眠いし風邪気味だからぐちゃぐちゃです。いつか気の向いた時にでももっと整理して書くかもしれません。
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旅に出て間もない頃の日記で、わたしはこう書いた。
2008年5月6日
なんか。何も残さずにただひっそりと死んでいくのもいいかな、とか生まれて初めて思ったりしている。今まであまりにも多くのものにしばられすぎていたかもしれない。本当に、絶対に、譲れないものってなんだろう? 失ってしまえば、それはそれで生きていけるものなんだから。もっと多くのものを、自分から手放せるようになれたらいいだろう。
2008年5月20日
できるだけ目立たぬよう、小さくなって小さくなって、森の中や山の中でひっそりと生きて死んでいくのもいいかもしれないな、と思ってしまう。
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(※以下ネタばれ注意)
彼は、「自由」を求めて、「真実」を求めて、「完全」を求めて、旅に出た。「社会」という茶番から抜け出すために。
でも、結局抜け出せなかった。もっと正確に言うと、抜け出してはみたけれど、抜け出すことで同時に失うものに、打ち克つことができなかった。
完全なんてありえない。完全なんて幻想でしかない。
それなのに人間はその幻想に酔いしれ、それを求める。
99%の幸せと、1%の不幸を見比べて、自分は不幸だと言う。
彼は完全な自由を追い求めた。
でも、本を捨てなかった。自分と他者とのつながりを断ち切れなくて。
「完全な自由」は、幻想だった。
"HAPPINESS ONLY REAL WHEN SHARED"
彼は生きようとしていた。
だけど、他者から自分が生きていることを認められなければ、もはや、「生」と「死」という区別さえ無意味なのだ。
だから彼は書き遺した。死ぬ前に自分の写真を撮った。自分の存在を他者に認めてもらいたくて。
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"TO CALL EACH THING BY ITS RIGHT NAME"
なまえ。
他者とのつながりなんてなければ、名前なんていらない。
他者が自分の存在を認めていて、合意が存在していなければ、「正しい」名前なんてない。
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彼は、「自由」を求めて、「真実」を求めて、「完全」を求めて、旅に出た。「社会」という茶番から抜け出すために。
お金を稼ぐこと、お金を遣うこと、人間関係に翻弄されること、いい成績を取ること、出世すること、おしゃれすること、愛想笑いをすること、満員電車に揺られること、デッドラインに追われること、礼儀をわきまえること、空気を読むこと、言語を使うこと、何かを頑張ること、それらすべてが、茶番であっても、茶番を生きる中でしか、他者と寄り添うことはできない。
茶番が真実なのではないかもしれない。でも、茶番の中でしか、触れることのできないものがある。
「にせもの」と「ほんもの」という二項対立は、現実の世界ではナンセンスだ。
そしてわたしたちが生きる世界は、「社会」という名の現実以外には、ない。
だから、それがいかに茶番であっても、他者と寄り添うために、そうすることでしか生きていけない自分のために、茶番を一生懸命演じていかなきゃいけない。
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正直なところ、自分の旅と重ね合わせることがとても多かった。
だから、共感もものすごく多かったけど、どこか冷めた目で見ている自分もいた。
大泣き虫のわたしなのに、不思議と涙は出なかった。
自分の求めるもののために、突き進んでいく。
かっこいいかもしれない。
でも、そうすることで、多くの人の心の震えに、鈍感になってしまうことがある。
そして、自分が追い求めていたはずのもの、真実だと思っていたものを手に入れた時、それが「茶番」だったと気づく――。
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