今日の夜行でシリアを出てアンマンに戻るつもりなのですが、今とにかく暇で暇で仕方ありません。
ネットカフェで余った時間とシリアンポンドを使い果たすという廃人的目論見。
だってー、ハマはもう全部見尽くしたし、ちょっと遠出できるほどはお金ないし、ホテルにある本全部読んじゃったし、持ってたフラ語の本もおとといぐらいに終わっちゃったし、チェックアウトしちゃったから寝るベッドもないし、とにかく暇なんだもーん。外でぼーっとするのには暑すぎるし。。
しかもなぜかここのネットカフェ、ブログ本体が見られないんだよね。編集画面は大丈夫なんだけど。だからたまりにたまったコメントを返すこともできず、、、。
ちなみに「ヨルダン」っていう記事に礼奈の前にコメントくれたのはどなたですか? わたしが知ってるヨルダン経験者は2人しかいなくて、たぶんHさんかなーと思ってるんですが果たしてそうでしょうか?
ところでホテルにあった『路上の夢 新宿ホームレス物語』っていう本を読んだんですが、なんかすごく新宿が懐かしくなってしまいました。やっぱり日本のかけらを感じると日本が恋しくなります。
でも、日本に帰りたいと本気で思ったことは、まだ、ない。
そんな思いが一瞬だけ頭の中をかすめたのは今までで2回だけあります。盗難にあった時と、病気になった時。でもその時もすぐ「ここで負けてどうするんだ! なんのために一人旅に出てきたの?」って思い直したけど。そう思うとそれまでの500倍ぐらい勇気と元気が湧いてきます。
自分でもすごく不思議なのだけど、去年3週間のイスラエル滞在の後に10日間だけトルコを一人でまわってた時は帰りたくて帰りたくて仕方なかった。トルコにいる間中、すごく孤独で寂しかった。
今回はその何倍もの時間をずっと一人で過ごしているのに、孤独に押しつぶされそうになるとかそういったことはまったくない。
理由をずっと考え続けているんだけど、自分でもよくわかりません。
でも、ひとつには今回の方がいろんなひととの出会いを大切にしてるっていうのがあるかもしれない。
現地の人々、宿の部屋で一緒になった人々、、いろんな人といろんな会話を交わします。だから、ひとりだけど、ひとりじゃない。
友達がいないなら、友達を作ればいい。それは今回ひとつ学んだことでもある気がします。
とはいえ、なんで去年あんなにホームシックになったのかの理由にはこれだけでは不十分そうだけど。それは今後も考えていくということで。
最近ずっと思ってるのは、自分で何とかしようと思えばどんなことだって何とかなるんだ、ってこと。
あらゆる意味で「枠」を超える、というか。世の中って、普段なんとなく見えているほどいろんなことが「決まって」いるわけじゃないんだなー。って。むしろもっともっと混沌としていて、隙間だらけで、いろんなものが交錯していて、「このボタンを押せばこれが出てきます」みたいな、そんな世界じゃないな、って。もちろんそのボタンを押しても目的のものは出てくるかもしれないけど、そのボタンを見つけられないことは目的のものを手に入れられないことと同義ではない。
って書くとなんか不正ルートで何かをするみたいに聞こえるかもしれないけど全然そういう意味ではなくて。
決まりごと(法律だったりルールだったり秩序だったり、文化や暗黙の了解的なものだったり常識だったり「普通」だったり)なんて、結局は人間が作り出したもの。そして人間が作り出したもので絶対なものなんてない。
そして世界はそんな決まりごとで区切られて整理されているように見えるけど全然そんなことなくて。もっと世界はつながっていて、自分で思うように、好きなように、どうにでも、そのつながりをたどって新しいなにかを作り出していくことができる。
相変わらず漠然としてわかりにくい文章でごめんなさい。
では外がちょっとは涼しくなっていることを期待しつつネットカフェを出ることにします。
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