Sunday, May 24, 2009

*inentitlable

旅の間は、何もかも自己責任。自分ひとりで考え、決断しなければいけなかった。
言い換えれば、自分のことだけを心配していればそれでよかった。
他人のことを思いやれなくても、「自分の身は自分で守るしかない」とかいう言葉で正当化された。
自分の心の温かで柔らかな部分が冷たく硬くなっていくのを、「強くなった」とかいう言葉で隠蔽した。
それが当たり前で、責める人は誰もいなかった。
自分も、それに気付いたという事実を顕在化させてしまうのが怖くて、いつもどこかで言い訳していた。

どの社会にも属さない、はみ出し者で、時にはそれが寂しくもあり、時には心地よくもあった。

日本に帰ってきて3か月以上経った今になって、急にまたリエントリーショックのようなものが、波のように、じわじわと押し寄せてきている。

「社会の一員」として生きていくという自分自身の生が、いかに自分以外の人々によって影響され、規定されているか。
いかに、他者への配慮が、暗黙のうちに、要求されているか。
そしておそらく、同じように、いかに、自分が、他者からの配慮を食いつぶすことで生かされているか。
つまり、どれほど多くの規範が、わたしたちの社会的な生を支配しているか。

表面的な「社会復帰」はとっくに終えたかもしれない。
満員電車にうきうきしなくなったし、日本米を目の前にして心ときめかすこともなくなったし、信号はいまだに守れないけど、レストランのおしぼりサービスにも驚かなくなったし、店頭の値札をいちいちトーゴの通貨に換算することもなくなった。

でも、たぶん、共存在(という言葉をここで使うことは安直すぎるかもしれないけど――)という存在の一根源的な局面を考えるとき、わたしにはまだ何かが欠損したままだ。
この1年で「失ってしまった」(という言葉で常識的には表現されうる)ものが、ようやくぼんやりと輪郭を顕わにし始めた、ような気がする。

しかしやっぱり! 
旅に出る前も旅の間も帰ってきた今も、社会的な生というのが茶番以外の何物でもないように思われて仕方ない時がある。

でも、社会的な生が茶番であると考えることこそが茶番であるような気もして。

そして、こうして「茶番だ」だの何だのわめいてること自体が、茶番であるような気がして。

だいたい茶番という言葉を使う裏には、「茶番ではない」=「よい/正しい/本来的/本質的」などなどと称されるものの存在が想定されていて、それすらも確信が持てなくなったらどうしたらいいのですか、って話。
そしてきっと、一度こんなループが生じてしまったからには、誰がどんな解答を持ってこようとも、納得することは難しいだろう。

相対化が自己増殖していった先には、苦しみしかない、のかしらん。
否、苦しみを苦しみとすら言えない「苦しみ」――。

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