アツい理由はいくつかあって、
その1:先生が素晴らしい
今まで語学の習得にしろ他の勉強にしろ、大事なのは自分でどれだけやるかで、先生の教え方が上手/下手って、そこまで影響しないと思っていた。
が! が!!
ヒンディー語の講義の先生は外部講師で外語大の先生なんだけど、ご自分で本も書いてらして(それが教科書)、教え方はさすがプロ。
(外語大の先生で本を書いていれば誰でも教え方がうまいというわけではないだろうけど。)
まだ初めの文字と発音のところだからだと思うけど1回100分の授業で1ページ進むか進まないかくらいの速度で、説明が一つ一つものすごく丁寧で、発音に至っては言語学的説明から口の構造からヒンディー語と日本語・英語との違いに至るまで細かく細かく教えてくださるんだけど、発音マニア(他称)の私としてはもう鳥肌が立つくらい面白い。し、what's more, こういう教え方をされればさすがに誰でもできるような気がする。
横道にそれますが外国語の発音ができないのって、耳のよさとかって言うけど違うんじゃないかと思う。正しい舌の位置とか口の形とかを学んで、ちゃんとひとつひとつの音をスピーカーにかじりつくくらいに聞いて、自分の発音を録音して徹底的に聞き比べて違うところを直して何度も練習して、、ってやっていけば誰でもある程度はうまくなると思うんだけどなあ。
Anyway, 今学期取っているもう一つの非ラテンアルファベット言語であるヘブライ語の先生は、プリントを配って説明もそこそこに「はい、じゃあ来週までにはアルファベット全部覚えてきてくださいね」。
やっぱりその語学を専門にやってるのと、その言語を使って別の専門研究をしているのとでは、教え方もだいぶ違うのかなあーと思ったり。
ちなみにヘブライ語の先生はとても素敵な先生だし、授業はヘブライ語そのものよりもイスラエル文化とか聖書の話とかが多いのでそれはそれで非常に面白いのですが。
その2:徹底した少人数教育
というのは別に初めから意図されていたことではないらしく、法文1号館の中では2番目くらいに大きいたぶん100人ぐらい入る教室に、学生は2人。。。
この「休めない」というプレッシャーと、さすがに一方向的な講義だと変な感じがする先生との近い距離感、特に質問がしやすかったりちゃんと学生の理解度を確認しながら授業が進む感じ、いいですね。
こういう超少人数授業は前に1回、「本居宣長の『道』の思想」みたいな授業の時に3人っていうのがあったんだけど、振り返ってみるとそういう授業がいちばん楽しかった気がする。同じ内容でも、このぐらい少人数の方が興味も持ちやすいような。
その3:インドが大好きになる
先生がインドのいろいろな文化(国勢調査とか食べ物とか歴史とかとか)の話をされる度に、その話がとってもおもしろくて聞き手を惹きこむものなので、自然とインドが大好きになっちゃうようなかんじ。
先生のお話を聞いていると、世界一周の中でインドを訪れた記憶が蘇ってきて、もう今すぐにでもインドにまた飛んでいきたい!!!!という気持ちにさせられます。
インド、本当に面白かったなあ。また行きたい。
ということで大好きなインド、大好きなバラナシの写真たち。
到着直後、ホテルからガンガーとバラナシの町を臨む。
空中の浮遊物は凧です。前日が凧のお祭りだったらしい。
どのガートか忘れたけど上流に散歩していく途中で。
夜、プージャを見に来た人たち@ダシャーシュワメード
ガンガーの日の出。世界のどこに行っても、太陽の美しさには同じように感動する。
ガンガーの対岸(不浄の地)からガンガー越しに眺めたバラナシの町。
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