいい。
旅も残すところあと10日余り。現地から日本に送る絵葉書の到着と、自分の帰国とどっちが早いか、競争です。
Saturday, December 13, 2008
邂逅
終わりの方になってまたいろいろ新しいこともあって毎日が面白くって、もっと長くいたいなーというのが最近思うところ。その一方で日本に帰る楽しみはそれはそれで日々募るばかりで、このジレンマこれで何回目だろうと思いながら過ごしている今日この頃です。
さて、ガーナ後の二大ニュースは、
1.YDP Togoの人に会った
YDP Togoがあるのはもとから知ってて驚きでも何でもないんだけど、会おう会おうって言っててようやく実現したのがこの間でした。帰る前に会えてとりあえず一安心。
でもそれより何より衝撃的すぎたのは、
2.トーゴに住んでる日本人がいた!!!!!!!
トーゴにいかに日本人がいないかっていうのと、ようやく見つけた時のこの驚きと感激は、もう筆舌に尽くしがたいものがあります。
どうやって出会ったかというと、これもほんとに巡り合わせの妙で、日頃から大変お世話になっている先輩のN田さんが、たまたま日本のイベント(?)で知り合った方がトーゴの子供たちを援助するNGOをやっているらしいということで、連絡してくれたのです。
その方が現地スタッフのHさんにわたしからのメールを転送してくれて、ある朝突然わたしの携帯にHさんから「転送されてきたメール見て電話しました」みたいな連絡が来て、その日の午後にはHさんのオフィスに飛んで行ったというわけでした。
Hさんはトーゴにいらして2年ということなんだけど、旅行者は時々いても住んでる日本人は初めてとのこと。4か月トーゴにいて初めてということでわたしも仰天したぐらいだから、2年いて初めてというHさんの驚きはもっと大きかったんだろうと思われます。
それからだいたい5日に1回ぐらいの頻度で(もっとかな?)足しげくHさんを訪ねている日々です。
日本語の本を貸してもらった日には貪るように読みました。それからHさんも学生時代はたくさん旅行をなさっていてその頃のお話を聞いたり、帰国後は就活ですよ~というところからHさんやお友達の就職のことを聞いてすごく勉強になったり、トーゴってやっぱりさ~みたいなことで盛り上がったり、やっぱりッバックグラウンドを共有して会話ができるってすごく楽しいなーと思います。
それからHさんのオフィスに届いた日本からの援助物資をわたしの研修先CILSIDAにも分けていただけることになって、その仕分けをしたり打ち合わせをしたり。CILSIDAの役にも立ててよかったなーと思ったり。「ものをタダであげる」ってほんとに彼らのためになるのかな?とか考え出すとすごく難しいことではあるんだけど、ね。
そんなかんじで今日このブログもHさんのPCを使わせていただいて書いています。
ああ、このトーゴで日本人、しかも旅行者じゃなく在住者に出会うというこの感動、ちゃんと伝わってるかなあ。もともと日本大使館もあって英語圏で日本人がそれなりにいるガーナとかで会うのとはまた全然違う感動なのよね。出会いって素敵だー。
あ、素麺が出来たらしいのでいただいてきます。ではまた。
Tuesday, November 18, 2008
さよなら またね
さよなら英語圏。
さよなら水洗トイレ。
さよならコンクリート道路。
さよなら水道。
さよなら日本人。
(;_;)
なんかねー、今回以上に
「予想だにしなかった」
って言葉があてはまるシチュエーションって、あるでしょうか。
お寺のご住職さんとの出会い、
Tさんとの出会い、
Tさんからつながるたくさんの日本人との出会い。
今回の出会いはすべて、偶然に偶然が重なってできたもの。
運命でもタイミングでも巡り合わせでもどんな言葉だっていいけど、
すごいよ、こうやってここガーナで彼らに巡り合えたのって。
「見えない糸」とかいう言葉を、ふと信じたくなってしまいます。
いろんな話を聞きました。
今までの人生の話。
現代の日本社会を憂う話。
国際協力の話。
ビジネスの世界の話。
裏社会の話。
家族の話。
これからの希望と野心と情熱に満ちた話。
時にはお説教もされました。
わたしは甘ったれてるって、
トーゴにいるのもお遊びだろうって、
そういう風にも言われました。
自分でもわかってる、って、そういう部分もあったし、
それは違うって思う部分もあった。
いずれにせよ、
こうして耳に痛いことを言ってくれる人と出会えたのも、
なんだかすごく嬉しかった。
「だから頑張れ。頑張ろうな」
って、最後にはそう言われました。
たぶん、何年か何十年か後になって今回のことを振り返ったら、
「あの時彼らと巡り合ってなかったら、わたしはこんな人間になってなかった」
って言うんじゃないかと思う。たぶん、だけど。
それぐらい、今回の出会いはわたしの中に大きななにかを残し、
わたしの中のなにかを変えてしまった。
それぐらい、今回の出会いは感動的で衝撃的だった。
ほんとに来てよかった、ガーナ。
「人生って何があるかわからないよね」
っていうTさんの言葉、それを本当に実感した。
というわけで、明日ガーナを去りトーゴに帰ります。
フランス語忘れちゃったよーん。(;ω;)
Tuesday, November 11, 2008
ガーナ便り
なんだか予想以上に素晴らしいステイになっていて涙が出るくらい感動してます。
感動の目次。
①アクラの都会ぶり
②日蓮正宗の発展ぶり
③ご住職さんとの出会い
④Tさんとの出会い
①アクラの都会ぶり
トーゴ人はよくわたしに「イギリス領だったガーナとかナイジェリアは発展してるけどフランスの統治は最悪でさ~ここトーゴもこのありさまだよ」的なことを語ってくるので、ガーナは発展しているという期待をはなから持って訪れたのですが、アクラはその期待をさえ遥かに凌駕するような発展ぶりをわたしに見せつけてきました。
・ショッピングモールがある!
・道路がきれい! 中央線もある! 車線が複数ある! 標識もある!
・走ってる車が新しい!
・橋が壊れかけてない!
・家々の屋根がトタン板じゃない! (←これにいちばん驚いた)
わたしが住むトーゴの首都ロメとたった3時間ぐらいしか離れてないのに、こんなにも違うのかと本当にびっくり。そしてトーゴのなにもなさぶりを改めて痛感。トーゴってほんとにお金ないんだな~と、不憫になるほどの格差だった。ガーナのことは全然わからないから何とも言えませんが、実際の貧困層の生活状況とかはガーナもトーゴもそれほど変わらないのかもしれないけど、でも同じ首都としての街の発展レベルのあまりの違いは本当に衝撃的だった。
でももっと衝撃的だったのは、聞く話によればほんの3-4年前はアクラよりロメの方が全然都会だったってこと。今のアクラとロメだけを見てたら絶対に絶対にそんなこと信じられない。アクラの変化のスピードには目覚ましいものがあるみたい。わお。ショッピングモール周辺(アクラの中でもいちばん新しくて都会的な地区らしい)ではアメリカの田舎のちょっと大きな街をドライブしてるかのような錯覚に陥るほどで、ひたすら "This is NOT Africa." という思いがよぎる。でもこういう本質主義的なイメージで語るのはあんまりよくありませんね。こうして欧米化され「開発」されていく姿も今のアフリカの素顔のひとつには違いないもんね。
②日蓮正宗の発展ぶり
そもそも日蓮正宗のお寺を知ったのは、トーゴで本当に偶然というか運命というか的な一信者さん(もちろんトーゴ人)との出会いから。私が日本人というところから始まって、「日本人か~じゃNichirenshuって知ってる?」という突飛な質問をされ、「アクラにお寺があるんだよ~あ、そういえば今度そこのお寺のご住職さんがトーゴに来るよ、もしよかったら君も見に来る?」という話になって、9月の半ばごろ見に行ったのがご住職さんとの最初の出会い。その時の「よかったらアクラのお寺に来てくださいね」というお言葉に甘えて今回ほんとにお寺を訪ねちゃったのでした。
最初にトーゴに仏教があるって聞いたときは、正直なところ、どんな変なマニアック少数派集団がこんなところで仏教なんて信じてるんだろう、と思いましたが、実は歴史はわりと古くてガーナに初めて日本人のお坊さんが訪れたのが1974年らしい。そして信者数も今、西アフリカだけで(たしか)2500人とかいるみたい。アクラのお寺はアフリカで唯一のお寺で、信者さんたちの力だけで(日本の総本山とかからの資金援助は全くなく)建てて運営しているお寺らしいのだけど、ものすごく立派!!! アフリカで見た宗教施設の中でいちばん立派なのは間違いない(※エジプトの遺跡を除く)。信者さんたちも社会の上層部に位置する人たちが多いみたいで、とにかく豪華で立派でした。この、宗教にはお金が集まるっていうの、不思議だよね。なんというか、精神世界の功徳のためにモノを積み上げていくかんじ、ちょっとねじれがあるようなないような。でもそういう批判こそお金というものに目を眩まされている証拠のようなそうじゃないような。
あと、ここの信者さんたちは普通のトーゴ人・ガーナ人とは違う。ここには純粋な善意というものが存在する気がする。それから礼儀正しさが日本ぽい。お辞儀したりとか。
③ご住職さんとの出会い
先にも書いた通りご住職さんとお会いするのは彼がトーゴにいらした時に引き続き今回で2回目なのですが、ちゃんとお話しするのは今回が初めてに等しいかんじでした。さらに彼はわたしはアフリカに来て出会った初めての日本人でもあります。トーゴに日本人がいないっていうのは結構イタイ。。海外での同郷者ネットワークってかなり重要な気がします。
今回のアクラ行きは前々からトーゴの信者さんに伝えてあったのでわたしはてっきり彼がご住職さんに知らせてくれていたと思っていたのですが、そこはさすがトーゴ人、そんな事前段取りなんてものはなく、不本意ながら全く突然の押しかけ訪問になってしまったにも関わらず、ご住職さんは泊まるところや食事などなど何から何まで本当にご親切にお世話してくれました。恐縮しまくりのわたしに「お寺は困っている人のためにあるものだから」とのお言葉が印象的でした。
それからお寺の敷地内にあるご住職さんご一家のお宅にもお邪魔させていただいたのだけど、これは本当の意味で "This is not Africa." でした。家の造りも、家に置いてあるものも、まるで日本。奥様手作りのハヤシライスをごちそうになり(5月のパリで食べたなんちゃってお寿司以来の日本食!!!涙)、『座頭市』と黒澤明監督の『影武者』(すごくいい映画です、これ)を鑑賞。『ウォーターボーイズ』とかをお勧めされる中この2本を選んだのに特に深い意味はなかったのですが、「やっぱり東大生はチョイスがちょっと変だね~」みたいな評価になってしまった。。わたしの普段の日本での環境って、東大だからというだけではすごくもなんともなくて、その人自身で評価されるみたいな雰囲気がそれなりにあってそれが当たり前だったから、こういう東大信仰がまだ健在なのを見るのはちょっと新鮮でおもしろかった。
ご住職さんのお宅にお邪魔していちばん思ったのは、単純に「アフリカにいてもアフリカらしくない生活ってできるもんなんだな~」ということ。わたしが海外に行くときって大抵いつも異文化体験が主目的のひとつだから、いかに現地の人に近い生活をするかっていうのが重要なテーマなんだけど、別にそうじゃない海外滞在の仕方だってあるんだよね、という、当たり前なんだけどすっかり忘れかけていたことを思い出した。
閑話休題。他にも本当にもうご住職さんには筆舌に尽くしがたいほどよくしていただいて、こういう下心(性的な意味だけじゃなく)のない善意に触れるのがかなり久しぶりだったこともあって、ものすごく心にぐっと来る滞在でした(後ほど詳述)。
④Tさんとの出会い
そんなわけで土曜・日曜とお寺の近くに滞在して、今日からはご住職さんの紹介でTさんという方のところにお邪魔しています。Tさんは60代の男性で、紆余曲折を経て18年前からガーナに住み、今はここで旅行会社とNGOをなさっている方。すごくフレンドリーで親切で、60代とは思えないほど心がとっても若々しい。
お家には信じられないほどの日本食があって「何でも食え食え」と言ってくださったので、食物貯蔵庫を物色した結果、やっぱり白いあつあつのごはん(日本米。←超重要)とあつあつのお味噌汁という結論にたどり着きました。それから、じゃこ、たくあん、ふりかけ、自家製キャベツの酢漬けもいただいて、本当に涙が出るほどおいしかった。
夕方からひたすらTさんの人生のお話を聞いたりわたしの話もしたりして、最終的に「今日は君に会えて本当によかった。今日から君はガーナに親戚がいるから。いつでも来い、俺はここにいるから。頑張ろうな」と言ってくださって、その発言の文脈的に2人とも感極まって、握手しながら2人して泣いてしまった。そんな自分に驚きつつ、でもとにかく心が激しく震えていて、すごく不思議な時間だった。
今回のお二方との出会いを通して改めて思ったのは、やっぱりわたしを前進させていく原動力って「恩返し」なのかな、ということ。
今までの人生で本当にいろんな人が、いろんなタイミングで、いろんな形でわたしに「投資」をしてくれて、そのおかげでわたしはたくさんの素晴らしい機会――それは時に誰にでも与えられるようなものではなくて――を得ることができて、ここまでの道を歩んでくることができた。わたしはたぶんとても多くのものを与えられている人間で、その与えられたものの大きさに見合った価値を発揮していく義務がある。だから、彼らの投資(≒恩)に報いていくために、与えられたひとつひとつの機会を最大限にappreciateして、そこから最大限に学んで、少しでもいい人間になれるように日々努力して、そうやって得られたものをわたしという人間が出せる価値として社会に還元していくことが、わたしという人間の存在意義なのではないかと思う。そういう形でしか、これまでの数えきれないほどの恩に対して本当の意味で感謝する方法はないと思う。あるいは、わたしという人間はわたしひとりの命ではなくて、わたしが今まで関わった人々がわたしという人間を作り上げていて、だから、自分ひとりのためにというよりはむしろわたしの中に生きる彼らのために、わたしは生きていく義務がある。
Wednesday, November 05, 2008
brand new life
Malaria may sound really horrible and scary when you are in Japan but here it’s everywhere and almost everybody gets it once in a while and because of that they know what to do with it when you get it so it’s not really as terrible as it may sound. But of course it is so only if you are not too young or too old to fight the disease and if you have enough money to pay for the medicines. The problem here doesn’t seem to be malaria itself but the poverty that disables the proper treatments. No wonder it’s called the “disease of poverty.”
And that’s not the only reason that I wrote “really great time.” That is to say, I finally, finally got to switch organizations I work for. I cancelled the contract with JADI and started to work for another NGO called CILSIDA (Club Initié pour la Lutte contre le SIDA) from October 15th. There are many stories about how I came to think I had to end my internship at JADI, most of which are so complicated that it would be pages if I started to try to explain. So for now, let me say simply that it was because of tons of miscommunication. I had been working for this cancellation of the contract for more than a month but everything goes incredibly slow with them here and you have to be happy if the person replies to your messages after telling them the same thing for 4 times and before you are finally fed up with it and forced to pretend to be very, very angry with them. So it was a little frustrating moment there but now it’s all over and like I said in the beginning I am so happy being here. My life changed completely. For the first time in my stay in Togo I felt that I actually am enjoying my life here and that I am starting to like Togo. But of course that doesn’t mean that I wasted the first half of my internship. You always learn a lot from difficulties and hardships and it certainly was a good learning experience for me. What I think was really good above all is that I’ve come to get a notion of structural obstacles for development in Togo.
Now let me write a little about my life here.
Where I live and also where my new organization CILSIDA is located is called Adamavo. It’s about 15-20 minutes by car (I don’t know for sure but I think it’s about the same distance as Shibuya – Yoyogi) to the east of Lomé (just in case you don’t know Lomé is the capital of Togo) and just about 5-10 minutes walk to the beach. The sunset here is amazing.
I live with the family of a member of CILSIDA, Nadia. They are as amazing as the sunset of Adamavo. They are cheerful, warm and welcoming and it’s so comfortable and a lot of fun living with them. I am so happy to have finally got someone that I can actually call family here. There are Papa, Maman and Nadia in the family and also other 2 girls from outside the family live in the house and help the housework. 4-year-old Gloria, the daughter of the older brother of Nadia, comes visit pretty often, too. She’s such an adorable little girl.
On weekdays I usually wake up around 6:30, take a shower (but there is no “shower,” of course, it’s just the cool fresh water from the well in a bucket so it feels more right to say “me laver” in the French expression) and have breakfast. As Nadia goes to university, another member Ornella comes at around 7:45 and we walk to the office together. We open the office at 8, clean the floor, turn on the computer and TV and start working. The director Antoine lives beside the office but he usually teaches in “collège” (middle school) in the morning so it’s not all the time that he’s around. He and other members come in and out throughout the day to work, chat or sometimes just to sit and watch TV. When there is no special activity out Ornella and I stay in the office all day. We close the office around 6 or 7 pm depending on the progress of our work and then together walk back home. At home Maman usually is waiting for me and they serve me a good amount of very good food. She’s such a good cook and I’m sure I’ve gained weight since I came to this family. The problem is that almost all food here has so much sugar and/or so much oil in it, and what’s worse, I love the food here. An intern from the Netherlands said people use lots of sugar and oil because they are easy sources of energy here where food is not abundant, and it may be true, but I’ve also seen so many people overweight and that means having way more than enough calories. So after this a little scary (imagine I continue eating like this until the end of my stay here… ahhh) but really delicious dinner, I go to bed around 10 or 11 pm.
Weekend activities are more random. I sometimes wash my clothes, sometimes go to Lomé to buy something or send mail, sometimes go see a friend and other times just sleep in and rest at home. Last 2 Sundays we went swimming in the swimming pool nearby and I loved it – except that a “yovo” (it means “white” in the local language, Ewe) guy talked to me and kept annoying me the whole time. Most of the time being a yovo woman here brings me lots of privileges (often more than wanted or needed) but sometimes it’s also tiring and a little troublesome like this. It’s again the story inevitable for an outsider, someone different who is from outside not only the physical borders, but also the ones that are invisible and often unconscious.
CILSIDA is an organization that was created in 2003 by 10 founding members and that has now 30 members in total, around 10 of which are active. The name of the organization means “club initiated for the fight against AIDS”, but the areas they work in are more than just HIV/AIDS and what they do is rather like improvement of the living environment and situation of people in the community.
Right now we are doing a very interesting project with the financial aid from “Frondation de France”. In the week that I arrived here they had 5 days of training to the group of young women on communication techniques and health issues mainly that of HIV/AIDS. The training itself was pretty interesting also, but what I was really excited to do was what followed in the next week. We took off with these women to visit from home to home to do the “sondage” (poll, in English, according to my little dictionary) on young marriage. We visited every single house in the area and asked if there was any young girl under the age of 19 who was married, pregnant and/or with children, and if there was any, we continued to ask about their lives and needs. We did it in total of 4 days. It was extremely tiring and not easy at all walking hours and hours in the very hot African sun, and I have found some things that could be improved to have better results, but having all that it was still exceptionally interesting and lot of fun visiting people in the community and seeing their houses and their ways of living. And it was such a pity that I didn’t understand Ewe (the local language in the southern Togo), because the interviews were done in Ewe and also I have found plenty of people who don’t understand French at all (which means they don’t or didn’t go to school). If you just stay in the office and work with the members of the organization French is enough to do, but if you want to reach out to the population outside the office you need to understand their own language. And CILSIDA has strong connections with the community and that’s what I really like about this organization, so it’s all the more regrettable that I don’t understand Ewe. Of course I’ve been trying to learn it and now I can say greetings and some simple things, but to actually have a conversation my Ewe is nothing at all. I think there exists a special difficulty in learning their local language. In general if you want to learn a language you need to know the system (c’est à dire the grammar, more or less) of the language, and if it was French or Arabic or any other language it would be so easy to get this information. You can just go to a bookstore to buy some textbooks or go to Nova or something. But in the case of Ewe (and I think also for almost all other indigenous languages) it’s very difficult, if not possible, to find someone or something that would explain you systematically about the language. On the other hand it’s also interesting to find it out on your own because it’s a little like a puzzle, but it takes so much more time than the normal process of language learning because I think it’s similar to how infants learn their native tongue.
Ok, back to the sondage. I think this kind of activity is of a great significance, because it collects facts, and especially because I’ve found that thinking and talking of people here are rarely based on the facts. Now we’ve finished counting the numbers of young girls according to their status. In total we’ve found 320 girls who are either married, pregnant or with children. What we’re going do next is to come up with another project to help some of those girls who are really in need (that is to say, not all of them are in need and there are also young girls who are married, pregnant or with children and are well taken care of by their parents or husband), and also find the financial means for the project. We had a meeting on that on Sunday evening and being there watching the way things went I almost cried because again I could feel for sure that I finally found an organization where dictatorship and politics don’t exist and where the members share the information, exchange their opinions, have their own roles and responsibilities and work together to help people (and not to make money for themselves by pretending that they are serving the population).
There are also other things going on. For example for the World Day Prevention Child Abuse (Jounée Mondiale prévention des abus envers les enfants) on November 19th we are making short plays with young girls (probably at the ages of around 12-13) with the massage that children also have their rights. When we first started it it was unbelievably chaotic and I was kind of shocked at their understanding and learning capacities but after a few practices it’s getting better little by little and I think it’ll be all right by the 19th.
Even when there are no specific activities or meetings, Antoine leaves some tasks to Ornella and me. So the good thing is that I keep myself busy all the time. This is the biggest change from when I was at JADI and the organizations that I was sent to by the director of JADI, and it’s really great. But the other side of this is that I haven’t really had time yet to come up with something on my own. That might not be of great necessity or expectation, but what I’m doing now is to do what I was told to do and although there are lots of things I learn from it (for example doing paper works has helped me a lot to know what was and is going on here and how things work in this domain, and my skills of using Excel definitely improved) and things that I contribute to the organization (for example I taught techniques of Microsoft Office to Ornella that can make her work faster), I also have a feeling that I could do more than that and that’s probably what I’m here for. But I already have talked about it with the members so we’ll see how it goes.
Whew, I don’t know how many of you read this to the end, but to those who did, thanks for spending your time for that! A bientôt
Saturday, July 12, 2008
ぺトラとベドウィン
前回の投稿@シリアの後、ヨルダンに戻ってぺトラに行ってきました。
当初の予定はぺトラとワディ・ラムで3日ぐらい過ごし、その後イェルサレムに行く予定だったのですが、結局イスラエル行きを犠牲にしてぺトラに1週間強滞在し、さっきアンマンに戻ってきました。
その間、ずっとぺトラで仲良くなったベドウィンの人の家に泊めてもらってました。
その昔ベドウィンたちはぺトラの中に住んでたそうなのですが、政府の方針によりぺトラからロバで20-30分ぐらいのところに村が建設されて、今はそこに定住している人がほとんど(いまだにぺトラの洞窟の中に住んでるベドウィンもいるにはいるみたいだけど)。
で、今回その村にある彼の家にずっと滞在していたわけです。
最初は「またしつこく誘ってくるよー」みたいな感じでかなり警戒&めんどくさいと思っていたのですが、たまたま会った他の観光客にも勧められたので行ってみることに。それでもその時は一晩だけのつもりだったんだけど、気づいたらこんなに長居をしてしまいました。
でも実はこれあんまり珍しいことでもないらしく、何度も戻ってくる人や、ここのベドウィンと結婚する女性観光客も結構いるらしい。
結論としては、アラブ社会の内部を垣間見た感じがして複雑な思いもあり、楽しいことも難しいと思ったこともいろいろあって、とにかくすごく大きなインパクトを私の心の中に残した1週間でした。
夢から醒めた直後のような気分のいま、思うこと。
なんでここの人たちは赤の他人にこんなにも親切にできるんだろう、、とはシリア・ヨルダンを旅していていつも思うことなんだけど、ここのベドウィンの人たちは特にそれが顕著だった気がする。
家に泊めてくれて、ご飯をごちそうしてくれて、いろいろ近くの見所に連れて行ってくれて、それでもお金は一切いらないという。彼らがなんで、どういう思いでそういうことをしてくれているのかが本当に謎で仕方ありません。
実際9割がた下心っていうのが正解なんじゃないかと思うような節もあるけど、それだけであんなにできるかって改めて考えたらそうじゃない気がする。
でもやっぱりそれは自分が「アウトサイダー」×「女」であるからというのは明白で。
実際に村には女性観光客は何人もいたけど男性観光客はひとりもいない。
それに、わたしを泊めてくれていたベドウィンはよく「Woman the first」(←Lady firstの間違いだよと何度も指摘したのに直らず・・)と言ってくれていたのだけど、あるとき「君は観光客だからね、ベドウィンの間ではman the firstだよ」と冗談のように言っていた。
それから、彼らの「ガールフレンド」(もちろんみんな観光客)の話をしていたときに、「スペイン人の女は男をコントロールしようとするからごめんだね。だから俺は言ってやったのさ、『俺はスペイン人じゃない、ベドウィンだ』ってね」的な発言(←海外小説の翻訳口調なのはご勘弁)。
あと村での結婚式も覗かせてもらったのだけど、男女の居場所はきっちり分かれていて、もちろん女性席は奥の方に隠れていて狭い。
他にも彼らの些細な言動から、ここは男性が動かしてる世界なんだなってことがよく伝わってくる(だからこそ外部者は女性なら入れるけど男性は入れないのかも)。
・・・と、こういうことはイスラム社会では当たり前のことなんだろうけど、ここアラブ世界での居心地のよさにぼーっとなっていた私にとって、そういう「当たり前」を教科書の文章とかじゃなく目の前で見ることは、ぴしゃりと水をかけられたような経験でもありました。
中東大好きとは言っているけど、そして今もその思いは変わっていなけど、ここで「インサイダー」として生きる、という決断は(少なくとも今は)できないな、と強く強く思った。そういう意味でここの人と結婚するという観光客の決断力というか勇気というかはほんとすごいと思う一方で、理解しがたい。
でも逆に言えば、「アウトサイダー」×「女」ゆえの居心地のよさなんだ、ってことを納得してしまえば、それはそれはとても楽しくて。だから長居する観光客の気持ちはよくわかる。
ピックアップトラックの荷台に乗って砂漠に行って、キャンプファイヤーでご飯を作って、満天の星空の下で眠って、朝は川で水浴びをして。野宿とか、枯れ枝で焚き火とか、そういうことが彼らにとっては当たりまえ。
こういうのを「豊か」って言うのかもしれないなあ、とありきたりだけど思ったり。
「Enjoy this moment, enjoy the life」と彼らが口癖のように言う言葉が印象的でした。
でもこれは逆説的だけど、わたしにとってはこれが期間限定だからこそ楽しめたのかな、とも思う。こうやって日々が過ぎていく人生にわたしは本当に満足できるだろうかと言ったらもしかしたらそうかもしれないしそうじゃないかもしれない。
でもやっぱり、ぺトラを知り尽くし砂漠を知り尽くした「野性的」な彼らの姿は、city girlであるわたしにとっては新鮮でかっこよく映ったのは確かです。
(もちろん逆に彼らが知らなくてわたしが知っていることももちろんあって。たとえば性病の話をしたら相当おびえていた。)
この1週間、「異文化」というものを本当にいろんな側面から見られた気がします。今までは面白さばっかりに惹かれていたけど、それに目が眩んでしまうのは時にはものすごく危険なことなんだということもよくわかった(ここには書けない経験も含めて)。
あ、そうそう、ぺトラ自体もね、本当にすごかったです。あれは高い入場料(3000円ぐらい!)払って行く価値あります!!! ベドウィンたちとの交流を抜いても、ぺトラが今までの旅のベストになったことは間違いありません。みなさんも機会があったらぜひどころじゃなく、機会を作って行って下さい。
Wednesday, June 04, 2008
まんまる
Monday, June 02, 2008
5年ぶりの再会
アメリカ留学中、同じ高校に通っていちばん仲のよかったイタリア人のErikaとの再会!!!!!!
留学が終わってから一度も会う機会がなく、再会を願い続けて早5年。ああ本当に嬉しい。
右も左もわからなかった登校初日から、頭の上から爪先までアメリカナイズドされて卒業するまで、毎日顔を合わせて苦楽を共にした、いわば戦友というかなんというか。わたしの留学先での高校生活の思い出の半分くらいは、Erikaなしには語れません。
今日Torinoの駅に着いた時も、一目でお互いわかった。5年の月日は長かったようで短かったようで、お互い変わっているようで変わっていないようで、あの頃の思い出はもうはっきりとした形では残っていないのだけど、でも5年の空白などなかったように、自然とこぼれ出る笑顔とおしゃべりと。
再会っていいものですね。ほんと。
それから、久しぶりにスーパーのリンゴとバナナとヨーグルトとパンだけで生きのびる生活から脱却できたのが嬉しくおいしい。本当に久しぶりに、満腹感というものを味わいました。しあわせ。
でもね、恒常的空腹とでもいうものを体感できるのも、こんな貧乏旅行ならではなんじゃないかと思います。生理的欲求が満たされないことがどんなにつらいことか、結局どこまでいっても模擬的ではあるけれど、ちょっとだけその苦しみを身をもって理解できた気がしています。鳩にエサあげるくらいだったら私にちょうだい!! と叫びたくなるような、かなりの切実さがある。。。
さてさてちょっと時間をさかのぼって、前回の投稿以降の旅の進捗をば。
§Salzburg§
ホテルでSound of Musicを上映していて、それが観られたのが最大の収穫。中学1年の部活で上演したという思い出深い作品なのだけど、実は本物の映画を観るのは今回が初めてでした。この映画を観てから街に繰り出したおかげで、街歩きの間中、頭の中で流れるBGMは"The hills are alive..."の美しい歌声でした。有名な砦は、入場料が高かったので入らず、、でも山をひたすら道に迷いながら散歩して気持ちよかった。
それからここのホテルであった人たちは、みんなすごくフレンドリーで親切で楽しい人たちでした。
あとネットカフェがとても安かった(1時間1€!!)のが素晴らしい。
§Hallstatt§
This has been the best!!!! ってかんじですね、結論から言うと。アルプスの山と湖に挟まれたとっても小さな町なのだけど、相変わらず都市疲れしていた私にとっては、何日でも滞在したくなるような素敵なところでした。
軽い散歩のつもりが、おもいがけず8時間ものがっつりハイキングをして、アルプスで最も美しいといわれる滝に言葉を失うほど感動したり、雪解け水でほてった体を冷やしたり、自然にたっぷり浸ることのできた本当に素晴らしい滞在でした。
知人のおすすめだという以外全く何の情報もなく訪れたのですが、本当に行ってよかった。オーストリア近辺に行く人は、絶対にここを訪れるべし!!
§Wien§
前日のHallstattでのハイキングにより激しい筋肉痛に襲われ、メインエリアに赴くのを断念という暴挙に出てしまいました。だって歩けなかったんだもん。。ひたすらドナウ河のほとりで寝ていました。以上。
でもなんか、沢木耕太郎のいう好奇心の摩耗じゃないけど、なんかもうヨーロッパの都市はだいたいたかが知れてしまったというか。どこに行っても、まあこんなもんだよね、と思うようになってきてしまった。。。
§Venezia§
スペインとイタリアは危ないと聞いていたこととスペインで実際に盗難にあったことが相まって、とにかく神経をすりへらした。
ベネチアの街は、言うまでもなくきれいです。もちろん。特に海の色がすごく綺麗な緑色だったのが印象的だった。
あと、日本人の観光客がいっぱいいて、久しぶりに日本語で会話できたのが楽しかった。個人旅行者って団体を嫌う傾向があるっぽいけど、わたしはとにかく日本人と話せるのがうれしくて、団体だろうと個人だろうと関係なく話しかけてました。
ちなみにここの駅のTourist Infoはものすごく不親切で、ケントさんに事前に教えてもらっていた宿情報がなかったら路頭に迷ってバックパックの重さに押しつぶされて消えてなくなってしまうところでした。ケントさんありがとうございます!!!
と、こんなかんじで、今日VeneziaからTorinoについて、たらふくおいしいご飯をごちそうになり、今に至るってかんじです。
ここには3泊ほど滞在して、次はちょっとフランスに戻ろうかなーと思ってます。
Torino - Nice (& Monaco) - Firenze - Roma - Brindisi - Patra - Athens
というかんじで、アテネではN田さんと合流します。わくわく!!
では夜も更けてきたのでそろそろ寝ます。
Ciao!!
Sunday, May 25, 2008
ご無沙汰
しばらく書いてないと書きたいことがいっぱいあるのに何から書いていいのかよくわかりません。
とりあえず今、オーストリアのSalzburgまで来ました。しゃりおのおすすめなので楽しみです。
前回の投稿はジュネーブからでしたが、その後、
Bern - Paris - Mont Saint Michel - Brussels - Amsterdam - Köln - Berlin - Füssen - Rothenburg
を経て、今に至るってかんじです。
誰かにオススメされたところは基本的に全部行ってるんだけど、のんちゃんオススメのBernも、まいちゃんオススメのMont Saint Michelも、ほんと素敵でした。行ってほんとよかった。どうもありがとう!!
ちなみに時間がないので結論から言うと、パリ、住みたいです。パリに惚れて当初の予定の2倍も滞在しちゃったよ。
ヨーロッパのベストはパリだなーと思ってフランスを出てからしばらくフランスシックみたいなのになっていたのですが、南ドイツに来てそれもふっとびました。
南ドイツ、すごく素敵!!! 自然がいい。空気吸うと心も身体も洗われるようなかんじがする。
パリはパリですごくいいけど、南ドイツはまた違った魅力があるなあとしみじみ。
いろんな出会いもありました。
パリでは、ニューヨークで知り合った人の家に泊めてもらったり。Füssenでは、おばさまたち3人組の車でNeuschwansteinまで連れていってもらったり。いろんなところで、カメラを盗まれたころに同情して、写真を撮ってくれて送る約束をしてくれたり。どこに行っても助けてもらってばっかりです。
旅に出る前に、恩師から言われた、
"自分が得るばかりじゃなくて、たまには自分を削るということも考えなさいね。"
みたいな言葉を、最近よく思いだします。ほんとそうだよね。旅人だから、とか、学生だから、とか、そんなものは言い訳にもなりませんね。
今後の予定は、
Hallstatt - Wien - Venezia - Torino ......
ってかんじでイタリアとギリシャに行きます。
I can't spend any more for the internet now but will get back to you again soon! Thank you again, as always, for your comments and messages!! C-ya
Monday, April 28, 2008
サンパウロより
さてさてNY後ですが、2箇所で2人の友人のお世話になりました。アメリカはプリンストン大学のI原のところに1泊、ブラジルはブラジリア大学のえりに会いに3泊。
◆プリンストン
いやー、さすがというかなんというか、すごかったです(これ私何も言っていないに等しいね、ごめん)。東大のしょぼさ=日本のしょぼさを実感しました(苦笑)。あとごはんがおいしすぎた。
I原には至れり尽くせりというかんじにもてなしてもらいました。何より久しぶりに会えたのが嬉しかった。どうもありがとう!!
◆ブラジリア
えりと彼氏とのラブラブっぷりを見せつけられ、「ブログに載せていいよー」とまで言われてしまったので、今度時間とPCの電池がいっぱいある時に(今はサラリーマンぽいおじさんにコンセントとられちゃったから・・)、証拠写真を載せます。最後の夜はなんとかっていうブラジルのものすごーーーーく強いお酒に酔って、グッズ部遠足の川越城を彷彿とさせる夜になりました。
えりも4日間ずっとわたしにつきっきりでブラジルのいろいろなものを見せてくれて、すごく楽しかったです。本当にありがとう!!
ところで今回のブラジル訪問で南米初上陸だったんだけど、すごくすてきーー!! なんかね、一言で言えばカラフルでchaoticなのがいい。露店と露店の間の狭い路地とか、人ごみに溢れているバスターミナルとか、見るだけでわくわくするし、なんかほっとする感じもするんだよね。あまりにも秩序だって整然としすぎているものより、混沌としている方がなんか好きです。と言う、『深い河』の美津子の言葉をそのまま繰り返したいかんじ。そして、アメリカの知人が、「ブラジルにはアメリカにはない何かがある」って言ってたのも、今ならなんとなくわかるような気がする。たったの4日間だけだけどさ。
南米は卒業旅行にとっておこうと思って、今回はえりに会うためにブラジルに寄っただけだったんだけど、ぜひとも次回はじっくりいろいろ回りたいなーと思いました。
◆総括というか、、
なんかね、今回の世界一周の旅は、
貧乏一人旅 → まっさきに食費を削る → 痩せる!!
という計画だったんですが、なんか本当に一人で旅してるのはまだNYだけで、あとは全部知り合いにお世話になってかなりの割合で「タダ飯を食らう」状態になっていて、食費を削れているのはすごくありがたいのだけど逆に太ってる気がします。。。
でも本当においしいご飯をいっぱいごちそうになりました。Princetonのご飯も、ブラジル料理も、本当においしい! 感動。
でも次のヨーロッパからはいよいよ本格的に一人旅の部分が多くなってくるので、今度こそ↑を達成すべく、節制してゆきたいと思います。。
◆そういえば、読書録
アメリカからブラジルに行く飛行機がまた遅れて(なんか遅れてないフライトの方が少ない気がする・・まあ飛行機なんてそんなもんかしらね。やっぱり日本のpunctualityはすごいよね)、その間に日本で出発直前に衝動買いした『バリ 観光人類学のレッスン』(山下晋司)をようやく読み終わりました。前から駒場の書籍部にあるのがちょっと気になっていて、バリに行ったのをきっかけに読んでみようと思ったのでした。
感想は、なんかこのタイミングで読んでよかったなーっていうのがまずひとつ。「観光」とは、「旅」とは、みたいなことが書いてあって、自分が1年という月日をかけてやろうとしていることっていったい何なのか、みたいな問いを、わたしをぐさりとえぐるかんじで投げかけてくれました。
ここでみんなに質問なんだけど、「観光」じゃない「旅」って、今の時代にありうると思う?
もうひとつの感想は、、と書きたいところで電池が切れる! しかももうすぐ搭乗時間なので、殴り書きでごめんなさいってかんじですが投稿しておきます。ちゃお!
Saturday, April 19, 2008
待ち人... その後
彼は留学時代一番仲がよかった人たちのうちのひとり。世界共通の話題でよく盛り上がってました。
帰国後もよく電話をしたり、大学入ってからも一番頻繁に話してたのが彼。
夜遅いのに、わざわざ訪ねてきてくれてすごく嬉しかった。
前より大きくなっていた気がしたので、「背伸びた?」と聞いたら、高校卒業後に5cm伸びたらしい! でもよく考えたら、promの時も彼はものすごい中腰でわたしと踊ってくれてたなあ、と思い出し、彼の大きいのは前からだという結論に至りました。
とにかく久しぶりに会えて、というか会いに来てくれて、he just made my dayってかんじでした♪
さてさてこれから荷造りをして、明日の朝9時にここを出発。
なんかここ最近、「去る」という実感を持たないままいろんなところを去っていってる気がする。。感情って、自分自身を置く「場」次第で殺すことも異常に昂ぶらせることもできるんだよね、to some extentは、意外と。
あるいは。
出会いと別れを繰り返していると、嫌でも免疫がついてしまうもので。慣れというのは本当に恐ろしいものです。それが救いでもあるんだけどさ。でもだからこそ、慣れの少ない敏感で不安定でfragileな時代、「若さ」に価値を見出すんだろうね。
Monday, April 14, 2008
Back in the Cove!!!!!
成田→(JAL)→NY→(AA)→Pittsburgh→(車チャーター)→Somerset→(HFの車)→HF宅
という流れだったのですが、15:55発のはずのNYからの飛行機が、遅延に遅延を重ね20:30発に。。。迎えに来てくれる人々にも大変迷惑をかける結果になってしまいました。
後で聞くところによれば、AA(American Airline)って先週も何百というフライトをキャンセルしたそうで。昨日の遅延は、too many aircrafts coming to the airport at a timeということらしく、スケジュール管理どうなってるんだ・・・ってかんじでしたが。でもロストバゲッジとかよりはいいよねー、British Airways大丈夫かな、、とか思いつつ。とりあえず無事たどり着けてよかったです。
さて、出発前夜から今までを時系列的に。
出発前夜は、飲み明かしました。すーごい楽しかった。
直前のお誘いにも関わらず来てくれたみんな、どうもありがとう。そして、半ば押し付けてしまったにも関わらず快くお店の手配をしてくれたY光、本当にどうもありがとう。
それから、応援&いってらっしゃいメールもたくさんたくさんいただきました。どうもありがとう。返信できないまま日本を去ってしまってごめんなさい。。。でも、一通一通のメールに本当に励まされました。
何をしても最近強く思うのは、わたしを生かしているのは人とのつながりの温かさなんだなあ、ということです。
飲み会からは3時ぐらいに帰り、そのまま荷造り&身支度を終わらせて、6:30のバスで成田へ。がんばって荷物を最小限まで減らしたバックパックは、それでも手荷物を除いて20kgありました。手荷物はそれはそれで5kgぐらいあると思われる。。11:45のフライトまで、見送りに来てくれた人たちとしばし歓談をして、旅立つ。
飛行機の中では、寝たり本を読んだり窓からの景色に心を奪われたり映画を見たり。個々の座席にスクリーンがついてるとちょっと嬉しいよね。ひとり、「陰日向に咲く」にぼろぼろと涙をこぼしました。隣に人がいなくてよかった。。写真は、何回見ても感動してシャッターを押してしまう、空から見る日の出。窓に顔を寄せていると、太陽が出るにつれてその熱を感じられるのもまたいい。飛行機の席はやっぱり窓側に限ります。
ていうか、JALはやっぱりサービスがいい! ご飯の時に寝てたらそのままにしてくれて、起きた時にご飯を持ってきてくれたり。食事以外のおやつ的なサービスも2回あったし。いろいろと気遣いが細やかな気がする。
暇すぎる飛行機の中で、いろいろこれからの1年のことを考えていた。けど、やっぱり1年っていう重みが全然よくわからないんだよね。なんか、いつも以上に、「いま、この瞬間」しか感じられてない気がしている。これからの生活があまりにも未知すぎるからかなあ。「未来も過去もない。あるのは綿々と続く今だけだ」みたいなことを誰かが言っていたけど、そういうことなのかもしれません。今以外の時間を体感するって、なかなかできないよね。難しい。わたしがこれから空けようとしている1年という日本でのブランクが、いったいどういうものなのか。それは、帰ってからしかわからないのでしょうね。
さて、その後NY着。久しぶりのアメリカのにおいや音に、懐かしさでいっぱいになってひとり顔がほころんでしまった。これでアメリカは3回目です。売店にある品物の顔ぶれや、すれ違った人の残り香、人々の話し声、、そういう些細なことひとつひとつに、心も体もとても敏感になっていて、心は終始bumpingでした。
で、乗り継ぎからHF宅に着くまでのいきさつは、冒頭に書いたとおり。。いやはやさすがに疲れました。今はたっぷり寝て回復したけどね。
HFのGodshall家はね、本当に居心地がいい。すごくすごくあったかい。いつ来てもそれこそ家族の一員として迎え入れてくれて、ずっと会ってなかった時間の長さなど忘れてしまうような感じがします。なんかね、理想の家族を現実にしたようなかんじなの、ほんとに。こんな家族もほんとにいるんだなあ~って、来る度に感心してしまいます。将来こんな家族を築くことができたらいいな。そのためにはまず自分が彼らのような穏やかで広い心を持たないと、ね。
それからね、やっぱり留学現役時代に比べたらしゃべれなくなってるんだろうなーとすごくびくびくしていた英語が、意外とだいじょうぶでちょっとびっくりしています。いろいろと忘れちゃったこともあるけど、でもなんか留学時代よりうまくなったような気もする。というか正確には語彙とかが増えて自分の英語力の幅が広くなったかんじ。大学の英語教育のおかげのような気もします。ありがとう、ユニバース☆
今日は日曜日なので休息日。わたし以外のみんなはお昼寝しています。こんな静かな日曜日も留学時代から変わってなくて、みんな寝ちゃったな~どうしよっかな~みたいな感覚も、すごく懐かしい。
明日はAFSの現役留学生たちのannual trip to D.C.に、わたしも混ぜてもらえることになりました。
少なくともGodshall家滞在中(土曜日まで)は、ネットへのアクセスも不自由なくできるので、またすぐ更新すると思います。Till then.. ciao!
Sunday, March 30, 2008
たいせつ
っていうぐらい、3年飲みと兼ねて開いてもらった今日のわたしの送別会は、笑いまくったしはしゃぎまくった。
みんな本当にありがとう。
彼らと接していて感じるのは、ものすごく大きな、優しさ。
どんなにはしゃいでいたり冗談を言い合ったり厳しいことを言ったり毒を吐いたりしていても、その奥底には揺るぎない優しさがある。
いつもどんなときでもお互いへの思いやりがあって、人間の温もりみたいなものが溢れてる。
きっとそれは、お互いを認め合ってるからなのかな、と思う。違いはあっても、受け入れること、って、もしかしたらこういうことなのかもしれない。違うものを受け入れるって、すごく難しいことだけど、ここではそれができている人たちがいるんだよね。
日ごろの自分を反省するとともに、とても大切なものを学んでいます。頭がよかったり仕事ができるだけじゃ決して満たすことができないもの。それがここにはある。それをわたしももっともっと磨いていかなきゃいけない。
ところで、今日初めて、自分が本当に旅立つんだという実感が急に胸に迫ってきた。ほんとにいなくなるんだよね、わたし。
1年って長いよね。置き去りにされてしまうことへの寂しさや恐怖感みたいなものはやっぱり、ある。
何かを得るためには別の何かを犠牲にしなきゃいけない、それは高校留学の時に学んだことだし、ひとつのものごとも視点を変えればよくも悪くもなる、と、そう言われてしまえばそれまでなんだけど。
別にね、だから行きたくないとか、そういうわけじゃないの。行くのが楽しみなことには変わりがないの。
これは決して、「旅に出ることで得られるもの」と「日本を離れることで失うもの」をはかりにかけて考えることの問題ではなくて。
欲張りなわたしのわがままな独り言、っていう、ただそれだけなんだけど。
でもなんでこういう風に感じるかって言ったら、いま、ここ、に、大切なものがたくさんたくさんあるからなんだとおもう。
気づかない間にわたしは、両手で抱えきれないほど、背中に背負いきれないほどの、「たいせつ」を積み上げてきた。そう、それはときに身動きを不自由にするほどの「たいせつ」――。
正直なところ1年の重みなんて帰ってきてみないとわからないと思う。もしかしたら何も変わらないかもしれない。でももしかしたら・・・。
だから今はわざと何も考えないようにしてます。すべては帰ってきてから考えよう。そうじゃなきゃ、いまこの一歩を踏み出せなくなるから。
それにしても、今日は本当に楽しかった。タンバリン叩きすぎて、左手があざだらけな上に、指輪が歪んでしまった。。。もう抜けない。。。。
Thursday, March 27, 2008
おどろきもものき
今日はそんな中で驚いたことふたつ。
●●その1●●
アメリカ留学時代のhost sisterのErinが、5月に結婚するそうな!!!!
Erinはわたしの1コ下だからいま21歳のはず。
日本じゃわたしの周りの同年代で結婚している人なんてほとんどいないけど、わたしの留学していた地域は結構みんな結婚が早いのです。
当時同じ高校に通っていた人で結婚した/するのはわたしが知っている限りでもこれで7人目かな? 高校時代にもう結婚して子供もいた人もいたな。たぶん実際はもっと多いんだろうと思います。
とにかくとにかく、Erinが結婚なんておめでたい☆☆
里帰りしたら馴れ初めや決意の動機などなど根掘り葉掘り聞いてみようと思います。うしし。
そう、それでね、HFは旅に出て真っ先に再訪するのですが、そして5月にはヨーロッパ周遊中の予定なのですが、またヨーロッパからアメリカに一旦戻ろうかどうか迷っています。
だって一生に一度(most likely)の晴れ舞台、しかも曲りなりにもsisterの結婚だもの、万難を排しても行きたいじゃない!!?
まあ、結論から言うと飛行機代次第なのだけど。悩みます。
●●その2●●
今度はPapua New Gueneaの友達のおはなし。
2006年9月に参加したSingaporeの世銀総会で出会った彼。ユース活動をものすごく活発にやっていて、今はPNGの世銀で働いているというとっても優秀な彼。
ときどき近況報告をし合っているのだけど、彼は5月から奨学金をもらってAustraliaでmastersに行くとのこと。さすが!と感心しつつ、わたしからも旅とTogoでのインターンの話をした後は、しばらく返信が途絶えていました。すると今日メッセージが来ていて、、
「AIESECのプログラムに申し込んだよ」
と!! え、え、大学院行くんじゃなかったの? 奨学金は?? と、それはもうびっくり。まあ、まだ本決まりではないらしいけど。いろいろと考え中だそうです。