Friday, November 14, 2008

折り返し地点

前の前のポストでトーゴでの近況を詳細に語ったのだけど、英語だしあんまり読まれていないような気が(勝手に)するので、Tさん家で日本語のパソコンを思う存分使わせていただける間に、改めてこれまでのトーゴでの生活について簡単に書いておこうと思います。

それにしてもここガーナに来て日本語や日本人が周囲にいっぱいある/いる環境に来て、今までトーゴでいかに自分が日本から遠ざかっていたかを実感する。。日本の情報といったら本当に、麻生さんのことと、詳細はなんかよくわかんないけど経済がやばいらしいことがニュースで流れていたのしか知らなかったもん。

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さて。

10月半ばにインターン先の団体を変えました。最初の団体JADIとは結論から言って全然うまく行かなかった。今はCILSIDAっていう団体で研修続けています。期間としては、トーゴ滞在全168日のうち、前半82日間をJADIで過ごし、残りの86日をCILSIDAで過ごすことになります。だからちょうど半々ぐらい。

今までの活動拠点は基本的に4地点3団体。

JADI時代
ロメのJADI:トーゴの首都ロメにあるJADIオフィス
ドゥバのJADI:ロメから北に車で3時間ぐらい。JADIディレクター・ステファンの故郷の村ドゥバにあるJADIのもうひとつのオフィス
ザンゲラのLe Responsable:ロメ中心部から北に車で20分ぐらい。ステファンがプレジデントを務めるNGOネットワークRAJESのメンバー団体。ステファンの気まぐれにより左遷された団体

CILSIDA時代
アダマボのCILSIDA:ロメ中心部から東に車で15分ぐらい。今インターンしているところ

JADI時代は基本的に、①②③をひたすらたらい回しにされる日々でした。全然楽しくなかったけど、ものすごく勉強になったという意味で本当に貴重な体験をしました。

何が勉強になったのかといえばいろいろあるけど、、
・「トーゴの人々のために」みたいな純粋な気持ちは、踏みにじられいいように利用され貪り取られて終わるだけだということ
・トーゴの発展を阻むトーゴ人の性質がわかったこと
・ここでは人を信用するのにものすごくものすごくものすごく慎重にならなければいけないということ
・「アフリカは貧しい」という先入観(オリエンタリズム?)に、援助する側もされる側も(特にされる側のアフリカ人自身が)とらわれすぎているのかもしれないということ
が主なものかなー。そんなにしっかり整理されてるわけじゃないけど。
驚いたことに、折しも今日上のふたつと全く同じことをTさんもガーナについておっしゃっていて、たった3ヶ月半いただけのわたしだけど、Tさんのおっしゃることに実感を持って同意することができた。

で、こういうことを学んだ結果わたしがどう変わったかというと、悪く言えば根性汚くなった、よく言えば反抗する強さを持った、ってかんじだと思う。相手の言うことを簡単には信じなくなったし、相手の要求に対して面と向かってNO!と言うようになったし、変な言いがかりをつけられたら(←よくある)絶対黙ってないし、とにかく何に対しても厳然と立ち向かうようになったというか。

トーゴには理不尽なことが体質的にいっぱい存在していて、いっぱいあるせいかトーゴ人は自分に理不尽なことが降りかかって来てもそれを受け入れることが多い。誰がどう見てもおかしいことに対しても、あんまり立ち向かおうとしない。権威至上主義的な傾向のある社会で、立場上立ち向かいたくても立ち向かえないこともままある。だから理不尽がまかり通るし消えることなくどんどん増えていく。
でもわたしはそんなの、自分自身もものすごく悔しいし、何よりもトーゴのために絶対よくないと思う。誰かが行動を起こして立ち向かっていかないとトーゴはいつまでもこのままだもん。そして弱い立場にいる人ばっかりが禍を被ってそれに耐えていかなきゃいけなくなる。そんなの絶対よくない。だからわたしは理不尽なこととか権威を笠に着て勝手放題言ってくる人に対しては「そんなのが通用するなんてゆめゆめ思うなっ」というメッセージを込めて絶対うんと言わないし泣き寝入りしないようにしてる。それはたぶんYovo(現地語エウェ語で白人という意味)だからこそできることでもある。

・・とまあ、わたしのトーゴ前半戦をおおまとめに一言でいうと、本当に誰一人信じられる人がいなくて極度の人間不信に陥ったのと、そこでのstruggleってかんじだった気がします。
たまたまトーゴのネガティブな側面ばっかりに出合ってしまったからこういう風になったけど、だからって上にわたしが書いたことがトーゴのすべてだと思ったらそれは絶対間違いです。第一2ヶ月半なんかですべてなんてわかるはずないもの。トーゴにもいい人やいいNGOは(たぶん、いっぱい)あって、そういう環境の中で終始インターンをして自国に帰っていく研修生もいると思う。だけどわたしはそうじゃなくて、でも途中で団体を変えて、だからこそトーゴの組織や人のいいところも悪いところも体験できて、トーゴの構造的・体質的問題が見えてきた(気がする)のは本当に本当によかったと思う。

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さて。

トーゴ前半戦の話はこれまでにして、後半について。

っていうのを前々回長く語ったのだけど、もう疲れちゃったから詳細はやっぱり英語で読んでもらうとして(ごめんよみんな)、とりあえず今は前半と180度変わってほんとに心から毎日楽しいってことと、今やってる仕事についてだけ簡単に書いておきます。

今やってる仕事は大きく分けて2つあって、
1. ザンゲラのLe Responsableの人たちとの仕事
2. アダマボのCILSIDAでの仕事

ザンゲラのは、(わたしがYDPやってましたと口を滑らせたばっかりにこんなことになってしまった残念な)「ユースと開発」についての会議。彼らは「平和」までテーマに入れたがったんだけど、YDPの団体名をそのままテーマにする意味もわからず、数時間の会議でそんなにテーマを広げても絶対失敗するだけだと思い、なんとか阻止。それ以上の制御ができなかったのはわたしのフラ語力不足による。無念。
企画し始めたのはザンゲラにいた時で、企画書書いたりだとか基本的な枠決めは全部ザンゲラ時代にやったんだけど、会議当日が12月のいつか(日程を決めようとさんざん言ってるのに決まらない。憤慨)ということでまだだらだらと尾をひいて残ってる仕事。

で、メインは今インターンしてるCILSIDAでの仕事。
この団体は本当に活発で予算もUNICEFとフランスのFondation de Franceというところからそれなりにもらっているので、アクティビティも仕事もいっぱいあって、「君○○担当ね」というかんじの役割はなくても毎日やることがいっぱいあります。

アクティビティとしては、
・コミュニティ内の若年結婚についての調査、調査後のターゲットのケア
・11月19日の世界児童虐待予防デー(で日本語訳合ってるのかな?)でのイベント
・おそらく12月1日の世界エイズデーでのイベント
・HIVポジティブのケア
など。

外に出かけるアクティビティのない日は、終わったイベントのレポート書いたり会計報告作ったり来るイベントの準備(手紙書いたりとか)したり。エクセル作業が結構多いのでエクセル上達したと思われる。あとはパソコンのいろんなテクを他のメンバーに教えることが多い。ここではPCのトレーニングはお金払って受けなきゃいけないから、わたしが彼らに教えるのはそれなりに価値があると思われる。わたしが去った後も活きるものだし。

今は基本的にディレクターのアントワンに言われたことをやることが多いし、それがいっぱいあるから毎日それなりに忙しく過ごしているのだけど、もっと積極的&自発的にできることを探そうと模索中。でももう、そんなに息せき切って「成果! 成果!」とかやらなくてもいいのかな、って気もしている。それが妥協から生まれた気持ちなら問題だけど。

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最後に、ちょっと話が変わって、「国民性」なるものについて。

今日のポストの前半でさんざん「トーゴ人は」とか「トーゴは」とかって言ってたけど、ほんとは「○○人は」っていう語り方、あんまりいいとは思ってない。だって文化なんて絶対完全にはわかりえないのにそんな語り方をするのはとても傲慢だし、一般化したところで必ず例外の存在があって、ちゃんと厳密に言える語り方ではないから。

それでもやっぱり、「国民性」ってあると思う。それは、「●●人は□□な性格で」っていうものよりも、ある文化の中で暗黙の了解的に存在しているコミュニケーションのあり方、という意味で。
なんていうか、、こう来たらこう返す、みたいなものが言語によっても文化によってもある程度決まってるというのをすごい感じる。返すものは絶対これじゃなきゃいけないってものはないんだけど、反応選択の負荷のかかり方が文化や言語によってそれぞれ違うというか。
例えば日本人がアメリカ人の会話に乗り切れないのは、リスニング力やスピーキング力不足以外にもコミュニケーションの論理が違うせいもあるのではないかしら。

あー、また今回もうまく伝えられてないなーと後味の悪い思いを残しながら、でももう夜中の1時を過ぎたので諦めて寝ることにします。
絶対日本にいる時より言葉のアウトプットがへたくそになった。残念。いつもいつもわけのわからない文章を読んでくれてみんなほんとにありがとう。

ちなみにトーゴには土曜日に帰ります。日本語に囲まれた生活も残りわずかです。

2 comments:

  1.  アフリカの貧困は、搾取か、必然かって、身近な人たちの間でも一般的な議論として取り上げられるけど、僕ら日本にいて先進資本主義の恩恵を受けてる立場から見ると、それを必然やって考えるのはどうしても後ろめたさがあって、心のどこかで否定したくなります。必然やっていう選択肢が浮上することからしてそもそもきっとそういう側面があるんやろうけど、でもそんな話を聞いてもどうしても「うそや、もっと現実を見据えなあかん」って否定したくなります。れなさんの賢明さは本当に信頼してるので、やっぱりそうなんかな、とショックでした。もちろんそれだけではないことは重々承知ですが。
     んと、でもそういうことがいいたかったんじゃなかってんけどな。何ていうか、言葉にするとごく当たり前のことになっちゃうけど、「ほんまにそうなんや」っていうショックを感じたわけです。いや、これやと一段落目と一緒ですね。言葉って難しくて、今日は諦めるべき日かもしれません。

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  2. I've finally got enough time to reply.. もはやたかちゃん気づくかわからないけど。

    わたしのこのポストを読んで「アフリカの貧困は必然だ」という結論が導き出されてしまうとしたら、それはわたしの意図するところではなく一重にわたしの表現力不足と説明力不足によるものです。ごめんよ。

    「アフリカの貧困は搾取だ」という命題は、
    1.「アフリカは貧困だ」
    2.「(命題1が真である場合)それは搾取(=先進国のせい)だ」
    っていう2つの命題に分解できる。

    わたしがトーゴで感じたのは(そしてこのポストで言わんとしてたのは)、それぞれの命題が真か偽かというレベルの問題ではなくて、その命題のどっちもが、トーゴ人自身が考えた自己認識ではなくて、先進国側の勝手な論理によって植えつけられたものなんじゃないか、つまりオリエンタリズムなんじゃないかってこと。

    さらに、そのオリエンタリズムによって、命題1に関してはトーゴ人自身の極端に否定的な自己認識が、命題2に関しては「先進国が自分たちを助けるべきだ」的な、自国の発展に対する消極性が生まれてしまって、それこそが憂うべきことなんじゃないかということ。

    命題1も命題2も、勉強不足なわたしには真偽のほどはよくわからないけど、特に命題2に関してアフリカの貧困の原因が何かっていうのは、少なくとも搾取vs必然みたいな二項対立的な考え方は有効じゃないんじゃないかな。

    でも仮に命題1も命題2も真であったとして、次に問うべきは「じゃあどうするか」だと思うけど、アフリカを援助する動機が自分たちの後ろめたさや罪悪感だとしたら、それこそ新たな先進国の勝手な論理とそれに伴う対象の変化の押しつけっていう意味で、構造は搾取と変わらないんじゃないか。

    とはいえ、現実問題として、もし今途上国への援助がすべてストップしてしまったらって考えると(例えばジンバブエ)もちろん現行の開発援助なり国際協力なりの活動に価値があることも認めるし、世界のどこかで皺寄せを食らってる人たちがいるからこそ日本での豊かな生活があるっていう感覚は、わたしも持っているんだけど。

    結論は、たとえそうだとしても、結局こういうことの全ては、先進国に端を発しているという意味で、援助すらも構造的には搾取の延長線上にあるんじゃないか、っていうのがトーゴでの新たな気づき。
    で、だとしたら、トーゴの、アフリカの、当事者性というのはどこにあるのか、それがないとしたら、開発というのは一体何を目指しているのか、というのが、それに付随して生まれたあるいは深まったもやもや。

    ついでに言うと、アフリカの国々をアフリカと一括りにして語ることがいかに無茶なことかっていうのも(そういう言説を知らなかったわけではないけど)トーゴに来てようやくちゃんとわかるようになった。

    ふう書き疲れた。

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