というわけで、明日ガーナを去りトーゴに帰ります。
さよなら英語圏。
さよなら水洗トイレ。
さよならコンクリート道路。
さよなら水道。
さよなら日本人。
(;_;)
なんかねー、今回以上に
「予想だにしなかった」
って言葉があてはまるシチュエーションって、あるでしょうか。
お寺のご住職さんとの出会い、
Tさんとの出会い、
Tさんからつながるたくさんの日本人との出会い。
今回の出会いはすべて、偶然に偶然が重なってできたもの。
運命でもタイミングでも巡り合わせでもどんな言葉だっていいけど、
すごいよ、こうやってここガーナで彼らに巡り合えたのって。
「見えない糸」とかいう言葉を、ふと信じたくなってしまいます。
いろんな話を聞きました。
今までの人生の話。
現代の日本社会を憂う話。
国際協力の話。
ビジネスの世界の話。
裏社会の話。
家族の話。
これからの希望と野心と情熱に満ちた話。
時にはお説教もされました。
わたしは甘ったれてるって、
トーゴにいるのもお遊びだろうって、
そういう風にも言われました。
自分でもわかってる、って、そういう部分もあったし、
それは違うって思う部分もあった。
いずれにせよ、
こうして耳に痛いことを言ってくれる人と出会えたのも、
なんだかすごく嬉しかった。
「だから頑張れ。頑張ろうな」
って、最後にはそう言われました。
たぶん、何年か何十年か後になって今回のことを振り返ったら、
「あの時彼らと巡り合ってなかったら、わたしはこんな人間になってなかった」
って言うんじゃないかと思う。たぶん、だけど。
それぐらい、今回の出会いはわたしの中に大きななにかを残し、
わたしの中のなにかを変えてしまった。
それぐらい、今回の出会いは感動的で衝撃的だった。
ほんとに来てよかった、ガーナ。
「人生って何があるかわからないよね」
っていうTさんの言葉、それを本当に実感した。
というわけで、明日ガーナを去りトーゴに帰ります。
フランス語忘れちゃったよーん。(;ω;)
Tuesday, November 18, 2008
Sunday, November 16, 2008
インドビザに翻弄されるの巻
こんにちは。ここぞとばかりにせっせと日本語でブログを書いています。でも日本語が使えるとどうしてもネットにかける時間が長くなりがちだから、普段のトーゴの生活では日本語環境がなくて逆にいいのかも。浦島太郎感は否めないけど。。でもここガーナではTさんはじめ日本人のみなさんのおかげで航空幕僚長のことだとか筑紫哲也のことだとか小室哲也が逮捕されたとか東大元総長が亡くなったとか今年は就職難だとかいろいろキャッチアップしてます。
ところでほんとは今日(土曜日)トーゴに帰るはずだったのですが。
ですが。
昨日インドのhigh comissionに行って約束通りビザを受け取ろうとしたら、
「あなたのビザはreadyじゃないから月曜日に来て下さい」
・・・!
申請した時は金曜日にできますって言ってたじゃん! 日曜日の朝にトーゴでアクティビティあるから土曜日にはトーゴに帰らなきゃいけないのに!!
と受付のガーナ人のおばちゃんに訴えても知らん顔。埒があかないので奥の部屋にいるお偉いさん的雰囲気のインド人に直談判に行く。
話を聞くと、どうやらインド本国だか日本のインド大使館だか(忘れた)に連絡して3日間は返事を待たなければいけないとのこと。
でも申請時に話した時はあなた即日発行がいいか金曜日になっても大丈夫かって聞いてきたじゃん! あれはどういうことよ?!
「あの時は人がいっぱい来てて疲れて混乱してたからさぁ、、」
・・・。
どんな言い訳だい。でも土曜日にトーゴに帰らなきゃいけないんですけど。
「じゃあ一旦パスポート返してあげるから、土曜日に帰って月曜日にまた来なさい」
・・・。
・・・・・・・・。
馬鹿にしてる? トーゴとガーナ、隣同士って言ったって片道4時間かかるよ? お金もかかるよ? いくらyovoだからってそんなばかばかしい無駄遣いできないよ?? おぬしそこまで無茶苦茶なことを言うかー。
しかしこれ以上押しても結局埒があかず、失意の中帰宅。
一応パスポートは返してもらったけど、でもやっぱりトーゴに一旦帰ってまた来るとなると、改めて研修先と話してお休みもらわなきゃいけないし、それはスケジュール的にも空気的にも財政的にも無理があると思ったので、結局そのままガーナに月曜日までいて火曜日にトーゴに帰ることにしました。
っていうかそんな明確なルールがあるなら申請した時点で言えし!!! あの時はいかにも「君トーゴに住んでるのにわざわざビザのために来たのか~じゃあ早い方がいいよね、金曜日でも間に合うかい?」みたいな親切そうなこと言っといてさあ。なんだいなんだい。ここまで来たタクシー代返せー。悔しいので帰りは45分ぐらいかけて歩いて帰った。暑かったーちきしょう
これで月曜日も変な言い訳されてビザもらえなかったらわたし本気で激怒してやるんだから。
水曜日は日曜日のすっぽかさざるを得なくなってしまったアクティビティよりもっと大事な「世界子ども虐待防止デー」のイベントがあるから今度こそ絶対絶対火曜日にはトーゴに帰らなきゃいけないのにっ。
それにしても、もしわたしがトーゴの後にインドに行くって決めてなくて、決めてたとしてもトーゴにインド大使館があったとしたら、今回ガーナで得たさまざまな素晴らしい出会いやチャンスが全くなかったんだなあと思うと、偶然というか運命というか巡り合わせって、本当に不思議なものですねー。
ところでほんとは今日(土曜日)トーゴに帰るはずだったのですが。
ですが。
昨日インドのhigh comissionに行って約束通りビザを受け取ろうとしたら、
「あなたのビザはreadyじゃないから月曜日に来て下さい」
・・・!
申請した時は金曜日にできますって言ってたじゃん! 日曜日の朝にトーゴでアクティビティあるから土曜日にはトーゴに帰らなきゃいけないのに!!
と受付のガーナ人のおばちゃんに訴えても知らん顔。埒があかないので奥の部屋にいるお偉いさん的雰囲気のインド人に直談判に行く。
話を聞くと、どうやらインド本国だか日本のインド大使館だか(忘れた)に連絡して3日間は返事を待たなければいけないとのこと。
でも申請時に話した時はあなた即日発行がいいか金曜日になっても大丈夫かって聞いてきたじゃん! あれはどういうことよ?!
「あの時は人がいっぱい来てて疲れて混乱してたからさぁ、、」
・・・。
どんな言い訳だい。でも土曜日にトーゴに帰らなきゃいけないんですけど。
「じゃあ一旦パスポート返してあげるから、土曜日に帰って月曜日にまた来なさい」
・・・。
・・・・・・・・。
馬鹿にしてる? トーゴとガーナ、隣同士って言ったって片道4時間かかるよ? お金もかかるよ? いくらyovoだからってそんなばかばかしい無駄遣いできないよ?? おぬしそこまで無茶苦茶なことを言うかー。
しかしこれ以上押しても結局埒があかず、失意の中帰宅。
一応パスポートは返してもらったけど、でもやっぱりトーゴに一旦帰ってまた来るとなると、改めて研修先と話してお休みもらわなきゃいけないし、それはスケジュール的にも空気的にも財政的にも無理があると思ったので、結局そのままガーナに月曜日までいて火曜日にトーゴに帰ることにしました。
っていうかそんな明確なルールがあるなら申請した時点で言えし!!! あの時はいかにも「君トーゴに住んでるのにわざわざビザのために来たのか~じゃあ早い方がいいよね、金曜日でも間に合うかい?」みたいな親切そうなこと言っといてさあ。なんだいなんだい。ここまで来たタクシー代返せー。悔しいので帰りは45分ぐらいかけて歩いて帰った。暑かったーちきしょう
これで月曜日も変な言い訳されてビザもらえなかったらわたし本気で激怒してやるんだから。
水曜日は日曜日のすっぽかさざるを得なくなってしまったアクティビティよりもっと大事な「世界子ども虐待防止デー」のイベントがあるから今度こそ絶対絶対火曜日にはトーゴに帰らなきゃいけないのにっ。
それにしても、もしわたしがトーゴの後にインドに行くって決めてなくて、決めてたとしてもトーゴにインド大使館があったとしたら、今回ガーナで得たさまざまな素晴らしい出会いやチャンスが全くなかったんだなあと思うと、偶然というか運命というか巡り合わせって、本当に不思議なものですねー。
Friday, November 14, 2008
折り返し地点
前の前のポストでトーゴでの近況を詳細に語ったのだけど、英語だしあんまり読まれていないような気が(勝手に)するので、Tさん家で日本語のパソコンを思う存分使わせていただける間に、改めてこれまでのトーゴでの生活について簡単に書いておこうと思います。
それにしてもここガーナに来て日本語や日本人が周囲にいっぱいある/いる環境に来て、今までトーゴでいかに自分が日本から遠ざかっていたかを実感する。。日本の情報といったら本当に、麻生さんのことと、詳細はなんかよくわかんないけど経済がやばいらしいことがニュースで流れていたのしか知らなかったもん。
--
さて。
10月半ばにインターン先の団体を変えました。最初の団体JADIとは結論から言って全然うまく行かなかった。今はCILSIDAっていう団体で研修続けています。期間としては、トーゴ滞在全168日のうち、前半82日間をJADIで過ごし、残りの86日をCILSIDAで過ごすことになります。だからちょうど半々ぐらい。
今までの活動拠点は基本的に4地点3団体。
JADI時代
①ロメのJADI:トーゴの首都ロメにあるJADIオフィス
②ドゥバのJADI:ロメから北に車で3時間ぐらい。JADIディレクター・ステファンの故郷の村ドゥバにあるJADIのもうひとつのオフィス
③ザンゲラのLe Responsable:ロメ中心部から北に車で20分ぐらい。ステファンがプレジデントを務めるNGOネットワークRAJESのメンバー団体。ステファンの気まぐれにより左遷された団体
CILSIDA時代
④アダマボのCILSIDA:ロメ中心部から東に車で15分ぐらい。今インターンしているところ
JADI時代は基本的に、①②③をひたすらたらい回しにされる日々でした。全然楽しくなかったけど、ものすごく勉強になったという意味で本当に貴重な体験をしました。
何が勉強になったのかといえばいろいろあるけど、、
・「トーゴの人々のために」みたいな純粋な気持ちは、踏みにじられいいように利用され貪り取られて終わるだけだということ
・トーゴの発展を阻むトーゴ人の性質がわかったこと
・ここでは人を信用するのにものすごくものすごくものすごく慎重にならなければいけないということ
・「アフリカは貧しい」という先入観(オリエンタリズム?)に、援助する側もされる側も(特にされる側のアフリカ人自身が)とらわれすぎているのかもしれないということ
が主なものかなー。そんなにしっかり整理されてるわけじゃないけど。
驚いたことに、折しも今日上のふたつと全く同じことをTさんもガーナについておっしゃっていて、たった3ヶ月半いただけのわたしだけど、Tさんのおっしゃることに実感を持って同意することができた。
で、こういうことを学んだ結果わたしがどう変わったかというと、悪く言えば根性汚くなった、よく言えば反抗する強さを持った、ってかんじだと思う。相手の言うことを簡単には信じなくなったし、相手の要求に対して面と向かってNO!と言うようになったし、変な言いがかりをつけられたら(←よくある)絶対黙ってないし、とにかく何に対しても厳然と立ち向かうようになったというか。
トーゴには理不尽なことが体質的にいっぱい存在していて、いっぱいあるせいかトーゴ人は自分に理不尽なことが降りかかって来てもそれを受け入れることが多い。誰がどう見てもおかしいことに対しても、あんまり立ち向かおうとしない。権威至上主義的な傾向のある社会で、立場上立ち向かいたくても立ち向かえないこともままある。だから理不尽がまかり通るし消えることなくどんどん増えていく。
でもわたしはそんなの、自分自身もものすごく悔しいし、何よりもトーゴのために絶対よくないと思う。誰かが行動を起こして立ち向かっていかないとトーゴはいつまでもこのままだもん。そして弱い立場にいる人ばっかりが禍を被ってそれに耐えていかなきゃいけなくなる。そんなの絶対よくない。だからわたしは理不尽なこととか権威を笠に着て勝手放題言ってくる人に対しては「そんなのが通用するなんてゆめゆめ思うなっ」というメッセージを込めて絶対うんと言わないし泣き寝入りしないようにしてる。それはたぶんYovo(現地語エウェ語で白人という意味)だからこそできることでもある。
・・とまあ、わたしのトーゴ前半戦をおおまとめに一言でいうと、本当に誰一人信じられる人がいなくて極度の人間不信に陥ったのと、そこでのstruggleってかんじだった気がします。
たまたまトーゴのネガティブな側面ばっかりに出合ってしまったからこういう風になったけど、だからって上にわたしが書いたことがトーゴのすべてだと思ったらそれは絶対間違いです。第一2ヶ月半なんかですべてなんてわかるはずないもの。トーゴにもいい人やいいNGOは(たぶん、いっぱい)あって、そういう環境の中で終始インターンをして自国に帰っていく研修生もいると思う。だけどわたしはそうじゃなくて、でも途中で団体を変えて、だからこそトーゴの組織や人のいいところも悪いところも体験できて、トーゴの構造的・体質的問題が見えてきた(気がする)のは本当に本当によかったと思う。
--
さて。
トーゴ前半戦の話はこれまでにして、後半について。
っていうのを前々回長く語ったのだけど、もう疲れちゃったから詳細はやっぱり英語で読んでもらうとして(ごめんよみんな)、とりあえず今は前半と180度変わってほんとに心から毎日楽しいってことと、今やってる仕事についてだけ簡単に書いておきます。
今やってる仕事は大きく分けて2つあって、
1. ザンゲラのLe Responsableの人たちとの仕事
2. アダマボのCILSIDAでの仕事
ザンゲラのは、(わたしがYDPやってましたと口を滑らせたばっかりにこんなことになってしまった残念な)「ユースと開発」についての会議。彼らは「平和」までテーマに入れたがったんだけど、YDPの団体名をそのままテーマにする意味もわからず、数時間の会議でそんなにテーマを広げても絶対失敗するだけだと思い、なんとか阻止。それ以上の制御ができなかったのはわたしのフラ語力不足による。無念。
企画し始めたのはザンゲラにいた時で、企画書書いたりだとか基本的な枠決めは全部ザンゲラ時代にやったんだけど、会議当日が12月のいつか(日程を決めようとさんざん言ってるのに決まらない。憤慨)ということでまだだらだらと尾をひいて残ってる仕事。
で、メインは今インターンしてるCILSIDAでの仕事。
この団体は本当に活発で予算もUNICEFとフランスのFondation de Franceというところからそれなりにもらっているので、アクティビティも仕事もいっぱいあって、「君○○担当ね」というかんじの役割はなくても毎日やることがいっぱいあります。
アクティビティとしては、
・コミュニティ内の若年結婚についての調査、調査後のターゲットのケア
・11月19日の世界児童虐待予防デー(で日本語訳合ってるのかな?)でのイベント
・おそらく12月1日の世界エイズデーでのイベント
・HIVポジティブのケア
など。
外に出かけるアクティビティのない日は、終わったイベントのレポート書いたり会計報告作ったり来るイベントの準備(手紙書いたりとか)したり。エクセル作業が結構多いのでエクセル上達したと思われる。あとはパソコンのいろんなテクを他のメンバーに教えることが多い。ここではPCのトレーニングはお金払って受けなきゃいけないから、わたしが彼らに教えるのはそれなりに価値があると思われる。わたしが去った後も活きるものだし。
今は基本的にディレクターのアントワンに言われたことをやることが多いし、それがいっぱいあるから毎日それなりに忙しく過ごしているのだけど、もっと積極的&自発的にできることを探そうと模索中。でももう、そんなに息せき切って「成果! 成果!」とかやらなくてもいいのかな、って気もしている。それが妥協から生まれた気持ちなら問題だけど。
--
最後に、ちょっと話が変わって、「国民性」なるものについて。
今日のポストの前半でさんざん「トーゴ人は」とか「トーゴは」とかって言ってたけど、ほんとは「○○人は」っていう語り方、あんまりいいとは思ってない。だって文化なんて絶対完全にはわかりえないのにそんな語り方をするのはとても傲慢だし、一般化したところで必ず例外の存在があって、ちゃんと厳密に言える語り方ではないから。
それでもやっぱり、「国民性」ってあると思う。それは、「●●人は□□な性格で」っていうものよりも、ある文化の中で暗黙の了解的に存在しているコミュニケーションのあり方、という意味で。
なんていうか、、こう来たらこう返す、みたいなものが言語によっても文化によってもある程度決まってるというのをすごい感じる。返すものは絶対これじゃなきゃいけないってものはないんだけど、反応選択の負荷のかかり方が文化や言語によってそれぞれ違うというか。
例えば日本人がアメリカ人の会話に乗り切れないのは、リスニング力やスピーキング力不足以外にもコミュニケーションの論理が違うせいもあるのではないかしら。
あー、また今回もうまく伝えられてないなーと後味の悪い思いを残しながら、でももう夜中の1時を過ぎたので諦めて寝ることにします。
絶対日本にいる時より言葉のアウトプットがへたくそになった。残念。いつもいつもわけのわからない文章を読んでくれてみんなほんとにありがとう。
ちなみにトーゴには土曜日に帰ります。日本語に囲まれた生活も残りわずかです。
それにしてもここガーナに来て日本語や日本人が周囲にいっぱいある/いる環境に来て、今までトーゴでいかに自分が日本から遠ざかっていたかを実感する。。日本の情報といったら本当に、麻生さんのことと、詳細はなんかよくわかんないけど経済がやばいらしいことがニュースで流れていたのしか知らなかったもん。
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さて。
10月半ばにインターン先の団体を変えました。最初の団体JADIとは結論から言って全然うまく行かなかった。今はCILSIDAっていう団体で研修続けています。期間としては、トーゴ滞在全168日のうち、前半82日間をJADIで過ごし、残りの86日をCILSIDAで過ごすことになります。だからちょうど半々ぐらい。
今までの活動拠点は基本的に4地点3団体。
JADI時代
①ロメのJADI:トーゴの首都ロメにあるJADIオフィス
②ドゥバのJADI:ロメから北に車で3時間ぐらい。JADIディレクター・ステファンの故郷の村ドゥバにあるJADIのもうひとつのオフィス
③ザンゲラのLe Responsable:ロメ中心部から北に車で20分ぐらい。ステファンがプレジデントを務めるNGOネットワークRAJESのメンバー団体。ステファンの気まぐれにより左遷された団体
CILSIDA時代
④アダマボのCILSIDA:ロメ中心部から東に車で15分ぐらい。今インターンしているところ
JADI時代は基本的に、①②③をひたすらたらい回しにされる日々でした。全然楽しくなかったけど、ものすごく勉強になったという意味で本当に貴重な体験をしました。
何が勉強になったのかといえばいろいろあるけど、、
・「トーゴの人々のために」みたいな純粋な気持ちは、踏みにじられいいように利用され貪り取られて終わるだけだということ
・トーゴの発展を阻むトーゴ人の性質がわかったこと
・ここでは人を信用するのにものすごくものすごくものすごく慎重にならなければいけないということ
・「アフリカは貧しい」という先入観(オリエンタリズム?)に、援助する側もされる側も(特にされる側のアフリカ人自身が)とらわれすぎているのかもしれないということ
が主なものかなー。そんなにしっかり整理されてるわけじゃないけど。
驚いたことに、折しも今日上のふたつと全く同じことをTさんもガーナについておっしゃっていて、たった3ヶ月半いただけのわたしだけど、Tさんのおっしゃることに実感を持って同意することができた。
で、こういうことを学んだ結果わたしがどう変わったかというと、悪く言えば根性汚くなった、よく言えば反抗する強さを持った、ってかんじだと思う。相手の言うことを簡単には信じなくなったし、相手の要求に対して面と向かってNO!と言うようになったし、変な言いがかりをつけられたら(←よくある)絶対黙ってないし、とにかく何に対しても厳然と立ち向かうようになったというか。
トーゴには理不尽なことが体質的にいっぱい存在していて、いっぱいあるせいかトーゴ人は自分に理不尽なことが降りかかって来てもそれを受け入れることが多い。誰がどう見てもおかしいことに対しても、あんまり立ち向かおうとしない。権威至上主義的な傾向のある社会で、立場上立ち向かいたくても立ち向かえないこともままある。だから理不尽がまかり通るし消えることなくどんどん増えていく。
でもわたしはそんなの、自分自身もものすごく悔しいし、何よりもトーゴのために絶対よくないと思う。誰かが行動を起こして立ち向かっていかないとトーゴはいつまでもこのままだもん。そして弱い立場にいる人ばっかりが禍を被ってそれに耐えていかなきゃいけなくなる。そんなの絶対よくない。だからわたしは理不尽なこととか権威を笠に着て勝手放題言ってくる人に対しては「そんなのが通用するなんてゆめゆめ思うなっ」というメッセージを込めて絶対うんと言わないし泣き寝入りしないようにしてる。それはたぶんYovo(現地語エウェ語で白人という意味)だからこそできることでもある。
・・とまあ、わたしのトーゴ前半戦をおおまとめに一言でいうと、本当に誰一人信じられる人がいなくて極度の人間不信に陥ったのと、そこでのstruggleってかんじだった気がします。
たまたまトーゴのネガティブな側面ばっかりに出合ってしまったからこういう風になったけど、だからって上にわたしが書いたことがトーゴのすべてだと思ったらそれは絶対間違いです。第一2ヶ月半なんかですべてなんてわかるはずないもの。トーゴにもいい人やいいNGOは(たぶん、いっぱい)あって、そういう環境の中で終始インターンをして自国に帰っていく研修生もいると思う。だけどわたしはそうじゃなくて、でも途中で団体を変えて、だからこそトーゴの組織や人のいいところも悪いところも体験できて、トーゴの構造的・体質的問題が見えてきた(気がする)のは本当に本当によかったと思う。
--
さて。
トーゴ前半戦の話はこれまでにして、後半について。
っていうのを前々回長く語ったのだけど、もう疲れちゃったから詳細はやっぱり英語で読んでもらうとして(ごめんよみんな)、とりあえず今は前半と180度変わってほんとに心から毎日楽しいってことと、今やってる仕事についてだけ簡単に書いておきます。
今やってる仕事は大きく分けて2つあって、
1. ザンゲラのLe Responsableの人たちとの仕事
2. アダマボのCILSIDAでの仕事
ザンゲラのは、(わたしがYDPやってましたと口を滑らせたばっかりにこんなことになってしまった残念な)「ユースと開発」についての会議。彼らは「平和」までテーマに入れたがったんだけど、YDPの団体名をそのままテーマにする意味もわからず、数時間の会議でそんなにテーマを広げても絶対失敗するだけだと思い、なんとか阻止。それ以上の制御ができなかったのはわたしのフラ語力不足による。無念。
企画し始めたのはザンゲラにいた時で、企画書書いたりだとか基本的な枠決めは全部ザンゲラ時代にやったんだけど、会議当日が12月のいつか(日程を決めようとさんざん言ってるのに決まらない。憤慨)ということでまだだらだらと尾をひいて残ってる仕事。
で、メインは今インターンしてるCILSIDAでの仕事。
この団体は本当に活発で予算もUNICEFとフランスのFondation de Franceというところからそれなりにもらっているので、アクティビティも仕事もいっぱいあって、「君○○担当ね」というかんじの役割はなくても毎日やることがいっぱいあります。
アクティビティとしては、
・コミュニティ内の若年結婚についての調査、調査後のターゲットのケア
・11月19日の世界児童虐待予防デー(で日本語訳合ってるのかな?)でのイベント
・おそらく12月1日の世界エイズデーでのイベント
・HIVポジティブのケア
など。
外に出かけるアクティビティのない日は、終わったイベントのレポート書いたり会計報告作ったり来るイベントの準備(手紙書いたりとか)したり。エクセル作業が結構多いのでエクセル上達したと思われる。あとはパソコンのいろんなテクを他のメンバーに教えることが多い。ここではPCのトレーニングはお金払って受けなきゃいけないから、わたしが彼らに教えるのはそれなりに価値があると思われる。わたしが去った後も活きるものだし。
今は基本的にディレクターのアントワンに言われたことをやることが多いし、それがいっぱいあるから毎日それなりに忙しく過ごしているのだけど、もっと積極的&自発的にできることを探そうと模索中。でももう、そんなに息せき切って「成果! 成果!」とかやらなくてもいいのかな、って気もしている。それが妥協から生まれた気持ちなら問題だけど。
--
最後に、ちょっと話が変わって、「国民性」なるものについて。
今日のポストの前半でさんざん「トーゴ人は」とか「トーゴは」とかって言ってたけど、ほんとは「○○人は」っていう語り方、あんまりいいとは思ってない。だって文化なんて絶対完全にはわかりえないのにそんな語り方をするのはとても傲慢だし、一般化したところで必ず例外の存在があって、ちゃんと厳密に言える語り方ではないから。
それでもやっぱり、「国民性」ってあると思う。それは、「●●人は□□な性格で」っていうものよりも、ある文化の中で暗黙の了解的に存在しているコミュニケーションのあり方、という意味で。
なんていうか、、こう来たらこう返す、みたいなものが言語によっても文化によってもある程度決まってるというのをすごい感じる。返すものは絶対これじゃなきゃいけないってものはないんだけど、反応選択の負荷のかかり方が文化や言語によってそれぞれ違うというか。
例えば日本人がアメリカ人の会話に乗り切れないのは、リスニング力やスピーキング力不足以外にもコミュニケーションの論理が違うせいもあるのではないかしら。
あー、また今回もうまく伝えられてないなーと後味の悪い思いを残しながら、でももう夜中の1時を過ぎたので諦めて寝ることにします。
絶対日本にいる時より言葉のアウトプットがへたくそになった。残念。いつもいつもわけのわからない文章を読んでくれてみんなほんとにありがとう。
ちなみにトーゴには土曜日に帰ります。日本語に囲まれた生活も残りわずかです。
Tuesday, November 11, 2008
ガーナ便り
「インドビザを取る」という名目と、「ガーナにあるという日蓮正宗のお寺を見てみたい!」、そして「そのお寺の日本人のご住職さんと話がしたい!!(トーゴには日本人全然いないし)」という目的で、土曜日からトーゴの隣国ガーナの首都アクラに来ています。アクラはトーゴ入りの経由地だったから前にも一晩だけいたことがあるけど、その時は全然何も見ずにトーゴに抜けたから実質今回が初めてのアクラ。
なんだか予想以上に素晴らしいステイになっていて涙が出るくらい感動してます。
感動の目次。
①アクラの都会ぶり
②日蓮正宗の発展ぶり
③ご住職さんとの出会い
④Tさんとの出会い
①アクラの都会ぶり
トーゴ人はよくわたしに「イギリス領だったガーナとかナイジェリアは発展してるけどフランスの統治は最悪でさ~ここトーゴもこのありさまだよ」的なことを語ってくるので、ガーナは発展しているという期待をはなから持って訪れたのですが、アクラはその期待をさえ遥かに凌駕するような発展ぶりをわたしに見せつけてきました。
・ショッピングモールがある!
・道路がきれい! 中央線もある! 車線が複数ある! 標識もある!
・走ってる車が新しい!
・橋が壊れかけてない!
・家々の屋根がトタン板じゃない! (←これにいちばん驚いた)
わたしが住むトーゴの首都ロメとたった3時間ぐらいしか離れてないのに、こんなにも違うのかと本当にびっくり。そしてトーゴのなにもなさぶりを改めて痛感。トーゴってほんとにお金ないんだな~と、不憫になるほどの格差だった。ガーナのことは全然わからないから何とも言えませんが、実際の貧困層の生活状況とかはガーナもトーゴもそれほど変わらないのかもしれないけど、でも同じ首都としての街の発展レベルのあまりの違いは本当に衝撃的だった。
でももっと衝撃的だったのは、聞く話によればほんの3-4年前はアクラよりロメの方が全然都会だったってこと。今のアクラとロメだけを見てたら絶対に絶対にそんなこと信じられない。アクラの変化のスピードには目覚ましいものがあるみたい。わお。ショッピングモール周辺(アクラの中でもいちばん新しくて都会的な地区らしい)ではアメリカの田舎のちょっと大きな街をドライブしてるかのような錯覚に陥るほどで、ひたすら "This is NOT Africa." という思いがよぎる。でもこういう本質主義的なイメージで語るのはあんまりよくありませんね。こうして欧米化され「開発」されていく姿も今のアフリカの素顔のひとつには違いないもんね。
②日蓮正宗の発展ぶり
そもそも日蓮正宗のお寺を知ったのは、トーゴで本当に偶然というか運命というか的な一信者さん(もちろんトーゴ人)との出会いから。私が日本人というところから始まって、「日本人か~じゃNichirenshuって知ってる?」という突飛な質問をされ、「アクラにお寺があるんだよ~あ、そういえば今度そこのお寺のご住職さんがトーゴに来るよ、もしよかったら君も見に来る?」という話になって、9月の半ばごろ見に行ったのがご住職さんとの最初の出会い。その時の「よかったらアクラのお寺に来てくださいね」というお言葉に甘えて今回ほんとにお寺を訪ねちゃったのでした。
最初にトーゴに仏教があるって聞いたときは、正直なところ、どんな変なマニアック少数派集団がこんなところで仏教なんて信じてるんだろう、と思いましたが、実は歴史はわりと古くてガーナに初めて日本人のお坊さんが訪れたのが1974年らしい。そして信者数も今、西アフリカだけで(たしか)2500人とかいるみたい。アクラのお寺はアフリカで唯一のお寺で、信者さんたちの力だけで(日本の総本山とかからの資金援助は全くなく)建てて運営しているお寺らしいのだけど、ものすごく立派!!! アフリカで見た宗教施設の中でいちばん立派なのは間違いない(※エジプトの遺跡を除く)。信者さんたちも社会の上層部に位置する人たちが多いみたいで、とにかく豪華で立派でした。この、宗教にはお金が集まるっていうの、不思議だよね。なんというか、精神世界の功徳のためにモノを積み上げていくかんじ、ちょっとねじれがあるようなないような。でもそういう批判こそお金というものに目を眩まされている証拠のようなそうじゃないような。
あと、ここの信者さんたちは普通のトーゴ人・ガーナ人とは違う。ここには純粋な善意というものが存在する気がする。それから礼儀正しさが日本ぽい。お辞儀したりとか。
③ご住職さんとの出会い
先にも書いた通りご住職さんとお会いするのは彼がトーゴにいらした時に引き続き今回で2回目なのですが、ちゃんとお話しするのは今回が初めてに等しいかんじでした。さらに彼はわたしはアフリカに来て出会った初めての日本人でもあります。トーゴに日本人がいないっていうのは結構イタイ。。海外での同郷者ネットワークってかなり重要な気がします。
今回のアクラ行きは前々からトーゴの信者さんに伝えてあったのでわたしはてっきり彼がご住職さんに知らせてくれていたと思っていたのですが、そこはさすがトーゴ人、そんな事前段取りなんてものはなく、不本意ながら全く突然の押しかけ訪問になってしまったにも関わらず、ご住職さんは泊まるところや食事などなど何から何まで本当にご親切にお世話してくれました。恐縮しまくりのわたしに「お寺は困っている人のためにあるものだから」とのお言葉が印象的でした。
それからお寺の敷地内にあるご住職さんご一家のお宅にもお邪魔させていただいたのだけど、これは本当の意味で "This is not Africa." でした。家の造りも、家に置いてあるものも、まるで日本。奥様手作りのハヤシライスをごちそうになり(5月のパリで食べたなんちゃってお寿司以来の日本食!!!涙)、『座頭市』と黒澤明監督の『影武者』(すごくいい映画です、これ)を鑑賞。『ウォーターボーイズ』とかをお勧めされる中この2本を選んだのに特に深い意味はなかったのですが、「やっぱり東大生はチョイスがちょっと変だね~」みたいな評価になってしまった。。わたしの普段の日本での環境って、東大だからというだけではすごくもなんともなくて、その人自身で評価されるみたいな雰囲気がそれなりにあってそれが当たり前だったから、こういう東大信仰がまだ健在なのを見るのはちょっと新鮮でおもしろかった。
ご住職さんのお宅にお邪魔していちばん思ったのは、単純に「アフリカにいてもアフリカらしくない生活ってできるもんなんだな~」ということ。わたしが海外に行くときって大抵いつも異文化体験が主目的のひとつだから、いかに現地の人に近い生活をするかっていうのが重要なテーマなんだけど、別にそうじゃない海外滞在の仕方だってあるんだよね、という、当たり前なんだけどすっかり忘れかけていたことを思い出した。
閑話休題。他にも本当にもうご住職さんには筆舌に尽くしがたいほどよくしていただいて、こういう下心(性的な意味だけじゃなく)のない善意に触れるのがかなり久しぶりだったこともあって、ものすごく心にぐっと来る滞在でした(後ほど詳述)。
④Tさんとの出会い
そんなわけで土曜・日曜とお寺の近くに滞在して、今日からはご住職さんの紹介でTさんという方のところにお邪魔しています。Tさんは60代の男性で、紆余曲折を経て18年前からガーナに住み、今はここで旅行会社とNGOをなさっている方。すごくフレンドリーで親切で、60代とは思えないほど心がとっても若々しい。
お家には信じられないほどの日本食があって「何でも食え食え」と言ってくださったので、食物貯蔵庫を物色した結果、やっぱり白いあつあつのごはん(日本米。←超重要)とあつあつのお味噌汁という結論にたどり着きました。それから、じゃこ、たくあん、ふりかけ、自家製キャベツの酢漬けもいただいて、本当に涙が出るほどおいしかった。
夕方からひたすらTさんの人生のお話を聞いたりわたしの話もしたりして、最終的に「今日は君に会えて本当によかった。今日から君はガーナに親戚がいるから。いつでも来い、俺はここにいるから。頑張ろうな」と言ってくださって、その発言の文脈的に2人とも感極まって、握手しながら2人して泣いてしまった。そんな自分に驚きつつ、でもとにかく心が激しく震えていて、すごく不思議な時間だった。
今回のお二方との出会いを通して改めて思ったのは、やっぱりわたしを前進させていく原動力って「恩返し」なのかな、ということ。
今までの人生で本当にいろんな人が、いろんなタイミングで、いろんな形でわたしに「投資」をしてくれて、そのおかげでわたしはたくさんの素晴らしい機会――それは時に誰にでも与えられるようなものではなくて――を得ることができて、ここまでの道を歩んでくることができた。わたしはたぶんとても多くのものを与えられている人間で、その与えられたものの大きさに見合った価値を発揮していく義務がある。だから、彼らの投資(≒恩)に報いていくために、与えられたひとつひとつの機会を最大限にappreciateして、そこから最大限に学んで、少しでもいい人間になれるように日々努力して、そうやって得られたものをわたしという人間が出せる価値として社会に還元していくことが、わたしという人間の存在意義なのではないかと思う。そういう形でしか、これまでの数えきれないほどの恩に対して本当の意味で感謝する方法はないと思う。あるいは、わたしという人間はわたしひとりの命ではなくて、わたしが今まで関わった人々がわたしという人間を作り上げていて、だから、自分ひとりのためにというよりはむしろわたしの中に生きる彼らのために、わたしは生きていく義務がある。
なんだか予想以上に素晴らしいステイになっていて涙が出るくらい感動してます。
感動の目次。
①アクラの都会ぶり
②日蓮正宗の発展ぶり
③ご住職さんとの出会い
④Tさんとの出会い
①アクラの都会ぶり
トーゴ人はよくわたしに「イギリス領だったガーナとかナイジェリアは発展してるけどフランスの統治は最悪でさ~ここトーゴもこのありさまだよ」的なことを語ってくるので、ガーナは発展しているという期待をはなから持って訪れたのですが、アクラはその期待をさえ遥かに凌駕するような発展ぶりをわたしに見せつけてきました。
・ショッピングモールがある!
・道路がきれい! 中央線もある! 車線が複数ある! 標識もある!
・走ってる車が新しい!
・橋が壊れかけてない!
・家々の屋根がトタン板じゃない! (←これにいちばん驚いた)
わたしが住むトーゴの首都ロメとたった3時間ぐらいしか離れてないのに、こんなにも違うのかと本当にびっくり。そしてトーゴのなにもなさぶりを改めて痛感。トーゴってほんとにお金ないんだな~と、不憫になるほどの格差だった。ガーナのことは全然わからないから何とも言えませんが、実際の貧困層の生活状況とかはガーナもトーゴもそれほど変わらないのかもしれないけど、でも同じ首都としての街の発展レベルのあまりの違いは本当に衝撃的だった。
でももっと衝撃的だったのは、聞く話によればほんの3-4年前はアクラよりロメの方が全然都会だったってこと。今のアクラとロメだけを見てたら絶対に絶対にそんなこと信じられない。アクラの変化のスピードには目覚ましいものがあるみたい。わお。ショッピングモール周辺(アクラの中でもいちばん新しくて都会的な地区らしい)ではアメリカの田舎のちょっと大きな街をドライブしてるかのような錯覚に陥るほどで、ひたすら "This is NOT Africa." という思いがよぎる。でもこういう本質主義的なイメージで語るのはあんまりよくありませんね。こうして欧米化され「開発」されていく姿も今のアフリカの素顔のひとつには違いないもんね。
②日蓮正宗の発展ぶり
そもそも日蓮正宗のお寺を知ったのは、トーゴで本当に偶然というか運命というか的な一信者さん(もちろんトーゴ人)との出会いから。私が日本人というところから始まって、「日本人か~じゃNichirenshuって知ってる?」という突飛な質問をされ、「アクラにお寺があるんだよ~あ、そういえば今度そこのお寺のご住職さんがトーゴに来るよ、もしよかったら君も見に来る?」という話になって、9月の半ばごろ見に行ったのがご住職さんとの最初の出会い。その時の「よかったらアクラのお寺に来てくださいね」というお言葉に甘えて今回ほんとにお寺を訪ねちゃったのでした。
最初にトーゴに仏教があるって聞いたときは、正直なところ、どんな変なマニアック少数派集団がこんなところで仏教なんて信じてるんだろう、と思いましたが、実は歴史はわりと古くてガーナに初めて日本人のお坊さんが訪れたのが1974年らしい。そして信者数も今、西アフリカだけで(たしか)2500人とかいるみたい。アクラのお寺はアフリカで唯一のお寺で、信者さんたちの力だけで(日本の総本山とかからの資金援助は全くなく)建てて運営しているお寺らしいのだけど、ものすごく立派!!! アフリカで見た宗教施設の中でいちばん立派なのは間違いない(※エジプトの遺跡を除く)。信者さんたちも社会の上層部に位置する人たちが多いみたいで、とにかく豪華で立派でした。この、宗教にはお金が集まるっていうの、不思議だよね。なんというか、精神世界の功徳のためにモノを積み上げていくかんじ、ちょっとねじれがあるようなないような。でもそういう批判こそお金というものに目を眩まされている証拠のようなそうじゃないような。
あと、ここの信者さんたちは普通のトーゴ人・ガーナ人とは違う。ここには純粋な善意というものが存在する気がする。それから礼儀正しさが日本ぽい。お辞儀したりとか。
③ご住職さんとの出会い
先にも書いた通りご住職さんとお会いするのは彼がトーゴにいらした時に引き続き今回で2回目なのですが、ちゃんとお話しするのは今回が初めてに等しいかんじでした。さらに彼はわたしはアフリカに来て出会った初めての日本人でもあります。トーゴに日本人がいないっていうのは結構イタイ。。海外での同郷者ネットワークってかなり重要な気がします。
今回のアクラ行きは前々からトーゴの信者さんに伝えてあったのでわたしはてっきり彼がご住職さんに知らせてくれていたと思っていたのですが、そこはさすがトーゴ人、そんな事前段取りなんてものはなく、不本意ながら全く突然の押しかけ訪問になってしまったにも関わらず、ご住職さんは泊まるところや食事などなど何から何まで本当にご親切にお世話してくれました。恐縮しまくりのわたしに「お寺は困っている人のためにあるものだから」とのお言葉が印象的でした。
それからお寺の敷地内にあるご住職さんご一家のお宅にもお邪魔させていただいたのだけど、これは本当の意味で "This is not Africa." でした。家の造りも、家に置いてあるものも、まるで日本。奥様手作りのハヤシライスをごちそうになり(5月のパリで食べたなんちゃってお寿司以来の日本食!!!涙)、『座頭市』と黒澤明監督の『影武者』(すごくいい映画です、これ)を鑑賞。『ウォーターボーイズ』とかをお勧めされる中この2本を選んだのに特に深い意味はなかったのですが、「やっぱり東大生はチョイスがちょっと変だね~」みたいな評価になってしまった。。わたしの普段の日本での環境って、東大だからというだけではすごくもなんともなくて、その人自身で評価されるみたいな雰囲気がそれなりにあってそれが当たり前だったから、こういう東大信仰がまだ健在なのを見るのはちょっと新鮮でおもしろかった。
ご住職さんのお宅にお邪魔していちばん思ったのは、単純に「アフリカにいてもアフリカらしくない生活ってできるもんなんだな~」ということ。わたしが海外に行くときって大抵いつも異文化体験が主目的のひとつだから、いかに現地の人に近い生活をするかっていうのが重要なテーマなんだけど、別にそうじゃない海外滞在の仕方だってあるんだよね、という、当たり前なんだけどすっかり忘れかけていたことを思い出した。
閑話休題。他にも本当にもうご住職さんには筆舌に尽くしがたいほどよくしていただいて、こういう下心(性的な意味だけじゃなく)のない善意に触れるのがかなり久しぶりだったこともあって、ものすごく心にぐっと来る滞在でした(後ほど詳述)。
④Tさんとの出会い
そんなわけで土曜・日曜とお寺の近くに滞在して、今日からはご住職さんの紹介でTさんという方のところにお邪魔しています。Tさんは60代の男性で、紆余曲折を経て18年前からガーナに住み、今はここで旅行会社とNGOをなさっている方。すごくフレンドリーで親切で、60代とは思えないほど心がとっても若々しい。
お家には信じられないほどの日本食があって「何でも食え食え」と言ってくださったので、食物貯蔵庫を物色した結果、やっぱり白いあつあつのごはん(日本米。←超重要)とあつあつのお味噌汁という結論にたどり着きました。それから、じゃこ、たくあん、ふりかけ、自家製キャベツの酢漬けもいただいて、本当に涙が出るほどおいしかった。
夕方からひたすらTさんの人生のお話を聞いたりわたしの話もしたりして、最終的に「今日は君に会えて本当によかった。今日から君はガーナに親戚がいるから。いつでも来い、俺はここにいるから。頑張ろうな」と言ってくださって、その発言の文脈的に2人とも感極まって、握手しながら2人して泣いてしまった。そんな自分に驚きつつ、でもとにかく心が激しく震えていて、すごく不思議な時間だった。
今回のお二方との出会いを通して改めて思ったのは、やっぱりわたしを前進させていく原動力って「恩返し」なのかな、ということ。
今までの人生で本当にいろんな人が、いろんなタイミングで、いろんな形でわたしに「投資」をしてくれて、そのおかげでわたしはたくさんの素晴らしい機会――それは時に誰にでも与えられるようなものではなくて――を得ることができて、ここまでの道を歩んでくることができた。わたしはたぶんとても多くのものを与えられている人間で、その与えられたものの大きさに見合った価値を発揮していく義務がある。だから、彼らの投資(≒恩)に報いていくために、与えられたひとつひとつの機会を最大限にappreciateして、そこから最大限に学んで、少しでもいい人間になれるように日々努力して、そうやって得られたものをわたしという人間が出せる価値として社会に還元していくことが、わたしという人間の存在意義なのではないかと思う。そういう形でしか、これまでの数えきれないほどの恩に対して本当の意味で感謝する方法はないと思う。あるいは、わたしという人間はわたしひとりの命ではなくて、わたしが今まで関わった人々がわたしという人間を作り上げていて、だから、自分ひとりのためにというよりはむしろわたしの中に生きる彼らのために、わたしは生きていく義務がある。
Wednesday, November 05, 2008
brand new life
After the previous post telling that I had got malaria I have received so many phone calls and messages from Japan asking how I was doing I almost regretted having written that and having made people worried so much. Thank you very much for caring, people! But as I wrote I have completely recovered and am now having a really great time.
Malaria may sound really horrible and scary when you are in Japan but here it’s everywhere and almost everybody gets it once in a while and because of that they know what to do with it when you get it so it’s not really as terrible as it may sound. But of course it is so only if you are not too young or too old to fight the disease and if you have enough money to pay for the medicines. The problem here doesn’t seem to be malaria itself but the poverty that disables the proper treatments. No wonder it’s called the “disease of poverty.”
And that’s not the only reason that I wrote “really great time.” That is to say, I finally, finally got to switch organizations I work for. I cancelled the contract with JADI and started to work for another NGO called CILSIDA (Club Initié pour la Lutte contre le SIDA) from October 15th. There are many stories about how I came to think I had to end my internship at JADI, most of which are so complicated that it would be pages if I started to try to explain. So for now, let me say simply that it was because of tons of miscommunication. I had been working for this cancellation of the contract for more than a month but everything goes incredibly slow with them here and you have to be happy if the person replies to your messages after telling them the same thing for 4 times and before you are finally fed up with it and forced to pretend to be very, very angry with them. So it was a little frustrating moment there but now it’s all over and like I said in the beginning I am so happy being here. My life changed completely. For the first time in my stay in Togo I felt that I actually am enjoying my life here and that I am starting to like Togo. But of course that doesn’t mean that I wasted the first half of my internship. You always learn a lot from difficulties and hardships and it certainly was a good learning experience for me. What I think was really good above all is that I’ve come to get a notion of structural obstacles for development in Togo.
Now let me write a little about my life here.
Where I live and also where my new organization CILSIDA is located is called Adamavo. It’s about 15-20 minutes by car (I don’t know for sure but I think it’s about the same distance as Shibuya – Yoyogi) to the east of Lomé (just in case you don’t know Lomé is the capital of Togo) and just about 5-10 minutes walk to the beach. The sunset here is amazing.
I live with the family of a member of CILSIDA, Nadia. They are as amazing as the sunset of Adamavo. They are cheerful, warm and welcoming and it’s so comfortable and a lot of fun living with them. I am so happy to have finally got someone that I can actually call family here. There are Papa, Maman and Nadia in the family and also other 2 girls from outside the family live in the house and help the housework. 4-year-old Gloria, the daughter of the older brother of Nadia, comes visit pretty often, too. She’s such an adorable little girl.
On weekdays I usually wake up around 6:30, take a shower (but there is no “shower,” of course, it’s just the cool fresh water from the well in a bucket so it feels more right to say “me laver” in the French expression) and have breakfast. As Nadia goes to university, another member Ornella comes at around 7:45 and we walk to the office together. We open the office at 8, clean the floor, turn on the computer and TV and start working. The director Antoine lives beside the office but he usually teaches in “collège” (middle school) in the morning so it’s not all the time that he’s around. He and other members come in and out throughout the day to work, chat or sometimes just to sit and watch TV. When there is no special activity out Ornella and I stay in the office all day. We close the office around 6 or 7 pm depending on the progress of our work and then together walk back home. At home Maman usually is waiting for me and they serve me a good amount of very good food. She’s such a good cook and I’m sure I’ve gained weight since I came to this family. The problem is that almost all food here has so much sugar and/or so much oil in it, and what’s worse, I love the food here. An intern from the Netherlands said people use lots of sugar and oil because they are easy sources of energy here where food is not abundant, and it may be true, but I’ve also seen so many people overweight and that means having way more than enough calories. So after this a little scary (imagine I continue eating like this until the end of my stay here… ahhh) but really delicious dinner, I go to bed around 10 or 11 pm.
Weekend activities are more random. I sometimes wash my clothes, sometimes go to Lomé to buy something or send mail, sometimes go see a friend and other times just sleep in and rest at home. Last 2 Sundays we went swimming in the swimming pool nearby and I loved it – except that a “yovo” (it means “white” in the local language, Ewe) guy talked to me and kept annoying me the whole time. Most of the time being a yovo woman here brings me lots of privileges (often more than wanted or needed) but sometimes it’s also tiring and a little troublesome like this. It’s again the story inevitable for an outsider, someone different who is from outside not only the physical borders, but also the ones that are invisible and often unconscious.
CILSIDA is an organization that was created in 2003 by 10 founding members and that has now 30 members in total, around 10 of which are active. The name of the organization means “club initiated for the fight against AIDS”, but the areas they work in are more than just HIV/AIDS and what they do is rather like improvement of the living environment and situation of people in the community.
Right now we are doing a very interesting project with the financial aid from “Frondation de France”. In the week that I arrived here they had 5 days of training to the group of young women on communication techniques and health issues mainly that of HIV/AIDS. The training itself was pretty interesting also, but what I was really excited to do was what followed in the next week. We took off with these women to visit from home to home to do the “sondage” (poll, in English, according to my little dictionary) on young marriage. We visited every single house in the area and asked if there was any young girl under the age of 19 who was married, pregnant and/or with children, and if there was any, we continued to ask about their lives and needs. We did it in total of 4 days. It was extremely tiring and not easy at all walking hours and hours in the very hot African sun, and I have found some things that could be improved to have better results, but having all that it was still exceptionally interesting and lot of fun visiting people in the community and seeing their houses and their ways of living. And it was such a pity that I didn’t understand Ewe (the local language in the southern Togo), because the interviews were done in Ewe and also I have found plenty of people who don’t understand French at all (which means they don’t or didn’t go to school). If you just stay in the office and work with the members of the organization French is enough to do, but if you want to reach out to the population outside the office you need to understand their own language. And CILSIDA has strong connections with the community and that’s what I really like about this organization, so it’s all the more regrettable that I don’t understand Ewe. Of course I’ve been trying to learn it and now I can say greetings and some simple things, but to actually have a conversation my Ewe is nothing at all. I think there exists a special difficulty in learning their local language. In general if you want to learn a language you need to know the system (c’est à dire the grammar, more or less) of the language, and if it was French or Arabic or any other language it would be so easy to get this information. You can just go to a bookstore to buy some textbooks or go to Nova or something. But in the case of Ewe (and I think also for almost all other indigenous languages) it’s very difficult, if not possible, to find someone or something that would explain you systematically about the language. On the other hand it’s also interesting to find it out on your own because it’s a little like a puzzle, but it takes so much more time than the normal process of language learning because I think it’s similar to how infants learn their native tongue.
Ok, back to the sondage. I think this kind of activity is of a great significance, because it collects facts, and especially because I’ve found that thinking and talking of people here are rarely based on the facts. Now we’ve finished counting the numbers of young girls according to their status. In total we’ve found 320 girls who are either married, pregnant or with children. What we’re going do next is to come up with another project to help some of those girls who are really in need (that is to say, not all of them are in need and there are also young girls who are married, pregnant or with children and are well taken care of by their parents or husband), and also find the financial means for the project. We had a meeting on that on Sunday evening and being there watching the way things went I almost cried because again I could feel for sure that I finally found an organization where dictatorship and politics don’t exist and where the members share the information, exchange their opinions, have their own roles and responsibilities and work together to help people (and not to make money for themselves by pretending that they are serving the population).
There are also other things going on. For example for the World Day Prevention Child Abuse (Jounée Mondiale prévention des abus envers les enfants) on November 19th we are making short plays with young girls (probably at the ages of around 12-13) with the massage that children also have their rights. When we first started it it was unbelievably chaotic and I was kind of shocked at their understanding and learning capacities but after a few practices it’s getting better little by little and I think it’ll be all right by the 19th.
Even when there are no specific activities or meetings, Antoine leaves some tasks to Ornella and me. So the good thing is that I keep myself busy all the time. This is the biggest change from when I was at JADI and the organizations that I was sent to by the director of JADI, and it’s really great. But the other side of this is that I haven’t really had time yet to come up with something on my own. That might not be of great necessity or expectation, but what I’m doing now is to do what I was told to do and although there are lots of things I learn from it (for example doing paper works has helped me a lot to know what was and is going on here and how things work in this domain, and my skills of using Excel definitely improved) and things that I contribute to the organization (for example I taught techniques of Microsoft Office to Ornella that can make her work faster), I also have a feeling that I could do more than that and that’s probably what I’m here for. But I already have talked about it with the members so we’ll see how it goes.
Whew, I don’t know how many of you read this to the end, but to those who did, thanks for spending your time for that! A bientôt
Malaria may sound really horrible and scary when you are in Japan but here it’s everywhere and almost everybody gets it once in a while and because of that they know what to do with it when you get it so it’s not really as terrible as it may sound. But of course it is so only if you are not too young or too old to fight the disease and if you have enough money to pay for the medicines. The problem here doesn’t seem to be malaria itself but the poverty that disables the proper treatments. No wonder it’s called the “disease of poverty.”
And that’s not the only reason that I wrote “really great time.” That is to say, I finally, finally got to switch organizations I work for. I cancelled the contract with JADI and started to work for another NGO called CILSIDA (Club Initié pour la Lutte contre le SIDA) from October 15th. There are many stories about how I came to think I had to end my internship at JADI, most of which are so complicated that it would be pages if I started to try to explain. So for now, let me say simply that it was because of tons of miscommunication. I had been working for this cancellation of the contract for more than a month but everything goes incredibly slow with them here and you have to be happy if the person replies to your messages after telling them the same thing for 4 times and before you are finally fed up with it and forced to pretend to be very, very angry with them. So it was a little frustrating moment there but now it’s all over and like I said in the beginning I am so happy being here. My life changed completely. For the first time in my stay in Togo I felt that I actually am enjoying my life here and that I am starting to like Togo. But of course that doesn’t mean that I wasted the first half of my internship. You always learn a lot from difficulties and hardships and it certainly was a good learning experience for me. What I think was really good above all is that I’ve come to get a notion of structural obstacles for development in Togo.
Now let me write a little about my life here.
Where I live and also where my new organization CILSIDA is located is called Adamavo. It’s about 15-20 minutes by car (I don’t know for sure but I think it’s about the same distance as Shibuya – Yoyogi) to the east of Lomé (just in case you don’t know Lomé is the capital of Togo) and just about 5-10 minutes walk to the beach. The sunset here is amazing.
I live with the family of a member of CILSIDA, Nadia. They are as amazing as the sunset of Adamavo. They are cheerful, warm and welcoming and it’s so comfortable and a lot of fun living with them. I am so happy to have finally got someone that I can actually call family here. There are Papa, Maman and Nadia in the family and also other 2 girls from outside the family live in the house and help the housework. 4-year-old Gloria, the daughter of the older brother of Nadia, comes visit pretty often, too. She’s such an adorable little girl.
On weekdays I usually wake up around 6:30, take a shower (but there is no “shower,” of course, it’s just the cool fresh water from the well in a bucket so it feels more right to say “me laver” in the French expression) and have breakfast. As Nadia goes to university, another member Ornella comes at around 7:45 and we walk to the office together. We open the office at 8, clean the floor, turn on the computer and TV and start working. The director Antoine lives beside the office but he usually teaches in “collège” (middle school) in the morning so it’s not all the time that he’s around. He and other members come in and out throughout the day to work, chat or sometimes just to sit and watch TV. When there is no special activity out Ornella and I stay in the office all day. We close the office around 6 or 7 pm depending on the progress of our work and then together walk back home. At home Maman usually is waiting for me and they serve me a good amount of very good food. She’s such a good cook and I’m sure I’ve gained weight since I came to this family. The problem is that almost all food here has so much sugar and/or so much oil in it, and what’s worse, I love the food here. An intern from the Netherlands said people use lots of sugar and oil because they are easy sources of energy here where food is not abundant, and it may be true, but I’ve also seen so many people overweight and that means having way more than enough calories. So after this a little scary (imagine I continue eating like this until the end of my stay here… ahhh) but really delicious dinner, I go to bed around 10 or 11 pm.
Weekend activities are more random. I sometimes wash my clothes, sometimes go to Lomé to buy something or send mail, sometimes go see a friend and other times just sleep in and rest at home. Last 2 Sundays we went swimming in the swimming pool nearby and I loved it – except that a “yovo” (it means “white” in the local language, Ewe) guy talked to me and kept annoying me the whole time. Most of the time being a yovo woman here brings me lots of privileges (often more than wanted or needed) but sometimes it’s also tiring and a little troublesome like this. It’s again the story inevitable for an outsider, someone different who is from outside not only the physical borders, but also the ones that are invisible and often unconscious.
CILSIDA is an organization that was created in 2003 by 10 founding members and that has now 30 members in total, around 10 of which are active. The name of the organization means “club initiated for the fight against AIDS”, but the areas they work in are more than just HIV/AIDS and what they do is rather like improvement of the living environment and situation of people in the community.
Right now we are doing a very interesting project with the financial aid from “Frondation de France”. In the week that I arrived here they had 5 days of training to the group of young women on communication techniques and health issues mainly that of HIV/AIDS. The training itself was pretty interesting also, but what I was really excited to do was what followed in the next week. We took off with these women to visit from home to home to do the “sondage” (poll, in English, according to my little dictionary) on young marriage. We visited every single house in the area and asked if there was any young girl under the age of 19 who was married, pregnant and/or with children, and if there was any, we continued to ask about their lives and needs. We did it in total of 4 days. It was extremely tiring and not easy at all walking hours and hours in the very hot African sun, and I have found some things that could be improved to have better results, but having all that it was still exceptionally interesting and lot of fun visiting people in the community and seeing their houses and their ways of living. And it was such a pity that I didn’t understand Ewe (the local language in the southern Togo), because the interviews were done in Ewe and also I have found plenty of people who don’t understand French at all (which means they don’t or didn’t go to school). If you just stay in the office and work with the members of the organization French is enough to do, but if you want to reach out to the population outside the office you need to understand their own language. And CILSIDA has strong connections with the community and that’s what I really like about this organization, so it’s all the more regrettable that I don’t understand Ewe. Of course I’ve been trying to learn it and now I can say greetings and some simple things, but to actually have a conversation my Ewe is nothing at all. I think there exists a special difficulty in learning their local language. In general if you want to learn a language you need to know the system (c’est à dire the grammar, more or less) of the language, and if it was French or Arabic or any other language it would be so easy to get this information. You can just go to a bookstore to buy some textbooks or go to Nova or something. But in the case of Ewe (and I think also for almost all other indigenous languages) it’s very difficult, if not possible, to find someone or something that would explain you systematically about the language. On the other hand it’s also interesting to find it out on your own because it’s a little like a puzzle, but it takes so much more time than the normal process of language learning because I think it’s similar to how infants learn their native tongue.
Ok, back to the sondage. I think this kind of activity is of a great significance, because it collects facts, and especially because I’ve found that thinking and talking of people here are rarely based on the facts. Now we’ve finished counting the numbers of young girls according to their status. In total we’ve found 320 girls who are either married, pregnant or with children. What we’re going do next is to come up with another project to help some of those girls who are really in need (that is to say, not all of them are in need and there are also young girls who are married, pregnant or with children and are well taken care of by their parents or husband), and also find the financial means for the project. We had a meeting on that on Sunday evening and being there watching the way things went I almost cried because again I could feel for sure that I finally found an organization where dictatorship and politics don’t exist and where the members share the information, exchange their opinions, have their own roles and responsibilities and work together to help people (and not to make money for themselves by pretending that they are serving the population).
There are also other things going on. For example for the World Day Prevention Child Abuse (Jounée Mondiale prévention des abus envers les enfants) on November 19th we are making short plays with young girls (probably at the ages of around 12-13) with the massage that children also have their rights. When we first started it it was unbelievably chaotic and I was kind of shocked at their understanding and learning capacities but after a few practices it’s getting better little by little and I think it’ll be all right by the 19th.
Even when there are no specific activities or meetings, Antoine leaves some tasks to Ornella and me. So the good thing is that I keep myself busy all the time. This is the biggest change from when I was at JADI and the organizations that I was sent to by the director of JADI, and it’s really great. But the other side of this is that I haven’t really had time yet to come up with something on my own. That might not be of great necessity or expectation, but what I’m doing now is to do what I was told to do and although there are lots of things I learn from it (for example doing paper works has helped me a lot to know what was and is going on here and how things work in this domain, and my skills of using Excel definitely improved) and things that I contribute to the organization (for example I taught techniques of Microsoft Office to Ornella that can make her work faster), I also have a feeling that I could do more than that and that’s probably what I’m here for. But I already have talked about it with the members so we’ll see how it goes.
Whew, I don’t know how many of you read this to the end, but to those who did, thanks for spending your time for that! A bientôt
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