Monday, January 05, 2009

au revoir

というわけでトーゴを去りたてほやほやのわたしです。

と言ってもこれで最後だ、みたいな実感が全然なくて、ガーナ国境までCILSIDAの仲良かったメンバーとAIESECのわたしのお世話係(AIESEC用語でなんて言うんだっけ?)が見送りに来てくれたり、友達と泣くか泣かないかで賭けをしてはみたけど結局涙なしの笑顔のお別れでした。

そしてここアクラではTさんが再び温かく迎えてくださって、今日はおせち料理とすき焼きをごちそうになってしまった。おいしすぎた。日本食バンザイ。

今日トーゴを去った感覚は、4月12日に日本を発った感覚とちょっと似てた。
とにかく実感がない。
「わたしはもう(しばらく)戻ってこないんだ、これでお別れなんだ」って思っても、それがどういうことなのか一生懸命頭で考えても、心が理解できてない。諸々のお別れの儀式(待ち時間のふわふわした団欒とか写真撮影とかハグとか)が無声映画の早送りを見てるみたいなかんじで過ぎていって、こんなんでいいのかな?とか思ってる間に全てが終わって気づいたらひとりになってた、みたいな。

アメリカ留学の最終日はこんなんじゃなかったんだけどなー。いろんな意味で、あの頃は純で一直線で一生懸命でまっしぐらだった。若かった、とも言えるかもしれない。そういうむきだしの心みたいなものの喪失に気付き始めたのがハタチを過ぎた頃。こうやって大人になっていくのかー、とちょっと寂しく悲しかった記憶がある。

だからいろいろとトーゴでの半年弱を終えた感慨とかを書こうにも、まだよく自分の中で「終わり」を認識できてないというのが正直なところです。

今言えるのは、「本当に来てよかった」ということと、「思い残すことや悔いはない」ということだけ。来てよかったと思えるのは、それだけわたしの中で変化があったということ、なのかな。

実感がないのは、トーゴの時間の流れ方のせいもある、かも、しれない。
クリスマスもお正月も、just another ordinary dayみたいに過ぎて行ったように。それは、わたしの見るところ季節の変化のなさが一因。「日本は季節の変化が豊かだ」とよく言うけれど、トーゴに来て初めて「So what?」というところまで実感を持って考えられた気がします。

でも、そうやって変化に鈍感になってぼんやりしてるうちにどんどん忘れていっちゃうのかな、と思うと今のうちに何かしら書き残しておかなくちゃ、とも思うので、アクラのTさん家で優雅な日本さながらの暮らしをさせていただく間に、ちょっとずつ書いていけたらいいなと思います。

なんだかいつにも増してまとまりのない文章になってしまいました。でも結構このまとまりのなさ、つかみどころのなさみたいなものこそが、今のわたしの心境を反映してる気がします。

あ、そういえば明けましておめでとうございます。カレンダーを見る時ぐらいしか、今が年始だなんて思いださないんだけど、ね。

1 comment:

  1. rena!!!
    yukadayo!

    konoaida denwa kureta?
    gaikoku kara kakatte kiteta
    mitai nanda kedo baito chuu
    datta

    aitaiyo~~~~~~~~~~~
    !!!!!!!!!!!


    renamamakara
    tamani mail kuruyo

    genkisoudenaniyori
    yuka mo genki morimori mokkori
    marimokkori korikori!!!

    2gatsu 10nichi ni
    kaettekurutte
    honto kai?

    majide hayakua aitaiyo

    mata renraku choudai
    kocchimo renraku surukara

    shibaraku renraku dekinakute
    gomennne

    ima sotsuronn ga nanimo susunde
    nakute majide yabai gobyoumae

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